ある休日のひる
太陽が真上にのぼる。じりじりと肌を焼く。なけなしの風はアスファルトの熱気を首筋に押しつけて、かえって体温を上げていく。ぐびぐびとペットボトルの麦茶を飲めば、途端に体から噴き出る汗。函館の夏はこんなに暑かっただろうか、と土方は毎年思っている。
「これじゃ俺たちが焼肉になっちまうなあ」
麦わら帽の榎本が炭の段ボールを地面に置いて、顎に垂れた汗をぬぐう。もう全身汗でびしょびしょで、それでも体は冷えていかない。ここがキャンプ場だったら、今頃パンツだけになって川に飛び込んでいる。しかしここは五稜郭タワーを望むぼろハイツの駐車場。裏を通る川はコンクリートでガチガチに舗装されていてそんなに深くないし、だいたい成人男性が往来でパンイチになる訳にもいかない。
「いっそもう飲んじまうかい榎本さん」
「おっ沸いてんねえ~~~」
ハイツの倉庫からバーベキューセットを出してほこりをはらっていただけで脳みそが沸騰している。宴を始めるのは夕方からだが、火起こしは昼のうちから始めていなければいけない。灯油ストーブの上にほろった雪のように、ジュッと一瞬で意識が溶けるに違いない。なんなら自分自身ごと無くなってしまいそうだ。土方は本当に気が遠くなった。
「でも本当に暑いや。もう、極北だから涼しいなんて嘘じゃないか」
土方はのそりと榎本を見た。榎本は部屋からバケツに汲んできた水と百均のふきんで、金網を拭いているところだった。何気に土方より元気があるのは、水に触っているからだろうか。
「でも、すっかり夏の盛りだな、榎本さん」
今度は榎本が土方を見た。が、土方は既に倉庫の方へ向かっていってしまった。椅子かなにかでも持ってくるのだろう。榎本はその背を思わず見つめてしまった。土方のTシャツは、すっかり汗で色が変わっていた。
「そうだねェ」
それだけ返して、榎本はまた金網に目を戻した。けれど脳裏にはまだ土方の背があった。一五〇年とちょっと前、確か自分は残暑厳しい頃に彼と合流し、初夏がはじまった頃に別れたように記憶している。とすれば、盛夏の空を二人で見上げるのは、今生がはじめてかもしれない。榎本はちらりと空を見た。麦わら帽のつば越しに見る憎々しい太陽と、それからペンキでも塗ったような青色の空。そして広げた腕より遥かに大きい、空に立つ雲。
榎本は金網を一度きれいな新聞紙の上に置いて、それから使っていないふきんを濡らしてしぼる。倉庫の方からオイショ、と声がして土方がのそのそ出てくる。汗をだらだらと垂らして、彼は生きている。折り畳み椅子を何脚かどかっと地面に置いて、土方はううんと伸びをした。
「土方くん、」
榎本はよびかけて、濡らしたふきんを投げた。土方はちょっとびっくりして、左にそれたふきんをキャッチする。
「なんだこれ」
「首とか拭くんだよ。打ち水みたいなもん、やらないよかマシだろ」
「なるほど。ありがとな榎本さん」
土方は首をふきんで拭いて、あっこりゃ確かに涼しいわ、と表情をやわらげた。それを見ていると自分もやりたくなって、榎本は金網をふいていたふきんを折り返して首にあてた。
「あーーーいいなこれ滅茶苦茶気持ちいい」
「なんだよ、アンタが言ったんだろ」
「言うのとやるのは違うって……いやマジでいいな、俺いま生きてるわ」
首を一周拭いて、それからうちわで扇ぐとすずしさが格段に違う。思わず榎本は土方と目を合わせて、それから笑った。
しかしそんな涼しさなど、まさに焼け石に水。十分後には二人ともまた白眼になっていた。
「あれ、もう始めてるの?」
土方は白目をむいたまま声の方を向いた。ハイツの一階右端の部屋から二人の男が出てきたところだった。
「荒井さんと甲賀さんか……」
「うわ眼球のタンパク質凝固しだしてない? 大丈夫?」
荒井は持っていた扇子で土方を扇ぐ。土方は「゛あ~~~」とどこから出しているのか怖くなる声を出す。一方二人はさっきまで冷房にあたっていたのか、パタパタと手で首筋を扇ぎながらもまだ涼しそうだ。シンプルにいいなあ、と榎本は思う。二人が出てきたのは荒井の部屋で、据え置き型のクーラーがある。甲賀は恐らく買い出しの前にと、涼みにお邪魔していたのだろう。荒井の手には近所のスーパーの買い物カゴ、甲賀の手には車のキー。
「荒井さんたちはもう買い出しか?」
榎本はぬるくなった麦茶のペットボトルを首にあて、折り畳み椅子を広げて脱力していた。
「そうそう。解凍を考えるともう行かなきゃ」
にしても暑いねえ、と眉を下げる荒井をほったらかして甲賀は車のエンジンをかける。そうして乗り込んで、一瞬で外に出てきた。
「朝からクーラーつけときゃ良かった……」
「車の中なんかもっと暑いだろう?」
榎本が力なく笑う。甲賀は車のクーラーを全開にしたらしい、こっちまでゴォォという音が聞こえてくる。
「しかしなんだって今日に限ってこんなに暑いのかね」
榎本は麦茶をぐいと飲む。そうして空になってしまったペットボトルをたわむれに振る。
「夕時には涼しくなってるといいけどな」
荒井は勝手にもう一脚椅子を出している。どうせ後で人数分広げるから別にいいのだが。土方は椅子を開くのも面倒で、炭が入った段ボールの上に腰かけた。すると地面と近くなって一層顔にあたる熱が強くなる。もう地獄しかないのか。
「一緒に行くか?」
甲賀が車の中をちらりと覗く。甲賀の車は中古のファミリーカーだ。そこそこごついし小回りもききにくいが、甲賀は割と一方通行の狭い路地にすぐ入りたがる。どうしてでかい車種にしたのだろう。ちなみに甲賀も荒井も、なんならハイツ五稜郭の住民は全員フリーターだ。
「涼めるならなんでもいい……」
土方は脳直で声を漏らした。土方もさっき飲み切っていた麦茶のかえは部屋に戻ればあるが、自分たちの部屋は二階で階段を上らなければ取りに行けない。上っても地獄、座っていても地獄。部屋に戻ったからと言ってあるのは異音のする扇風機くらいで、冷たいものは何もない。今朝炊けた米を小分けして冷凍庫に入れておいたくらいだ。とにかく土方は、早く楽になりたかった。
「うん、じゃあ休憩も兼ねて一緒に買い出しに行こう。スーパーはきっと冷房も効いてるし」
荒井はそう言うと、甲賀の車の後ろの席に飛び乗って荷物を整理しだした。甲賀の車のはずだが勝手知ったる我が船とでもいった様子だ。まあなにはともあれ、榎本と土方は安堵した。
榎本が席を覗くと、荒井は席にタオルケットを敷いていた。そう言えば自分たちは全身汗でぬれているのだった。
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