8-6 安西弘樹
翌朝―
朱莉は上野駅から徒歩5分程にあるウィークリーマンションで目が覚めた。
1Kの6畳間に2畳ほどのロフト付きの部屋。1口コンロにバストイレ付。
「フフ・・何だか以前自分が住んでいた部屋みたい・・。」
いつも自分が過ごしてきたような広々とした部屋では無いが、朱莉に取っては何故かこの空間は居心地の良い部屋だった。
「翔先輩と・・離婚が成立して、お母さんとまだ一緒に暮らせないなら、やっぱりこの位の広さの部屋に住もうかな・・・。」
寂しげに言うと朱莉はベッドから起き上がり、着替えを始めた—。
その後、近所のコンビニで朝食を買って部屋に戻り、テレビをつけた時にスマホに着信があった。
相手は明日香からだった。
朱莉はすぐにメッセージを開いて見た。
『お早う、朱莉さん。昨夜は無事に上野に着いたのかしら?昨夜のうちに安西先生には連絡を入れておいたわ。9時には事務所が開いているそうだから申し訳ないけれども今日尋ねて貰える?お願いします。』
「明日香さん・・・・。」
本当に明日香は以前に比べて別人のように変ったので朱莉は正直戸惑っていた。
(それとも・・・これが本来の明日香さんだったの・・・?)
その時、朱莉の頭の中に翔と女性秘書が親し気に並んで歩いてい写真が蘇って来た。
朱莉は悲しい気持ちになったが、それでもあの女性秘書と翔が結ばれる事だけは想像したくなかった。
明日香を安心させる為にも、自分の為にも、何としても翔と秘書の関係を明白にしておかなければと改めて朱莉は思うのだった。
朝9時―
朱莉がウィークリーマンションを出ると、外は冷たい小雨が降っていた。
「あ、雨・・・。そ、それに肌寒い・・・。沖縄とは大違いね。」
朱莉は両手で自分の身体を抱きしめると、一度部屋に戻り、折り畳み傘と念の為に持って来たコートを羽織ると再び外に出た。
そして玄関先で明日香にメッセージを打った。
『おはようございます。これから安西弘樹先生の興信所へ行ってきます。また後程ご連絡致します。』
短くそれだけ打つと、朱莉はコートの襟を立てて傘をさすと住所を頼りに興信所へと向かった―。
安西弘樹興信所―
そこは上野駅不忍改札口から徒歩5分程の雑居ビルの3Fにあった。
朱莉は雑居ビルを見上げながら呟いた。
「まさか自分の人生の中で興信所を使うなんて夢にも思わなかったな・・・。」
このビルにはエレベーターが無かった。
朱莉は狭い階段を上り、事務所のドアの前に立って始めてある事に気付いた。
「あ・・・そう言えば・・電話でアポの予約を入れていなかったっけ・・・。どうしよう。大丈夫かな・・・?」
でも、もうここまで来てしまったのだ。朱莉は意を決してインターホンを押した。
ピンポーン
すると・・ガチャリとドアが開けられ、50代位と思われる男性が朱莉の前に姿を現した。
「こんにちは。突然訪問してしまいましたが・・・。」
朱莉が言いかけた時、男性が笑顔で言った。
「おや?もしかして・・・貴女が鳴海朱莉さん・・ですか?」
「え?ええ・・・。」
「待っていましたよ。明日香君から電話を貰って、本日貴女がこちらへやって来るとお話を伺っていたので。さあ、どうぞ中へお入り下さい。」
朱莉を応接室へ案内すると、男性は朱莉の向かい側席に座り、名刺を差し出して挨拶をしてきた。
「初めまして。私は安西弘樹と申します。ここの興信所の所長を務めています。」
「初めまして。私は・・・鳴海朱莉と申します。」
未だに朱莉は鳴海の姓を名乗るのが苦手だった。
「ええ、明日香君のお兄さんの奥さんですよね?いや~それにしても明日香君から伺った通りの女性だ。」
安西は笑顔で言う。
「え?」
一体明日香は安西に朱莉の事をどのように説明したのだろうか?
