3. 譲れないもの
「私の踊りはねえ、見世物じゃないのよ」
何杯目かのカクテルを無造作に飲み干し、据わった目のままカーミラは叫ぶ。バーテンダーを睨みつけるがその焦点は定まらない。
「でもカーミラさん、踊り子としてお金もらってるんだろ」
「風俗じゃないってことよ!」
がなり立てると喉の奥がヒリヒリと痛む。それでもカーミラは止められない。溢れてくる不平不満が喋る速度を加速させていく。
「何よあのガリガリ男、ストリップと舞踏の区別もつかないわけ⁉ 私は身体を売るために踊ってるわけじゃないの。そんなのと同類扱いされるなんてほんと」
「へーえ。あんたの踊りはさぞかし高尚なんでしょうね」
隣に腰かけた女を見てカーミラは露骨に嫌な顔をした。眉根を寄せ、ひらひらと片手で追い払う仕草を見せる。このバーで出会った常連客であるが、ここ以外で会ったことはない。名前を聞いた気もするが今は思い出せない。ただ、刃物みたいに辛辣な言葉がひたすらに癇に障る女だ。
ムカつくクソアマ。認識としてはそれだけで十分だ。どうしてこんなにカーミラに突っかかってくるのかはわからないけれど、たぶん他人に毒を吐いて優越感に浸りたいだけの矮小な女なのだ、きっと。そう思っておかないとオトナの対応なんてできない。もっとも、できるとは言っていないが。
カーミラは焦点の定まらない瞳で女を見る。ぼけた視界の中でも挑発的な笑みだけは口元に確認した。吊り上げられた口角が他人を見るからにバカにしている。
「……なによ」
「別に。あんたが上から目線に話すものだから気になっただけ」
「はあ?」
上から目線? それは日中に会った支配人みたいな男のことを言うのだ。カーミラはそう反論する。もちろん、目の前の女は支配人を知らない。それでもカーミラは堰を切ったようにまくしたてた。
「あの男は私たちを、エンタメをバカにしてる。自分のビジネスを成功させるために工夫が必要なのはわかってる。ダンサーは若くて華がある女の子の方が受けがいいのも知ってる。でも、だからって私を切るのに見下すような言い方をしなくたっていいじゃない。私は道具じゃないのよ」
「道具でしょ」
隣の女は一切の迷いなくそう言い切った。酒で赤くなっていたカーミラの顔が一層赤くなる。血が脳天まで一気に流れ込んでいくような怒りを感じた。
「私は人間よ、職業人よ、踊ることに誇りをもって仕事をしている……!」
「ほら。そのプライドがあんたの態度を硬化させてるんじゃない」
女は激昂するカーミラにも動じず淡々と語る。
「私は専門外だけど、その男とやらの思考は理解できる。商売ってのは結局売れることがすべてでしょう。受けがいい
「あなたに何が」
「それにあんただってその男を見下してるじゃない。何が違うっていうの?」
「違う!」
あの男と同列に扱われることがカーミラには耐えられなかった。違う、ともう一度強い語気で否定する。だが言葉を並べれば並べるほど、女は冷静に論破していくのだった。冷え切った翡翠の瞳がカーミラを見下す。
「雇用主の期待に応えられないならそれは商売として成り立たない。あんたがそのプライドを捨てられないっていうのなら、趣味で好きな踊りでもしてればいい」
「私は、私の踊りで皆を笑顔にしたいの! 趣味なんかじゃ……」
「なんでそれでお金を取れるって思ってるの?」
「――え」
一瞬、問われている意味がわからなかった。カーミラの沸騰した頭が急速に現実に引き戻され、冷やされていく。冷水のごとき女はなおも言葉を紡ぐ。
「その辺で踊って無償でやればいいじゃない。あんたの思うパフォーマンスをして、相手もタダで笑顔になって。それでお互い幸せでしょ。なんで金を貰う必要があるの」
「それは、だって」
お金がなければ生活できない。カーミラは生きていけない。生きて食うためには踊りが必要なのだ。踊りで生計を立てなければいけないと思ってきた。自分が踊り、観客も笑顔になるのなら、これ以上の天職はないと、本気でそう信じて踊ってきた。
痛いところを突かれた。どんなにきれいごとを並べても、結局カーミラはお金を貰う必要があるのだ。お金を貰うついでに相手を喜ばせることができたら、この罪悪感も緩和されると思っていた。蓋をしていた感情が内側からガタガタと揺れる。溢れてくる。それを押しとどめようとカーミラは両手で顔を覆う。火照りはすっかり収まっていた。
「あんたがやっていることはボランティアじゃないってこと、もっと自覚すべきだと思う」
翡翠の目を持った女が席を立つ。言いたいことは言い切ったと言わんばかりに。今度はカーミラが縋る番だった。
「待って!」
しかし女は立ち止まらない。カーミラはもつれる足で女を追う。
「私には踊りしかないの。踊りしか」
伸ばした腕は空を掴む。指の先すら女には届かず、バーのドアが無慈悲に閉ざされた。
周囲の喧騒が急に耳に入ってくる。陽気なコール、罵声、品のない笑い声。いるべき世界に引き戻されたかのような、魔法にかけられたかのような時間だった。ゆっくりと彼女がいた席を振り返る。水滴が残ったカクテルグラスに、手のつけられていないチェリーがひとつ転がっていた。
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