9-1 明日香の退院
朱莉が東京から沖縄へ戻り、早いもので1週間が経過していた。そして今日は明日香の退院日である。
「思っていた以上に早く退院出来て良かったですね。」
退院手続きを済ませて来た朱莉が待合室に座っていた明日香の元へ戻ると声を掛けて来た。
「ええ・・そうね。最初の話ではもう少し時間がかかるって言われていたけど。」
明日香は少し浮かない顔で答える。そんな明日香を見て朱莉は声をかけた。
「どうしたんですか?明日香さん。折角退院できると言うのに、何だか顔の色が優れないようですけど・・・。」
すると明日香は視線を落として言った。
「だって・・・・。今日、これから・・翔と翔の新しい秘書が・・・沖縄へ来るのよ?翔に会えるのは久しぶりで嬉しいけど・・あの姫宮という女性に会うのは・・・正直に言うと気が重いわ。」
「大丈夫ですよ、明日香さん。結局安西先生の興信所でもあれから詳しく調べて頂いてい、お2人は只の副社長と秘書の関係だったと言う事が分かったのですから。それに東京からわざわざ長期滞在型のホテルを予約してくれたのも姫宮さんですし。」
朱莉は明日香を元気づけるように明るい笑顔で言う。
「朱莉さん・・・。」
明日香は朱莉の顔をじっと見つめた。
「さて、それじゃ明日香さん。早速そのホテルへ行きましょう。」
朱莉は明日香に声を掛けると立ち上がった。
「ええ、そうね。」
並んで歩きながら朱莉は明日香に話しかけた。
「明日香さん・・・大分お腹が目立ってきましたね?」
「ええ。もう6か月だから・・・昨日も実は夜眠っていたら、お腹の中を蹴られたのよ。」
「そうですか。きっと元気な男の子が生まれてきますよ。」
朱莉は笑顔で言う。
実はこの間のエコーの検査で、はっきり性別が判明したのだ。
「そうね。翔も男の子と聞いて喜んでいたわ。鳴海グループの跡取りが決定したなって。」
「でも、翔さんの事ですから男の子でも女の子でもどちらでも構わないと思っているんじゃないですか?」
朱莉の言葉に明日香も頷く。
「ええ・・・まあ確かに2度目に私が妊娠した時・・・すごく喜んでくれたしね・・。でも・・・。」
明日香の顔が曇る。
「どうしたんですか?明日香さん。」
「・・・やっぱり私は・・母親失格になりそうね・・。だって、エコーの画像を見ても、お腹の中で動いても・・・この子が愛しいって感情が・・まだ持てないのだから・・。」
明日香はポツリと言う。
「明日香さん・・・。」
朱莉も最近、明日香自身から朱莉の出自については聞かされていた。その話を聞かされた時は、何て気の毒な境遇だったのだろうと朱莉は胸を痛めたのだ。
そんな話をしている内に、駐車場へ辿り着いた朱莉は明日香に言った。
「明日香さん。これが私の車です。その・・・普段明日香さんが乗りつけているような立派な車ではありませんけど・・・。」
朱莉は顔を赤くしながら明日香に言う。しかし、明日香は言った。
「あら、何言ってるのよ。この車・・すごく可愛らしくて素敵じゃない。やっぱり車はセダンタイプよりもミニバンタイプの方が何だかいいわね。それじゃ・・・乗せて貰おうかしら。」
「はい、どうぞ乗って下さい。あ、明日香さん。後部座席のほうが ゆったりしてますよ。後、左側に座って下さい。実はマタニティ用のシートベルトを左側にセットしてあるんです。」
朱莉の言葉に明日香は顔を上げた。
「え・・?朱莉さん。もしかして私の為にわざわざ・・・?」
「は、はい。妊婦さんて普通のシートベルトをしても大丈夫なのか調べていたら、マタニティ用のシートベルトがある事を知って・・・用意しておいたんです。」
すると、その話を聞いた明日香の目に涙が浮かんできた。
「え?え?ど、どうしたんですか?明日香さん。」
急に明日香の目が潤んできたのを見た朱莉はすっかり戸惑ってしまい、オロオロしながら声を掛けた。
「あ・・・ご、ごめんなさい・・・。今迄・・翔以外の人に・・こんなに親切にして貰った事が・・無かったから・・つい・・。」
「明日香さん・・・。」