「とても愛らしい女性だと・・だから羨ましいと明日香君が言っていましたよ?」
安西はニコニコしながら朱莉に言う。
「え・・・?その話・・本当ですか?」
「ええ、本当ですよ。」
朱莉には信じられなかった。あの明日香が自分の事をそんな風に思っているとは今迄考えた事すら無かったのだ。
(明日香さん・・・私達・・・これから少しずつ・・歩み寄っていけるでしょうか・・・?)
朱莉は心の中で沖縄にいる明日香に問いかけた。
「ところで、朱莉さん。ご主人の浮気調査と言う事でよろしいのですよね?」
突如安西に話かけられ、朱莉は一瞬自分が他の事を考えている事に気が付いた。
明日香はどうやら朱莉の夫の浮気調査と言う事で安西に話を持ちかけていたらしい。
「は、はい。そうです・・。あまり長くは時間をかけられないので・・・出来れば3日程で調べて頂けないでしょうか?」
そうだ、安西先生に不審がられないようにしっかりしなくちゃ。
朱莉は背筋を正しながら尋ねた。
「実は今朝、明日香君から調査費用の前払いとしてすでに50万円受け取っているんですよ。いや~流石、売れっ子イラストレーターですよね?そこで既にうちの若いスタッフ2名に昨夜から調査を始めさせているんですよ。先程、連絡が入ってきたところです。」
そして安西は立ち上がると、机の上に載っていたノートパソコンを手に取ると、再び朱莉の前に腰を下ろした。
「どうぞ、御覧になって下さい。」
「は、はい・・・。」
朱莉は恐る恐るPC画面を見た。そこには翔と新しい女性秘書が立派な門の前でベンツに乗り込もうとする写真が映っていた。写真を見る限りでは夜のようである。
「!こ、これは・・・?」
朱莉は息を飲んだ。
「これは鳴海邸の前でうちのスタッフが取った昨夜の写真です。どうも何処かのホテルで開催された記念式典に参加したようですよ。ああ、そうだ。こちらの写真も御覧になって貰わなくてはなりませんでしたね。少し、失礼します。」
安西は朱莉の側でPCを操作すると、次の写真を出した。そこに写っていたのは・・。
「え・・・?も、もしかすると・・ひょっとして鳴海・・・会長・・・?」
朱莉は一度しか会った事が無かったが、画面に映る顔には見覚えがあった。実は朱莉は少しでも鳴海家の会社について学んでおこうと思い、ビジネス雑誌に鳴海グループの特集が組まれていた際には購入して読んでいたので顔はよく覚えていたのだ。
圧倒的なカリスマ性、まるで鷹の目のような鋭い瞳・・・。
画面を食い入るように見つめる朱莉に安西は言った。
「どうやら、数日前に日本に戻って来ていたようですよ?そしてホテルで記念式典が開催されたようですね。」
安西は朱莉に言う。
「そ、そうだったんですね・・・。日本に戻って来ているなんてちっとも知りませんでした。」
「朱莉さん。明日香君は今体調が悪くて沖縄で療養しているそうですね。そして・・・貴女は明日香君の付き添いで、同じく沖縄に滞在中と聞いていますが・・。今回はご主人の浮気を疑って・・わざわざ東京まで戻って来られたのですね?その・・・身重な身体で・・・?」
安西は朱莉をチラリと見ながら言った。
「は、はい・・・!」
朱莉は強く頷いた。
(良かった・・・念のためにお腹にタオルを挟んでおいて・・。)
「明日香君から聞いたのですが・・・今から3日前に不審なメッセージと共に朱莉さんの夫である鳴海翔さんとこの女性秘書が一緒に写っている写真が送信されてきたそうですね?しかも明日香君のメールアドレスに・・。」
安西はじっと朱莉を見つめながら語り掛ける。
「そ、そうです・・・。」
朱莉は心臓が苦しくなってきた。
どうしよう・・・もしかすると・・・安西は朱莉と明日香の事を・・・何か疑っているのかもしれない・・・と。
すると、その時安西がため息をついた。
「朱莉さん・・・こういう商売はお互いの信頼関係が最も重要なんです。だから・・正直に話して頂けませんか?もし口止めされているのでしたら、私が明日香君に電話して彼女を説得しますから。」
そして安西は朱莉の目をじっと見つめた―。
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