8-4 それぞれの長い夜
朱莉はスマホを震える手で握り締めた。
いつもの朱莉なら翔からのメッセージに心を躍らせていたのだが・・・今日だけは違う。
(怖い・・・このメッセージには一体何て書かれているの・・?翔先輩・・・貴方は今何を考えているのですか・・・?)
朱莉は深呼吸をすると、翔からのメッセージをタップした。
『こんばんは、朱莉さん。近々出張で鹿児島支店に行く事になったんだ。その時に沖縄にも寄らせて貰うよ。朱莉さんにも新しい秘書を紹介したいし。日程が決まったらまた連絡するね。そう言えば車は買えたのかな?沖縄に行ったら朱莉さんの車を見せてくれるかい?たのしみにしているよ。それじゃまた明日。お休み。』
「・・・・。」
朱莉はじっと翔から届いたメッセージに目を通し・・・何度も読み返し、終いには目を擦ってみた。
今夜の翔からのメッセージには・・・違和感を感じる。
(え・・・?ど、どうして・・・今夜のメッセージに限って・・・明日香さんの事が何一つ書かれていないの?いつもなら必ず明日香さんの事が・・書かれているのに?それに・・秘書の方について書いて来たのも初めてだし・・・。)
単なる偶然なのだろうか?
今の朱莉は本日明日香から見せられた写真とメッセージで疑心暗鬼になってしまっていた。
だけど、ずっと明日香と翔の事を誰よりも近くで見て来たのは自分だと思っている。
朱莉に取っては悲しい事だけども・・・明日香と翔の間には決して揺らぐことのない強い愛情で結ばれていると感じていた
それこそ・・・朱莉の入り込む隙等無いほどに・・・・。
こんな内容のメッセージを明日香に見せられるはずが無い。自分の事が何一つか書かれておらず、代わりに新しい秘書の事が書かれているのを目にすれば・・・・あのプライドの高い明日香の事だ。どれだけ深く傷ついてしまう事だろう。
朱莉は明日香に今迄散々辛い目に遭わされて来たけれども、妊娠してからは徐々に明日香は変わって来ていた。だから、朱莉も色々思う所があっても・・明日香の態度が軟化して来たので歩み寄れたら・・・と考えていたのだ。
なので、余計に今の話を明日香に知らせる訳にはいかない。
「そう・・・たまたま。たまたま、今夜のメッセージは・・・明日香さんの事が書かれていなかっただけ・・・。」
朱莉は無理に自分に言い聞かせた。それに今は明日香の事ばかりを心配している訳にはいかない事情が発生してしまった。
翔からのメッセージには近々沖縄に行くと書かれていたけれども・・それはいつの事なのだろう?
もし数日以内だとしたら、朱莉は東京にいつまでも残っている訳には行かない。それによくよく考えてみれば・・・翔には内緒で東京へ来ているのだから、同じ億ションに住んでいれば、いつどこで翔と鉢合わせをしてしまうか分かったものでは無い。
それは京極に対しても言える事だ。
「私ったら・・・馬鹿だったわ・・。ここにいたら・・2人に見つかってしまうかもしれない。何処かホテルか・・・ウィークリーマンションを探さなくちゃ・・・。」
そして朱莉は明日香から預かって来た名刺をショルダーバックの中から取り出した。
『安西弘樹興信所』
住所を見ると、台東区上野となっている。
「上野なら日比谷線でここから1本で行けるから上野駅周辺で連泊できるホテルか、ウィークリーマンションを探してみよう。自分の足で翔先輩達の事調べたいし。」
自分に興信所のような真似事を出来るとは思えなかったが、朱莉自身が2人の関係について気になって仕方が無かったのだ。
「ごめんなさい・・・翔先輩・・。私は先輩の事・・今少しだけ、疑っています・・・。」
朱莉はそっと呟くと、ネットでホテルを検索し始めた—。
22時半―
