9-2 修也の過去
幼い頃から翔と修也は時々互いに入れ替わって生活する事があった。それは単に子供の遊びのようなものだった。誰一人、2人が入れ替わっている事に気が付かず、その事が翔と修也にとっては楽しくて仕方が無かった。
特に修也は翔の真似がうまく、明日香や琢磨にすら気付かれる事は無かった。
しかし、翔は徐々に性格が変わっていった。きっかけは翔が鳴海グループ総合商社の時期跡取りに内定してからの事だった。周りの大人たちが翔を特別扱いするようになり、徐々に翔は天狗になっていったのだった。
修也と翔は違う高校に通っていた。本来なら修也も翔と同じ高校に通うつもりだったのだが、翔がそれを拒否した為、都内でも有数の名門都立高校に修也は通う事にしたのだった。
高校生に入学すると、翔はどんどん性格が変わって行った。人を思いやる心が少しずつ欠落していき、修也の事を見下し、家に呼び出してはあごでこき使うようになっていったのだった。
高校に入学して一月が経過した頃―。
平日の夕方・・・いつものように翔に修也は呼び出されていた。
「何?翔。僕に話って?」
翔の部屋に行くと、そこには見慣れない楽器が置かれていた。不思議に思い、見つめていると翔が声を掛けてきた。
「これはホルンって楽器なんだ。どう思う?修也。」
翔が得意げにホルンを撫でながら言う。
「どう思うって言われても・・翔。もしかしてホルンを習う事になったの?」
今まで翔は楽器とは無縁の生活をしていた。音楽や歌を聞くことはあったのだが、楽器は手に持ったことすらないのを修也は良く知っている。
「いや、習うんじゃない。俺は吹奏楽部に入部したんだ。それでホルンを担当する事になった。」
「へえ~そうなんだ。」
(だけど、どうして僕にその話をするんだろう・・・?)
すると翔が口元にニヤリと笑みを浮かべると言った。
「へえ~じゃない、修也。お前もやるんだよ。」
「やるって・・何を?」
「ホルンに決まっているだろう?」
「ええっ?!そ、そんな無茶だよっ!」
修也は慌てて首を振ったが、翔は言う。
「駄目だ、修也。俺はこれから鳴海グループの後継者になる為の勉強もしなくてはならないんだ。部活動を休まなくてはならない時もある。だが、俺は完璧な人間を目指さなくてはならないからな。家でも、高校でも同じことだ。」
「翔・・・。」
「俺が部活動にどうしても参加出来ない場合・・・その時は修也、お前が身代わりになって練習に参加するんだ。何、月にせいぜい4~5回程度だろうから安心しろ。」
「だけど、翔。僕はホルンなんか一度も触ったこともないし、楽器だって持っていないんだよ。いくら何でも無理に決まっているじゃないか。」
修也は頭を押さえながら言う。
「楽器の事なら安心しろ。俺が購入してやる。教本だって買ってやる。それに今の時代、ネットでホルンの練習動画だってあるだろう?だから練習して演奏できるようにするんだ。」
「そ、そんな・・・。」
修也が言いよどむと、翔は言った。
「修也・・・お前、自分の父親が何をしたか知ってるんだろう?ゆくゆく俺は鳴海グループを引き継ぐんだ。今の生活を・・・捨てたいのか?」
それはまるで脅迫とも捕らえられた。
「わ、分ったよ・・・。翔の言う通りにするよ・・・。」
修也は頷くしかなかった。母を守る為に―。
やがて月日は流れ、彼らは高校3年生になっていた。
修也は必死で独学でホルンの練習をし、いつしかその腕前は翔の実力を上回っていた。
「修也、俺達ももう3年生だ。1学期が終われば3年は引退だ。今までご苦労だったな。」
ある日、いつものように翔の部屋へ呼び出された修也は珍しく翔から労いの言葉を貰った。
「そうなんだね。それじゃあ、僕の役目ももう終わりだね。」
やっと月に数回の部活動の代理参加が終われる・・・そう思うと自然に修也の顔に笑顔が浮かんだ。
「最後に、お前にやってもらいたいことがある。」
突如翔が真顔で言う。
「え・・?何・・?」
