9-3 不安な電話

「明日香、会いたかったよ!」


翔は明日香のいる客室に入り、駆け寄って力強く抱きしめて来た。


「ちょ、ちょっと・・・翔・・・!」


明日香の窘めるような声に翔は慌てて明日香から離れると言った。


「ああ・・ごめん、明日香。そう言えばお腹の中に子供がいたのに・・・すまなかった。大丈夫だったかい?」


「ううん。それは大丈夫だけど・・・あら?ところで・・朱莉さんは?」


明日香は朱莉がいない事に気が付き、翔に尋ねた。


「うん?いや・・・朱莉さんならマンションに帰ったけど?」


それを聞いた明日香の目が険しくなった。


「翔・・・まさか・・・朱莉さんを追い返したのっ?!」


「え?まさかっ!彼女の方から遠慮してマンションへ帰ったんだよ。新しい秘書が俺と明日香で積る話があるだろうから、2人きりで話をした方がいいと言ったから・・・。」


「そうだったの・・・。朱莉さんならいて別にいても構わなかったのに・・。」


明日香は何処かイラついた様子で爪を噛んだ。


「おい・・明日香。お前・・・本気で言ってるのか?とても以前のお前なら朱莉さんの事をそんな風には・・・・。」


すると明日香がポツリと言った。


「・・初めてだったのよ・・。翔以外の人に・・・誰かに親切にして貰ったのは・・。」


「明日香?」


「朱莉さんだけだったのよ・・こんな捻くれた私に赤の他人なのに親切にしてくれたのは・・・。だからもう一度お礼を言いたかったのに・・。それに朱莉さんは今日は朝から私の退院の手続きに付き合ってくれて・・ここまで連れて来てくれて、疲れているはずなのに・・・翔、貴方の出迎え迄させて、車でここまで運転させるなんて・・・・。」


「あ、明日香・・・。」


翔は明日香の話を信じられない思いで聞いていた。あんなに他者を思いやる気持ちに欠けていた明日香が・・・誰かに対してこんな風に思うようになるとは思ってもいなかった。


「・・ねえ。知ってた?このホテルから朱莉さんのマンション・・・どの位離れているか・・どの位時間がかかるのか・・。」


「・・・。」


「朱莉さんの住んでいるのは那覇市、ここは名護市。車で1時間以上かかるのよ?疲れているはずなのに・・。私は悪いから遠慮したのよ。だけど・・朱莉さんが自分に退院の日のお迎えをさせてくれって言うから・・・。そこにいくと・・翔。貴方は何?自分から・・朱莉さんのお迎えを頼んだんでしょう?」


何処か詰るように明日香は言う。


「あ、ああ・・・そうだ・・。」


翔が重たい口を開く。


「翔・・・貴方は朱莉さんを自分の従業員のように扱っているけど・・・。もう少し朱莉さんに気を遣ってあげて・・・。最も私もこんな事言えた義理じゃないけどね・・・。私は最低な人間だったわ・・・。」


それだけ言うと、明日香は項垂れた。


「ああ・・分かったよ。明日香。もう少し・・・これからは朱莉さんに配慮しよう。それより久しぶりに会えたんだし・・もっと別の話をしよう、明日香。」


明日香の肩を抱きながらにこやかに語る翔に明日香は思った。


(翔・・・本当に今の私の話・・貴方にちゃんと伝わったの・・?)



 

「朱莉さんっ!」


朱莉がホテルの出口まで差し掛かった時、背後から姫宮が追いかけて来た。


「え・・?姫宮さん・・・?」


朱莉が立ち止まると、姫宮が息を切らしながら朱莉の前にやって来た。


「姫宮さん・・・大丈夫ですか?もしかして走って来られたのですか?何か・・私に急な用事でも・・?」


すると姫宮は言った。


「朱莉さん。申し訳ございませんでした。」


突然頭を下げて来た。


「え?な、何を・・・ですか?」


「はい、実は今回の空港のお出迎えの件です。私は・・・朱莉さんにお願いしようとする副社長をお止めしたのですが・・・どうしても聞き入れて頂けなかったんです。本当にご迷惑をお掛けしてしまいました。ここは名護市です。朱莉さんの住む那覇市とは・・・距離が離れすぎています。」


