第十五話 手紙
「休みだーーーーー!!!!」
まだ陽が上がったばかりの早朝。屋内に備え付けられた大窓を開け放ち、おどろおどろしい空を見上げながら声を上げた私の隣、これまた早起きなイゼがパチパチと手を鳴らした。
私よりも何センチか身長の低い彼は、窓を開けたからかガスマスクを装着し、しゅこーっ、と間の抜けた音を発している。
「休みですよ、イゼ! さあ何をしましょうか!」
「しゅこー」
「ぐうたらするも良し、お外に出かけるも良し、なんでも出来ますよ!」
「しゅこー」
「この間はガレイスと支配人と共にピクニックに赴きましたし、ここはイゼが仲間に加わったということでサーフィンにでも行きますか!」
「しゅこー」
「いえいえ! ここの海は酸の海です! 生物も住みつけない最悪な海環境ですよ!」
「そんな場所に行くわけないだろお前はバカか」
サラリとしたツッコミが入れられ、振り返れば廊下の方に鳥頭──ガレイスがいた。彼は眠たげに目を細め、「朝から騒々しいぞ」と文句を告げている。失礼な。
私は腕を組み、憤慨したというように口を開く。
「私の魔法があれば酸の海で泳ぐことも可能です! 舐めないでいただきたい!」
「舐めてないし酸の海なんぞで泳ぎたいとは思わん」
「またまたぁー!」
ズカズカと寄られ、ガッと頭をわし掴まれた。痛い痛い。
必死にガレイスの手から逃げようと奮闘する私の隣、窓を閉め、ガスマスクを外したイゼが「しかし、酸の海ですか……」と言葉をこぼした。
「なんというか、本当に廃れた世界ですね、ココは……」
「イゼの所は違ったのか?」
「はい。僕のいた場所はごく普通の場所でした。空は青く、雲は白く、夜になれば満天の星が空に散って……まあ僕下水道に住んでたんで星なんて殆ど見ませんでしたけどね」
「ぶっ込むな」
つっこんだガレイスから解放され、私は頭部を擦りながら口元を尖らせる。
休みの日くらい遊んだっていいじゃないか。
言えば、彼は「こんな巫山戯た世界で遊べる場所などあるわけないだろう」と吐き捨てた。その意見には肯定を表すがしかし頷きはしないぞ。私はぶすっと頬を膨らます。
「探せば遊べる場所だってあるはずです。この世界はまだ終わってない」
「どう見ても終わってるだろ。空の色は不穏。空気は毒入り。変な生き物が彷徨いている。おまけに変な男までいる始末。……終わってるだろ」
「二度も言わないでください!」
というか変な男とは支配人のことだろうか?
確かに彼は変人という言葉が大変似合うが、それでも生きていることに変わりはない。あの毒ガス満ちる世界の中で唯一平気な顔して歩ける彼は、なんというか人の域を超えているとは常々思うが、されど人間だ。見た目あれだが人間なのだ、彼は、確かに。
私はふむ、と考えつつ、「支配人にちょっかいでもかけに行きますか?」と提案。これをガレイスは即座に拒絶した。どうやら彼は支配人が苦手なようだ。気持ちはわからんでもないが普通に接せばいい人なんだけどな、支配人……。
「とりあえず、休みだからと羽目を外すな。少しは家でゆっくりしろ。連日忙しかったんだ。休息は大事だ」
「えええええええ!!!!!」
「叫ぶな!!!!」
ベシン!、と頭を叩かれ泣く泣くそれを抑える。
ガレイスってば臆病な童貞さんのくせして暴力的だ。見かけによらないとはこのことをいうのだろうか?
じゃれ合う私たちをよそ、机に置かれていた新聞を手にし、それに目を通すイゼ。彼は黙々と記事の文字を追っていくと、やがて「疑問なんですが」と口を開いた。
ガレイスと二人彼を振り返れば、イゼは手にした新聞を視線で示す。
「この世界は廃れているのに、新聞は届くんですね。どこから、誰が、どのようにして届けてくれているんですか?」
「ああ、それは──」
言いかけた時、外からベルの音が聞こえた。
一体なんだと一斉に窓の外を見やる二人をよそ、私は軽やかに駆けつつ一階へ。仄かな明かりを灯す店内を通過し、扉に近づきそれを開く。
「やあ、魔女リリィ」
「お久しぶりです! リトさん!」
目の前に佇む赤毛の男を見て、私は朗らかに微笑んだ。
◇◇◇◇◇◇
情報屋。それはありとあらゆる情報を集め、整理し、提供する団体である。
彼らはその殆どが獣──所謂獣族というもので、唯一人間であるのは彼らを束ねる長くらいのものだろう。
彼らの知識量は凄まじく、中でも長はあらゆる世界の情報をその頭の中に有していると聞く。故に、その知識を発散するために、彼は部下を使って新聞を作成。情報屋の名のもとに、それを販売しているのだという。
「で、その長がこの方。情報屋団長、リトさんです」
一階へと降りてきた二人に紹介したのは、先の赤毛の男性だった。
黒いスーツをきっちりと纏った彼は、大きめのシルクハットを頭に被っており、そのシルクハットにはキャンディーやらチョコやらが差し込まれている。彼はそのキャンディーを一本引き抜くと、包装を破りそれを己の口内へ。自分と同じく貼り付けられたような笑顔を浮かべるキャンディーの表面に歯を立て、ガリガリと噛み砕く。
弧を描くように細められた目が、静かに前方の二人を写した。
「……トリアタマの迷い人と、捨てられ子供、というところかな?」
一拍の間を置き、二人の事を口にするリトさん。笑顔の彼は「また面白い拾い物をしたね」と私に笑いかけると、噛み砕いたキャンディーの棒を手近にあったゴミ箱へと放り投げる。
「君は全く、なかなかに良いものを引き寄せる。その釣り人としての才能を、ぜひ我が情報収集に役立てたいくらいだ」
「リトさんの情報網は侮れませんし私如きが役立てるとは思えませんが……」
「そうかい? 生き物は皆情報の宝庫だ。誰一人として役立たないことはない」
にっこにっこと笑う彼は、そう言って懐より手紙を一通取り出した。真っ白な便箋に、赤い蝋封の押された手紙だ。蝋封の模様は龍を模したモノのようで、私は思わずそれを凝視。手渡される手紙を恐る恐ると受け取る。
「レヴェイユからだ。かの怪物男について書かれているはずだよ」
「!」
怪物男、という単語にイゼが反応する。
私はそれを尻目、手紙をしっかりと握り、頭を下げた。「確かに受け取りました」と、そう告げれば、リトさんは陽気に笑って私の肩を数回叩く。
「世は魔女狩りの歴に入る。気をつけることだね、夢の魔女殿」
言って去って行った彼に、広がる沈黙。
イゼが即座に駆け寄ってくるのを見ながら、手紙を一瞥。店内に存在する棚の引き出しに入っていたペーパーナイフで手紙を開け、中身を確認した。綴られていたのは、彼の残した遺書と、遺した子供と、私の身に起こるこれからのことについて。
「……」
私は何も言わずにそっと手紙を懐へ仕舞い、「休みましょうか!」と笑った。ガレイスもイゼも、そんな私に追及してはいけない何かを感じたのだろう。静かに頷くと二階へと消えていく。
『悪夢は再び』
死刑宣告を受けたような気分だった。
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