6-1 二階堂と翔

 バレンタインの日から1週間程経過した週末の金曜―


「悪かったな、鳴海。呼び出したりして。」


六本木ヒルズの巨大クモのオブジェ前で翔が待っているとコート姿の二階堂が現れた。


「いえ、この間久しぶりに会ったのでもう一度先輩とお話したいと思っていたんですよ。


翔は丁寧に頭を下げると言った。


「このビルの最上階にお勧めの店があるんだ。そこへ行ってみるか。」


二階堂の誘いに翔は乗った。


「ええ、先輩にお任せしますよ。」



そこは52Fにあるお座敷の和食ダイニングの店であった。障子戸の向こうの窓からは見事な夜景が見えている。


「ほら、飲めよ。鳴海。それともお前は日本酒は苦手か?」


熱燗の日本酒を進めながら二階堂は言う。


「いえ、そんな事はありませんよ。頂きます。」


翔は熱燗を受け取るとクイッと飲んだ。


「どうだ?美味いか?」


「ええ、美味いですね。やはり冬場はこういう日本酒もいいものですね。」


「そうか。今、うちの会社でも冬の熱燗フェアを開催していてな。酒器セットを好みの日本酒とセットで販売しているんだ。これがなかなか好評で売れ行きも上々なんだよ。」


二階堂は嬉しそうに言う。そんな二階堂を見ながら翔は言った。


「琢磨は・・・元気ですか?」


「ああ、元気にやってる。まあ・・・本人が嫌だと言っても後数年はオハイオに行っててもらうつもりさ。数年後日本に帰国する時には意外と青い目の妻を連れて帰って来るかもしれないぞ?」


嬉しそうに言う二階堂を見て翔は言った。


「先輩・・・俺を今夜呼んだのは・・・俺の妻の事なんじゃないですか?」


「ほーう?」


二階堂は眉を上げた。


「何でそう思ったんだ?」


刺身の盛り合わせを食べながら二階堂は尋ねた。


「・・別に。何となく勘ですよ。琢磨から聞いているんですよね?俺の妻の事・・・。」


「ああ、朱莉さんか。・・・それにしても、物凄い美人の妻を貰ったんだな?」


二階堂は身を乗り出すように言った。


「・・・最初は・・あんなんじゃ無かったんですよ。黒縁の眼鏡をかけ・・・髪も後ろで1本にまとめて・・地味なスーツ姿だったんです。」


「・・・。」


そんな翔の話を二階堂は黙って聞いている。


「俺は・・・彼女・・・朱莉さんを騙したんですよ。祖父からの縁談を断る為に・・義理の妹との恋愛を成就させる為に・・偽装妻が必要だったんです。それで求人を出して履歴書を送って貰い・・・琢磨に地味な女性を選んでもらって・・俺が彼女に決めました。だけど・・・・。」


「朱莉さんはその美貌を隠していたってわけか?」


「・・・そうですね。でも俺は初めは朱莉さんの事は見向きもしませんでした。何故なら俺は・・義理の妹を愛していたから・・最低な男ですよ、俺は。冷たい態度ばかり取って彼女を傷付けて・・・広い部屋に1人で住まわせて・・挙句・・俺と義理の妹との間に生まれた子供を朱莉さんの子供として押し付けて、面倒を見させて・・。」


唇を噛み締めるように言う翔を二階堂は黙って見ていたが・・やがて言った。


「馬鹿な男だな。お前は。それで?何故今は朱莉さんの事を好きなんだ?」


「え?」


翔は顔を上げた。


「何だ?お前・・・気付いていなかったのか?自分の気持ちに・・。俺が朱莉さんと話をしていた時・・お前物凄く嫉妬にまみれた顔で俺を睨んだじゃないか。」


「!そ、それは・・・。」


「でも、まだまだだな。」


二階堂は湯豆腐をすくって口に入れると言った。


「うん、旨い。」


「先輩、まだまだってどういう事ですか?」


翔は身を乗り出した。


「九条が朱莉さんを思う気持ちの方がずっと強いって事だ。いいそか?鳴海・・お前気を付けろよ?そんなんじゃ今に誰かに足元を掬われるぞ?例えば・・・京極正人とかにな・・。」