朱莉は予想もしていなかった姫宮の発言に驚いた。


「え?え?な、何を仰っているんですか?姫宮さん。私は別に何とも思っていませんよ?と言うか・・・当然だと思っております。」


しかし、姫宮は言った。


「いいえ、そんな事はありません。最初に朱莉さんと副社長が結ばれた契約書ですが、あまりに理不尽な点が多すぎます。先の九条という人物が作った契約書ですが、後からかなり副社長自ら手直しをされたそうです。九条さんの制止するのも聞かず・・・。なので、私の方で再度手直しさせて頂きます。」


「は、はい・・・。」


朱莉はただ頷くしか無かった。



 帰りの車中・・・朱莉は運転しながら姫宮の事を考えていた。


「一体・・・どういう事なんだろう・・・?姫宮さん・・翔さんの完全な見方だと思っていたけど・・やけに否定的な言い方をしているように聞こえたのは・・私の気のせい・・?」


思わず口に出して呟いてしまった。




 その夜―


朱莉がネイビーを膝に抱えながら、レンタルして来た映画を観ていた時、朱莉の個人用スマホが着信を知らせた。


「ひょっとして・・・翔さんかな?」


しかし、朱莉はその着信相手を見て、凍り付いた。それは京極からの電話だったのである。


実はあの日、安西の事務所で京極と姫宮が並んで歩いている画像を見せられたその夜、京極から電話がかかって来たのだ。

しかし、朱莉には京極と姫宮が一緒に写っているあの写真が気がかりで、京極から何か決定的な話を聞かされるのでは無いかと思うと、それが怖くて、咄嗟に電話口で伝えたのだ。


今、通信教育のレポート提出に追われていて、忙しいのでしばらくは電話もメッセージも遠慮してもらいたいと・・・。


それを告げた時の、電話越しから聞こえる悲し気な声が朱莉の心を揺さぶった。

しかし・・・それでも朱莉は京極と話をするのが怖くて・・・頑なに連絡を拒んだのである。それがよりにもよって、翔と姫宮が沖縄へやって来た日に電話がかかってくるなんて・・・。あまりにも偶然が重なり過ぎて、再び朱莉は疑心暗鬼に陥ってしまった。


(お願い・・!早く・・電話が切れて・・・!)


朱莉は耳を塞いだ。


(ごめんなさい、京極さん。私・・・!まだ貴方の電話に出る勇気が・・・!)


暫く鳴り響いたスマホはやがて静かになった。


「よ、良かった・・・。」


朱莉は安堵の溜息をついたが・・時を置かずして、再びスマホが鳴り響いた。


(京極さん・・・。)


考えてみれば、京極は忙しい身だ。それなのにこうして朱莉に電話を掛けて来ている。


(私の為に・・京極さんの貴重な時間を奪う訳にはいかない・・・。)


朱莉は観念して、電話をタップした。


「はい、もしもし・・・。」


『朱莉さんっ?!』


電話に出た途端、京極の切羽詰まった声が受話器越しから聞こえて来た。


「はい、朱莉です。どうも・・・ご無沙汰しておりました。」


すると、京極が安堵したかのように言う。


『よ、良かった・・・・。中々電話に出てくれなかったから・・てっきり何かあったのでは無いかと思って・・・心配しました。本当に・・・。』


その声は・・・本当に朱莉の身を案じているように聞こえた。


「すみません。ご心配をおかけして・・ちょっとスマホを離れた場所においてしまっていたものですから・・。」


『朱莉さん・・・。』


何故か突然、京極の声のトーンが変わった。


「はい。何でしょうか?」


『もう少しだけ・・・待っていて下さいね。』


「え?」


(まただ・・・また京極さんは・・意味深な事を・・。)


「あ、あの・・・待つって一体私は何を待てばいいんですか?」


すると京極は言った。


『今はまだ・・・お話する事は出来ませんが・・。僕は・・・。』


「え?今・・最後何て言ったんですか?聞こえなかったんですけど・・。」


しかし京極は朱莉の質問には答えずに言った。


『すみません。朱莉さん。夜分に電話を掛けてしまって・・どうしてもほんの少しでも貴女の声を聞きたくなってしまい・・・あれ程貴女から連絡を控えて欲しいと言われていたのに・・・。ただ・・あれ以来・・情けない事に不眠症になってしまって・・。』


「あ・・・。」


『すみません。妙な事を言ってしまって・・・。でもこうして貴女の声を聞く事が出来ました。これで・・安心して今夜は眠れそうです。お休みなさい。』


その声は・・・明るかった。そして電話は切れた。


「京極さん・・・。」


朱莉はスマホを握りしめた。


(分からない、私には・・京極さんが何を考えているのか・・・。)


朱莉はいつまでもネイビーの背中を撫で続けていた—。





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