第5話

 


 二年近くが過ぎた。色と欲で彩られたネオンサインは、だまされた女の涙の数だけ光り輝いていた。


 「ラブリー」は今夜も、寂しい女たちの溜まり場だった。その夜、高級ブランドに身を包んだストレートヘアの美女が来店した。客やホストは、その女に羨望せんぼう眼差まなざしを向けた。


「いらっしゃいませ」


 目の保養をしながら、若いホストがおしぼりを手渡した。


「この店のナンバーワンのお名前は?」


 女は、洋モクのメンソールとダンヒルのライターをクロコダイルのバッグから取り出した。


「は。和弥と申します」


 若いホストは、知らず知らずに丁寧な言葉遣いになっていた。


「カズヤ? うむ……。では、その方を指名するわ。飲み物は、果実酒で、ピーチのカクテルはある?」


「はい、ございます」


「では、それを」


「はい、かしこまりました」


 若いホストは深々と頭を下げると、角を直角に曲がるがごとく歩いていった。


 注目の的になりながら、女は悠然ゆうぜんとタバコを吸った。


「いらっしゃいませ。和弥と申します」


 和弥は頭を下げると、女の横に座ろうとした。


「前に座っていただけます」


 女が露骨に嫌な顔をした。


「……申し訳ありません」


「本当にあなたがナンバーワンなの?」


 女は眉をひそめると、「信じられない」と言った顔で和弥を蔑視べっしした。


「じゃ、ナンバーツーを指名するわ。呼んでちょうだい」


「……」


 いまだかつて経験のない客に、和弥はあたふたした。和弥は手を上げてヘルプを呼ぶと、その旨を伝えた。それを聞いたヘルプはドギマギしていた。


「早くしてくださらない」


「はい、ただいま」


 ヘルプは大急ぎで離れた。


 女はタバコを一本抜くと、火を点けようとした和弥のライターを拒否し、自分のダンヒルドレスを使った。


 和弥は咳払いをすると、


「こちらは初めて?」


 と訊いた。


「お待たせしました」


「あら、ありがとう」


 女は和弥を無視すると、カクテルを持ってきたホストに礼を言った。ホストが会釈をして背を向けると、


「いらっしゃいませ。ご指名をいただき、ありがとうございます。加納翔かのうしょうと申します。どうぞよろしくお願いします。お隣に座ってもいいですか?」


 次にやって来たナンバーツーが謙虚に訊いた。


「ええ、いいわよ。どうぞ」


 女は快諾した。


「あ、素敵な爪ですね。アートネイルでしたっけ?」


「逆。ネイルアートよ。ふふふ……」


「あ、そうでしたね」


「お好きなものを飲んで」


 翔に言った。


「はい、いただきます」


 翔が片手を上げてホストを呼んだ。


 相手にされない和弥は、孤独にタバコを吹かしていた。


「……では、ごゆっくり」


 和弥はタバコを消すと腰を上げた。


「ちょっと待ちなさい。指名したからには指名料が発生するのよ。あなたは接客しなかったんだから指名料は払いませんから。よろしくて」


「結構です。指名料はいただきませんので、ご安心くださいませ」


 和弥はそう言い切ると背を向けた。


「何? あんなホストがナンバーワンなの? 信じられない」


 女は和弥に聞こえるように言った。


「ショウの方が全然素敵よ。謙虚だし、明るいし」


「ありがとうございます」


 翔のヘルプがウイスキーの入ったグラスを運んできた。


「それじゃ、乾杯」


 女は翔の持ったグラスにカチッと当てた。


 和弥は指名客の席で酒をあおると、翔と楽しげに語らう女の横顔を憎しみを込めて睨んでいた。


「……どうしたの? 怖い顔して」


 指名客が肘で突っついた。


「……なんでもない」


 だが、和弥の気は収まらなかった。


「踊るぞ」


 客の腕を強引に引っ張ると、スローバラードの流れるステージに連れ出した。まるで、その女に見せ付けるかのように和弥は濃厚なチークダンスをした。だが、その女は一度として和弥に視線を向けなかった。


 その女のテーブルには、ドンペリとフルーツの盛り合わせがあった。ざっと計算してもン万円にはなる。翔のヘルプが集まって、その女の席だけが際立って華やかだった。


「お前もボトル入れろよ」


 ダンスの相手に強制した。


「さっきキープしたばっかりじゃない」


 不平を溢した。


 この客と同様に他の指名客もボトルをキープしたばかりだった。新たに客が来ない限り、今日の売上は翔に負けてしまう。焦った和弥は、顧客の自宅や会社に片っ端から電話をした。――


「お名前を教えてください」


 ヘルプを席から外した翔がおもむろに訊いた。


 すると、バッグから名刺を一枚抜き取り、翔に渡した。


〈竹下建設株式会社

 社長秘書 竹下彩花

 03――〉


「えっ、竹下建設って、あの有名な?」


 翔が目を丸くした。


「ええ」


「……アヤカ?」


「そう」


「同じ名字だけど……」


 翔は彩花の横顔に目を据えて返事を待った。


「父の会社です」


「えっ、お嬢様?」


 驚いた翔は、次の言葉を失った。


「実は……、今日はね、お婿さん探しの社会勉強のつもりだったの」


 彩花はチラッと翔を見た。翔は生唾を飲み込んだ。


「女性を相手にする仕事でナンバーワンを争う方なら、相手の気持ちとか、心配りとか、忍耐力とか、人一倍けてると思って。そういう人を父の片腕にしたいなって思って」


「光栄です。その一人に選んでもらって」


 翔は感激していた。


「あ、名刺、よろしい? 一枚しか残ってないの。今度持ってくるわね」


 そう言って、翔の指から名刺を抜いた。

 

「だから、先程のカズヤ? さんの件はとても残念。日本一の繁華街、歌舞伎町の日本一のホストクラブのナンバーワンの方に、“謙虚さ”が欠けていたんですもの。……もし、その謙虚さがあったら、ショウさんにするか、カズヤさんにするか迷っていたと思うわ」


 彩花が憂いを帯びた表情をした。

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