「先輩・・・・ひょっとして・・京極の事・・・何か知ってるんですか?」


「今・・色々調べてるところさ。何せ、あいつこの俺に喧嘩を吹っかけて来たからな。」


二階堂は再び熱燗を飲みながら翔にも熱燗を勧めた。


「え・・?喧嘩・・・・どういう事ですか?!」


「あいつ・・・。九条と朱莉さんの後をつけて、2人が会っている写真と報告書を匿名で会社に・・しかも俺宛てに送り付けてきたんだ。」


「えっ?!琢磨が・・・朱莉さんと2人で会っていたんですかっ?!」


「おいおい・・・気にするのはそこか?仕方ないじゃないか。九条は朱莉さんにぞっこんだし、所詮お前と朱莉さんは偽装婚、赤の他人なんだから・・。それよりも問題なのはそれを京極に見られていたって事だ。いや・・もしくは人を使って朱莉さんか九条を以前から監視していたのかもしれない。」


「そ、そんな・・・。」


「まあ、それがきっかけで俺は九条をオハイオ州へ行かせたんだけどな。会社と・・九条を守る為に。」


「琢磨・・・。」


翔は俯いた。


「あー、そんな辛気臭い顔するなって。飯がまずくなる。ほら、ここのすき焼きは最高なんだぞ?火、入れるぞ?」


二階堂はすき焼きセットにバーナーで火をつけた。


「京極・・・あいつ、間違いなくお前と朱莉さん・・そして義理の妹・・確か明日香だっけ?3人の関係を知っているに違いない。」


すき焼きを焼きながら二階堂は言う。


「そう言えば・・実はこの間、雑誌の取材でバレンタインの日に女性記者からインタビューをレストランで受けたんですよ。」


「はあ?なんだ・・・それ。いかにも勘違いさせそうなシチュエーションだな?」


「そうですね・・。それでその女性記者と会っている場面が写真に収められて・・・脅迫めいたメールが届いたんですよ。」


「まだそのメールは残っているのか?」


二階堂は出来立てのすき焼きを頬張りながら尋ねた。


「はい、あります。」


「どれ、見せて見ろ。」


「はい。」


翔はメールを表示させると手渡した。二階堂はそれをじっくり見ながら言った。


「別に・・ウィルス感染を起こさせるような感じは無いな・・。純粋にお前を脅迫しようとしている意図がありありと感じられる。ご丁寧に画像に日時と時間表記迄させてるじゃないか。ところで・・・お前がこの日程でスケジュールを組んだのか?」


「いえ、違います。俺の秘書です。」


「秘書?」


二階堂の眉がピクリと動いた。


「先輩?どうかしましたか?」


「・・いや、別に何でも無い。ほら、それよりお前も食えって、この店の牛肉はA5ランクなんだぞ?」


「いただきます・・・・。」


翔は肉を口に運び・・・破顔した。


「旨いっ!先輩・・・旨いですよっ!」


「だろう〜・・・。と言う訳で、鳴海。今度俺と朱莉さんを会わせろ。」


「はあっ?!な、なんでそうなるんですかっ?!」


「決まってるだろう?あれ程の美人なんだ。ましてお前と朱莉さんは只の偽装婚で夫婦でも無ければ恋人同士でも無い。お前には朱莉さんを縛り付ける権利なんか無いんだよ!散々好き勝手しておきながら・・どうせ義理の妹の明日香にでも見切りを付けられたから朱莉さんに目を向け始めたんじゃないのか?」


「ウッ・・・。」


翔は痛い所をつかれ、思わず呻いてしまった。


「言っただろう?俺は京極に喧嘩を吹っかけられたって。売られた喧嘩は買う主義なんだよ。朱莉さんに会っている所をわざと見せつけて挑発してやるのさ。恐らく俺の見立てでは・・・あいつは自分に絶対的な自信を持っている。だから平気で見境なく脅迫してくるのさ。それに京極は間違いなく莉さんに惚れている。あいつを嫉妬で狂わせてやるさ。」


「待って下さい!せ・・・先輩っ!よ、よくも俺の前でそんな台詞言えますね?!」


翔は慌てて言った。


「まあ、嫉妬で狂わせるは冗談として・・・。俺が朱莉さんに近付けば、きっと九条同様に俺の事も排除して来ようとするだろう。だが・・・そうはさせない。返り討ちにしてやるさ。だからお前は京極に足元を掬われないように行動を慎めよ?」


そして二階堂は美味しそうにすき焼きを口に運んだ—。







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