5-13 母と娘

「お母さん、迎えに来たよ。」


朱莉は笑顔で母の病室へとやって来た。


「あら、朱莉。早かったのね。でも・・・・嬉しいわ。貴女と一緒に1日過ごせるなんて何年ぶりかしらね?」


朱莉の母は笑顔で言う。母はもうすでに外泊の準備が出来ており、いつものパジャマ姿では無く、ブラウスにセーター、そしてスカートをはいてベッドの上に座って朱莉を待っていたのだ。


そしてその後ろから琢磨が病室へと入って来ると挨拶をした。


「初めまして。朱莉さんのお母様ですね。私は・・・。」


すると母が言った。


「まあ!貴方が・・・翔さんですね?初めまして、私は朱莉の母の洋子と申します。いつも娘が大変お世話になっております。」


そして深々と頭を下げる。それを朱莉は慌てて言った。


「お母さん、待ってこの方は違うのよ。この方は・・・。」


すると朱莉を制するように琢磨が言った。


「私は鳴海副社長の秘書を務めております九条琢磨と申します。本日は多忙な副社長に代わり、お迎えに上がりました。どうぞよろしくお願い致します。」


そして深々と頭を下げた。


「ま・・・まあ、そうだったのですね?申し訳ございませんでした。私ったらすっかり勘違いをしておりまして。」


洋子は自分の勘違いを詫び、頬を染めた。


「いえ、勘違いされるのも無理はありません。それでは参りましょうか?お荷物はこれだけですか?」


琢磨はテーブルの上に置かれているボストンバックを持つと言った。


「は、はい。そうです。」


洋子が返事をすると、琢磨はボストンバックを持って歩き出した。


琢磨を先頭に朱莉と恵美子が並んで歩く。そして洋子が朱莉に小声で囁いた。


「嫌だわ・・・私ったらすっかり勘違いをしてしまって・・・。」


「いいのよ、お母さん。だって・・・分からなくて当然よ。」


朱莉は笑みを浮かべると言った。


「え・ええ・・・。そうよね・・・。でも・・・鳴海って苗字・・何処かで聞き覚えがあった気がしたのだけど・・・?」


洋子は首を傾げたが、朱莉はそれには答えず、代わりに言った。


「ねえ、お母さん。今夜はね、お母さんの好きなクリームシチューを作るから楽しみにしていてね?」


「うん、有難う。朱莉。」




「今、正面玄関に車を回してくるので、こちらでお待ちください。」


琢磨は朱莉と洋子に言うと、足早に駐車場へと向かっていく。

そしてその後姿を見送りながら、洋子が朱莉に言った。


「あの九条さんと言う方・・・すごく素敵な方ね?」


「うん。そうなのよ。だけど・・・今はお付き合いしている女性がいないみたいなの。」


「そうなのね・・・誰か好きな女性でもいるのかしら?」


「さあ・・そんな話は聞いたことがないけれども・・・。あ、お母さん。九条さん来てくれたよ?」


琢磨は車を正面玄関に横付けすると車から降りてきた。


「どうもお待たせ致しました。ではお乗り下さい。」



そして朱莉と洋子が乗り込むと、琢磨はアクセルを踏んで車は滑るように走り出した。



 車内の後部座席では朱莉と洋子が楽し気に話をしている。そんな2人の様子をバックミラーで見ながら琢磨は思った。


(良かった・・・朱莉さん・・・幸せそうで・・思えば彼女がこんなに楽しそうな姿を見せてくれるのは今日が初めてかもしれない。)


琢磨の知る朱莉はいつも何処か寂しげだった。小柄で華奢な身体付きで、すぐに目を伏せて悲しそうな表情を見せる姿は・・・とても痛まし気な気持ちにさせられてしまう。そんな朱莉が今日は自然な笑みを浮かべて母親と話をしている。


その朱莉の笑顔が自分に向けられている訳では無いが・・・琢磨は小さな幸せを感じていた。



 やがて車は朱莉の住む億ションへと到着した。

車から降りた朱莉の母はその余りの豪勢な億ションに驚いていた。


「あ・・・朱莉・・・。貴女・・こんな立派な家に住んでいたの・・・?」


「う、うん。そうなの・・。」


朱莉は少しだけ目を伏せると言った。

(ごめんね・・・お母さん。ここは・・私の家じゃないの。将来的には翔先輩と明日香さんが2人で一緒に暮らす・・・)