明日香はベッドの上で眠れぬ夜を過ごしていた。こんなに不安な夜を過ごすのは・・あの時以来だ。こうして1人きりでいるとあの日の夜を思い出してしまう。
母が、まだ幼い子供だった明日香を捨てて・・・・新しく出来た恋人の元へ去って行ったあの日の夜が―。
あの時から明日香は鳴海家で居心地の悪い立場の人間となってしまった。
元々明日香は父親が誰かも分からない子供で、連れ子として鳴海家へやってきたのだ。それでも母がいる分にはまだ鳴海家での居場所はあった。
しかし、母親が自分を捨てて出て行ってしまってからは・・・明日香はますます立場が悪くなり、邪魔な存在扱いをされ・・・特に翔の祖父からは徹底的に嫌われた。
子供の頃は意味が分からなかったが、祖父からはお前は娼婦の娘だと良く言われて来た。鳴海家の使用人達からは馬鹿にされ・・・陰でいじめられていた。
義理の父親は優しかったが、祖父に疎まれ、海外勤務へ追いやられて屋敷からはいなくなってしまった。
そんな居心地の悪い屋敷の中で・・・唯一の救いが血の繋がらない数カ月だけ年上の兄の翔だったのだ。
毎日泣いて暮らす朱莉を見兼ねた翔は・・・明日香の母親をこの屋敷に呼び戻そうとする為に、ある行動を起こした。
それこそ、子供ながらの浅はかな行動を・・・。
そしてあの事故が起こり―翔は明日香から離れなくなったのだ。
「翔・・・・。ひょっとして・・私に対する罪悪感から・・私と一緒になろうと思ったの・・?本当は・・・私の事は・・・好きじゃなかったの・・?」
明日香の目に涙が浮かんできた。
その時、明日香のスマホが着信を知らせた。その相手は朱莉からだった。
「朱莉さん・・・。」
明日香は朱莉からのメッセージを読んだ。
『こんばんは。明日香さん。夜分にすみません・・。実は東京に戻ってから、一度部屋に戻ったのですが、考えてみればこちらには翔さんが住んでいます。鉢合わせをする危険性があると思うので、ここを出て今から上野にあるウィークリーマンションへ滞在する事にします。上野でしたら明日香さんが紹介して下さった安西さんの興信所もありますし、日比谷線で乗り換え無しで六本木に出る事も出来ますから。後・・・私の方でも翔さんと新しい秘書の方が気になるので、少し調べてみようかと思います。それではまた明日ご連絡致します。』
「朱莉さん・・・こんな夜に上野へ行くなんて・・・大丈夫かしら・・。私が行ければ良かったのに・・・。ごめんなさい、朱莉さん・・・。」
(翔・・・いつもなら欠かさず連絡をくれたのに、どうして今夜に限って何も連絡を入れてくれないの・・?やっぱり貴方はあの秘書と・・・?)
そして不安な気持ちを抱えたまま、明日香は目を閉じた―。
その時、京極はベランダに出て月を眺めながら缶ビールを飲んでいた。ベランダから下を除けばライトアップされた美しい噴水が浮かび上がって見える。
何気なくその噴水を眺めた京極はある人影に気が付いた。
それは女性で、大きなキャリーケースを引きずりながら、顔を隠すように俯き加減で足早に歩いている。
その姿が・・・何故か朱莉に被って見えた。
(あれは・・・朱莉さん・・?いや。まさか・・・な。大体彼女は今沖縄にいるんだ。東京にいるはずが無いし・・・。別人に決まっている。)
だが、京極はその女性の後姿から・・・何故か目を離す事が出来なかった。
そして思った。
本物の朱莉に会えないなら・・・せめて、今あそこにいる女性を朱莉だと思って、見送ろうと・・・。
やがてその女性の後姿が見えなくなると、京極は飲み終えた缶ビールを持って部屋へと入ってきた。
そしてスマホを手に取ると、番号をプッシュして電話を掛けた—。
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