第7話
母は社交的でこういう時も愛想よく笑顔を作れる人だけど、父は本当に笑顔を作るのが下手だった。それでも式場では瓶ビールを持って無理して作り笑顔を精一杯振りまきながら兄の結婚相手の身内の人にビールを注いで社交的な挨拶をして回っていた。僕はそんな父の姿を見ながら、何故あんな兄の為に自分を安売りするようなことをするのだろうと思っていた。少なくとも生まれてから家を出るまでの二十年ほどの時間、人生の半分に値する間父を見てきた僕はあなたの笑顔はそんなに安いものなのか、と。僕の記憶には父が僕に笑顔を見せてくれたことはない。そんな思いの中、僕はもう一つの違和感を覚えたがそれはすぐに解決した。唯一の孫である僕の二人の子供に対して父は常に笑顔しか見せない。もちろん笑顔を自然に作れない父は二人の孫に対しても作り笑顔をする。しかしその作り笑顔だけは父が自ら望んでそうしているのが僕には分かった。今、式場で父が見せている作り笑顔は自らが望んでいるそれではない。僕はそんなことばかり考えていた。それから嫁に促され、僕も瓶ビールを持って式場のテーブルを挨拶して回った。僕は作り笑顔を本当に上手に作れる。心にも思っていないのに「自慢の兄をよろしくお願いします」と平然と言う。誰もどの辺が自慢なのか聞いてくるはずはないと分かっているからだ。式場の雰囲気も出席者の半分以上が兄の嫁の身内や友人らしく、兄側の人間は少なかった。それは式場が用意した座席の名簿を見れば分かった。僕は肩身の狭さみたいなものは感じなかったけれど、喫煙者である僕はよく飲食店や喫茶店で煙草を吸うならこちらの座席でと、ものすごく狭いスペースに座らされるのに似た気持ちにはなった。僕も父も煙草をよく吸う方なので、式の間も式場から抜け出し、決められた場所で何度も煙草を吸った。他にその場所を使う人はいなかった。僕は僕と父以外の人は煙草を吸わないのだろうと思った。特に父と示し合わせて煙草を吸いに行っていた訳ではなかったが、僕と父は何度も同じタイミングでその喫煙所で一緒に煙草を吸った。どうせいつものように何も喋らないんだろうと僕は思っていたし、その通り二人でほとんど何も喋らずに煙草を吸った。僕から気を利かせることもなく、たまに父の方から僕の子供のことについていくつか質問してきて、僕は淡々とそれに答えるだけで、お互いのことについては一切話さなかった。ただ一言だけ、「あのバカがようやく嫁を貰って肩の荷がおりた」と父は言った。実際にはそんなにさらりと言った訳ではなく、昔から不器用だった父なりに僕に気持ちを伝えようと精一杯振り絞っての言葉だったし、「あのバカが」から「ようやく」、「嫁を貰って」、「あのバカが」、「あのバカが」、「なんか肩の荷が」、「ようやくや」、「長かった」と言葉を分けて、間で煙草を吸ったり、安堵のため息を吐いたり、どこかを睨みながら咥え煙草で首のあたりをかきながら、独り言だけど誰かに聞いて欲しい感じで言った。僕はそんな父の言葉を珍しいなと思いながら、自分の子供を一人前に育てて社会に送り出し、新しい家庭を持つまで、また、家庭を持った後もいつまで経っても親は我が子に対して無責任ではいられないものなのだとも思った。
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