「朱莉・・。どうかしたの?」


母は朱莉の様子に異変を感じ、声を掛けると琢磨が即座に話しかけてきた。


「あの、それでは私はこれで失礼致しますね。直に副社長もいらっしゃると思いますので・・・。」


「まあ、ここでお別れなのですか?どうも色々と有難うございました。え・・と・・?」


朱莉の母が言い淀むと琢磨が言った。


「九条です。九条琢磨と申します。」


「ああ、九条さんですね…?本当に今日はお迎えに来て頂き、ありがとうございました。」


そして頭を下げた。


「いいえ、とんでもございません。それではまた何かありましたらいつでもご連絡下さい。それでは失礼致します。」


そして琢磨が背を向けて車に戻ろうとした時・・・。


「九条さん。」


朱莉が琢磨に声を掛けた。そして琢磨が振り向くと、そこには笑みを称えた朱莉が見つめていた。


「九条さん。本当に・・今日はありがとうございました。」


「!い、いえ・・・。」


琢磨は視線を逸らせると、まるで逃げるように車に乗り込み、そのまま走り去って行った。


「どうしたんだろう・・・・?九条さん。あんなに急いで帰って行くなんて・・?」


朱莉が首を傾げると母は言った。


「・・・秘書のお仕事をされているそうだから・・・忙しいんじゃないかしら?」


「うん。そうだね・・・。」


(今度九条さんに何かお礼をしないと・・。)


そして朱莉は母を振り向いた。


「お母さん、それじゃ私の住まいに案内するね。」



エレベーターに乗り、玄関のドアを開けるまで・・朱莉はずっと不安だった。母から今週外泊許可が下りたという話が出てから、朱莉はまるであたかも翔が朱莉と一緒に住んでいるかと思わせる為の痕跡づくりに奔走していた。


朱莉はお酒を飲むことは殆ど無いが、ウィスキーやワインを買って棚にしまったり、ビールのジョッキやカクテルグラスを買ったり・・・男性用化粧水やシャンプー剤を取り揃えたりと・・・何とか母にバレないようにする為に男性が必要と思われるありとあらゆる品を買い・・・まるでモデルルームのようにすっきりしている部屋も大分生活感溢れる部屋へと変わっていた。



「さあ、お母さん。着いたよ、中に入って。」


朱莉は自分の部屋に到着すると鍵を開けて、母を中へと招き入れた。

途端に母の目は丸くなる。


そこはあまりにも広く、豪華すぎて・・・朱莉の母には衝撃的だった。


「あ・・・朱莉・・・。貴女・・こんな立派な部屋に住んでいたの?」


「う、うん・・・。そうだったの。さあ、お母さん。中に入って。」


「ええ・・・お邪魔します。」


朱莉の母は靴を脱いでおずおずと中へ上がると、朱莉が言った。


「お母さんはリビングで休んでいて。すぐにコーヒーを淹れるから」


「え・ええ・・。分かったわ。ところで・・・朱莉。翔さんは・・・どちらにいらっしゃるのかしら?」


その言葉に朱莉の方がピクリと跳ねるのを・・・母は見逃さなかった。


「え、えっと・・・今少し仕事が立て込んでいて・・・でも夜には必ず来るから・・・それまで待っていてくれる?」


「ええ・・。分かったわ。朱莉。」


母は・・・そう返事をしたが、実はこの部屋に足を踏み入れた時から何か違和感を感じていたのだ。

この部屋には・・・男性の気配が感じられないと言う事に。


部屋の隅々を見渡せば、二人分の食器も揃っている。だが・・何処か冷たい、殺伐とした空気を感じたのだ。


それは母親の直感というものだったのかもしれない。

朱莉は上手くごまかせたと思っているようだが、洋子は気が付いてしまった。


この部屋には・・・朱莉が1人きりで暮していると言う事に―。

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