「実は6月に吹奏楽部のコンテストが開かれるんだ。今年入部した1年の女子で・・・俺と同じホルンの演奏をしているのだが、なかなか上達しなくて足を引っ張られて困っているんだ。それで土日に俺が練習に付き合う事にしたんだよ。」
「へえ・・・翔、なかなかいいところがあるね。」
修也が感心して言うと、翔が言った。
「だから、修也。お前が代わりに付き合ってやれ。」
翔がとんでもないことを提案してきた。
「ええっ?!な、何故僕がっ?!」
「何の為にお前にホルンの練習をするように言ったと思う?」
翔がジロリと修也を睨み付けた。
「翔・・・。」
「俺は自分の周囲の評価を上げておかなくてはならないんだ。言ってる意味・・分かるよな?」
「分った・・よ。翔・・・。それで・・僕が一緒に練習をする相手は誰なの?」
「え・・・と・・・確か須藤っていう地味な女子だったかな・・・?とにかく、今週の土曜日、10時に音楽室の前に立って待っていろ。須藤って女生徒が現れるから。」
翔はそれだけ言うと、後は修也に背をむけて英語の勉強を始めた。まるでその姿は用事が済んだならさっさと帰れと言わんばかりの態度に見えた。
「翔、安心して。僕は立派に翔になりきって、その子の練習に付き合うよ。それじゃあ僕は帰るね。」
修也はそれだけ言うと、翔の家を後にした。
そして土曜日―
修也は翔の学生服を着て、音楽室の前で楽譜を見ながら待っていた。
「すみません、お待たせ致しました。」
見下ろすとそこには眼鏡をかけ、髪を三つ編みにした女子生徒が立っていた。
「本日はお忙しいところ、練習に付き合って頂くなんて本当に有難うございます。」
少女はぺこりと頭を下げて、次に修也をじっと見つめた。黒ぶち眼鏡の奥には大きな瞳が覗いている。
(うわあ・・・随分可愛い女の子だなあ・・・。)
一目見た時に修也は思った。そして、名前を聞きたいと思った。
「そう言えば・・・君の名前、何て言うんだっけ?」
「はい、須藤朱莉と言います。よろしくお願いします。鳴海・・・翔先輩・・・。」
朱莉は頬を染め、恥ずかしそうに俯いた。その時、修也は思った。
そうか・・・この少女は・・・翔の事が好きなのだと―。
そして2人が練習を始め、朱莉の金属アレルギーの発作の事件が起こった。
修也はすぐに救急車を呼び、一緒に病院に付き添った。修也の行動が早かった為、朱莉は大事に至らなかった。朱莉の両親にはお礼を言われ、様子を見る為に病院に1日入院する事が決まった。
急遽、朱莉のアレルギー発作で練習が中止になった修也は帰りに楽器専門店を訪れ、金属アレルギー対応のマウスピースを購入した。
翌日の夕方―
修也は朱莉が入院している病室を訪れた。朱莉は修也が見舞いに来てくれた事に驚いていた。
「鳴海先輩っ!な、何故ここに・・・?」
修也は笑みを浮かべると朱莉に紙袋を手渡した。
「これはね、金属アレルギーの人でも使えるマウスピースだよ。須藤さんにプレゼントするよ。」
マウスピースを受け取った朱莉の顔は夕焼けよりも真っ赤に染まっていた・・。
その後、朱莉の面会を終えた修也は翔の家へと向かった。
「修也っ!お、お前・・・何て余計な真似をしてくれたんだっ!」
帰宅した修也は翔に事後報告すると修也は烈火の如く怒り、修也に言った。
「もう・・お前もこれまでだ。練習にも出なくていい。その女生徒には・・・俺から断りを入れておくから。もう、個人練習には付き合えなくなったって。」
「翔・・・でも、それじゃ須藤さんが・・・。」
「何だ?別にもう放っておけばいいじゃないか。金属アレルギーなら楽器を辞めるかもしれないしな。」
翔はそれだけ言うと、読んでいた雑誌に目を落とした。
「分った・・・帰るよ、翔。」
修也が部屋を出るとき、翔が声を掛けてきた。
「修也、もう・・・俺の前に姿を見せるな。分かったか?」
「うん・・・分かったよ。翔・・・元気でね。」
「お前もな。」
そして10年の時が流れ、翔と修也は思いがけない形で再会する事となった―。
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