明日香は鳴海グループという日本屈指の大財閥の家柄なのに、翔以外の人々から冷たく、蔑ろにされてきたのだという事を改めて朱莉は理解した。
(明日香さん・・・。)
「さ、それじゃ明日香さん。乗って下さい。ホテルまで送りますから。」
朱莉は車のドアを開けながら明日香に声を掛けた。
「ありがとう。」
明日香が車に乗り込み、シートベルトを締めるのを見届けると、朱莉も運転席に座り、ベルトを締めると言った。
「それでは出発しますね。」
そして朱莉はアクセルを踏んだ―。
それから約1時間後、明日香と朱莉はこれから明日香が滞在するホテルの部屋の中にいた。
「うわあ・・・すごく素敵な部屋ですね。姫宮さんがこのホテルを予約したんですよね。」
朱莉は部屋を見渡しながら言った。
2LDKの広々とした客室は全室オーシャンビューになっている。食事は部屋で取る事も出来るし、レストランを利用する事も可能だ。クリーニングは勿論、掃除まで全てホテルが世話をしてくれるので、家政婦の話は無しになったのだ。
「ええ。そうね・・・。」
しかし、明日香の顔はどこかうかない。
「明日香さん・・・?」
朱莉は怪訝そうに声を掛けた。
「い、いえ。何でも無いわ。・・・朱莉さん、今日まで本当にありがとう。貴女にはお世話になったから・・・私の方から臨時ボーナスとして・・ネットでお金を口座に振り込んでおいたから、後で確認して?」
明日香の言葉に朱莉は驚いた。
「な、何言ってるんですか明日香さん。私は別にお金の為にやって来た訳ではありませんよ?ただ、明日香さんの力に・・・。」
「ええ・・・。貴女なら、そう言うと思っていたわ。だけど、これは私の気持ちだから・・・。お金でしか・・・朱莉さんにお礼する手段が無くて・・・だから何も言わずに受け取って頂戴。」
あまりにも明日香の真剣な様子に朱莉は押されてしまい・・・。
「わ・・・分かりました。受け取らせて頂きます・・・。」
そう、返事をするのだった。
「明日香さん。それでは、私はこの辺で失礼しますね。午後4時には翔さん達が那覇空港に到着すると思うので、迎えに行く用事もありますから。」
朱莉はショルダーバックを肩から下げると立ち上がった。
それを聞いた明日香は眉を潜めた。
「人の事言えないけど・・・翔は貴女に迎えを頼んだの?」
「は、はい。あの、私の買った車も見たいと話していられたので。」
「そうなの・・・?なら、いっそ翔に運転して貰うのもいいんじゃない?あんなに見事な女性用にカスタマイズされた車を翔が運転する姿は見ものだわ。」
明日香はクスクス笑いながら言うのを見つめながら朱莉は思った。
(良かった・・・明日香さん。少し元気が出てきたようで・・。)
「明日香さん。それではまた何かありましたらメッセージを送って下さい。それではまた後程。翔さんと姫宮さんをこちらにお連れするまでお待ちくださいね。」
「・・・有難う、朱莉さん。」
そして、朱莉は客室を後にして腕時計を見た。
時刻は午後1時。後3時間後には翔が姫宮を連れて沖縄へとやって来るのだ。
(姫宮さん・・・。)
朱莉は姫宮の姿を思い浮かべた。朱莉の胸には一抹の不安があった。
あの時、安西に見せられたPCには京極の隣を歩く姫宮の姿が映っていた。しかし、朱莉は安西に京極と姫宮の関係を探る依頼はしなかったのだ。
何故なら今回の依頼の目的は、明日香が個人的に頼んだ翔と、姫宮の関係を探る為のものだったから。
(京極さんとの話は・・・明日香さんには関係無い話。私の個人的感情で・・京極さんと姫宮さんの関係を安西さんに調べて貰う訳にはいかないわ・・・。)
自分の中で、そう言い聞かせ・・・朱莉は京極と姫宮の関係には目をつぶったのだ。
いや・・・本音を言えば、朱莉は京極と姫宮の関係を知るのが怖かったのだ。
だからこそ・・・朱莉は何も知らないフリをする事に決めたのであった。
「京極さん・・・・。」
朱莉はポツリと呟くと・・・顔を上げて、明日香のホテルを後にした―。
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