13.ベッドの上の朝

◆◆

 七色の色彩に満ちた、ゆがんだ空間。その空間の中央に、ぽつんと一脚だけ置かれた椅子の上で、クウは意識を取り戻した。

 

「ここは……?」


 小さく独り言を言った後、クウは辺りを見回した。


 うめき声を上げる恐竜の骨格標本、グラスからボトルにそそがれるワイン。非現実的な映像が、現れては消えてゆく。


「気分はどうだ──人間よ」


 クウは声の方向に、素早く顔を向ける。


 もう一人の、クウがいた。正確に言えば──クウと全く同じ姿をした何者かが、座るクウを見下ろしている。


「僕と同じ姿? 誰だ……?」


「これは、貴様の姿を借りているに過ぎぬ。私は、貴様ら人間にとっての絶対的な存在──神だ」


「か、神様?」


「そうとも。いとしき、我が"人間"よ」


 不遜ふそんな口調の神が、自分と同じ姿で目の前に立っている。この違和感からくる気持ち悪さに、クウは表情を硬くする。


「大いに気に入ったぞ、人間よ。貴様はもう、病に絶え果てた迷える御霊みたまにあらず。確かな一つの命として、貴様の偉大なる存在は──このイルトに刻み込まれたのだ。その身に宿りし二つの"輪"こそ、その証左しょうさよ」


 クウの姿をした神は、笑いながらクウに賞賛しょうさん拍手はくしゅを送った。クウは不機嫌そうに、それをただ見ている。


「今の貴様は文字通り、この世界──イルトの一部だ。その"輪"の力にかけて、貴様の思うがままに、この世界を生きよ。それこそ私が人間に求める──全てなのだから」


 神のその言葉の後、クウの身体が急に透き通り始める。


「うわっ──。な、何だ──?」


「人間よ。幸運を祈るぞ」


 薄れたクウの身体が、完全に消えた。


◇◇

 ゆっくりと、クウは目を開けた。クウにとって見覚えのある、木目の天井が見えた。瞬時にクウは思い出す。この天井は──ナリアの家である。


 クウの身体は、上半身に隙間すきまなく包帯が巻かれ、例のナリア家の巨大ベッドに大の字に横たえられていた。クウはゆっくりと上体を起こす。


「うっ、痛っ──!」


 クウの背中に、しびれと激痛が同時に走った。たまらずクウは、再びベッドに倒れ込んでしまう。


「あの時に受けた、雷か……。我ながら、よく生きてたなあ……」


 クウの脳裏に、あの時の状況がまざまざと浮かぶ。ゴーバの渾身こんしんの一撃から、フェナをかばい──。


 ──フェナは、あの後どうなったのだろう?


「クウ……!」


 震える声がした。いつの間にか開いていた扉から──かごを持ったナリアが現れた。ナリアの目元は泣き出しそうにうるんでいる。


「ナリア、どうしたの? 目がウルウルしてるけど。花粉症?」


「……無理に、元気そうに見せなくていいです」


 ナリアはクウの真横に腰を落とし、籠の中を手で探る。取り出したのは、木の葉の上に乗った、灰色のクリーム状の物体だった。


「背中を、上に向けて下さい」


「えっ、何する気? ──妙なこと考えてないよね?」


「早くして」


「はい、すいません……」


 クウは痛みに顔をしかめながら、体の前後の向きを逆にする。


 ナリアはクウの包帯を丁寧ていねいに外すと、木の葉に乗った謎のクリームをクウの傷にり込んでいく。どうやら、膏薬こうやくたぐいだったようだ。


「ソウさんから聞きましたよ、クウ達がした事」


「えっ? 僕達って何か変な事したっけ?」


「変どころか、大変な事をしましたよ。まさか──"十三魔将"の一人をち果たすなんて……」


「あの敵味方の区別がつかない大男、倒したの?」


 ナリアはうなづく。クウにとっては初耳である。ゴーバをソウが討伐とうばつしたまさにその時、クウはフェナと共に意識を失っていた。


「"十三魔将"の一人を倒した。──この事実は私達エルフのみならず、イルト全土に影響をおよぼす大事件です。これから先、地図における黒の領域の版図はんとは書き換えられ、それに代わる別の勢力が力を増すでしょう。いいですか? これは、大変な事なんです」


「そうなんだ。でも、僕に言われても困るね。僕はあのゴーバとかいう悪魔の雷を受けて、倒れただけだ。あの悪魔を追い詰めたのは、フェナだよ。倒したのは──あの状況だと、多分ソウだと思うけど」


「──そう言われると、俺が困るな。お前がいなかったら、あの状況で"紫雷しらいのゴーバ"を倒せたとは絶対に思えねえ。手柄の一部は、確実にお前のモノだろ」


 急にクウの隣の空間に黒い亜空間が出現し、ソウがその言葉と共に現れた。ナリアが驚いてクウの方に体を寄せる。


「よお、お目覚めかい? 村を救った英雄さんよ」


「びっくりさせないでよ、ソウ。──英雄って何?」


「お前の事に決まってんだろ。──村を襲った黒の騎士団を撃退、連れ去られた村人を牢獄までおもむいて救助、オマケに敵の大幹部を撃破。まあ、トドメを刺したのは俺だがな。だが、どうだ? 村からしてみれば、ひかえめに言っても英雄だろ?」


「トドメはやっぱり君か。でも、どの道その称号に僕は相応ふさわしくないでしょ。今回の事は、君の力があってこそだった」


謙遜けんそんは度が過ぎると、自慢と変わらねえぜ。素直にめられろっての。──その背中の傷だけは余計だったな。完治には、ちょっと時間が掛かるかもしれねえ……」


 ナリアが丹念たんねん膏薬こうやくる様子を見て、ソウの声は低くなる。


「クウ。"ホス・ゴートス"から帰還して来て、どれぐらい時間がったの?」


「丸二日だ。今日は、三日目の朝だな」


「じゃあ、僕は二晩も寝てたんだ。──そうだ、フェナは? 彼女はどうしてるの?」


「あの吸血鬼なら──消えちまった」


 ソウの言葉に、クウは目を見開く。


「他の連中と一緒にこの村まで連れ帰って、エルフ達に面倒見てもらってたんだ。だが、気が付いたら──消えてたよ。あの吸血鬼が寝てたベッドは、もぬけからだった。俺もそれに気付いたのは、ついさっきの事でな」


 クウは、フェナの姿を思い出す。何故なぜかフェナの事がやけに気になってしまう。クウ自身にも、理由は判然はんぜんとしなかった。


「何か残念そうだな、クウ。だが、お前が気にするべきは隣の可愛かわいいエルフだろ。お前に水を飲ませたり、包帯を取り替えたり、朝から晩までお前の世話をしてくれてたのは──何処どこのナリアちゃんだろうな?」


「余計な事を言わないで下さい。クウは私達の恩人ですし、私の同居人でもある。ただ、それだけの事です」


「おっ、余計な事だったかい? 悪かったな」


 ナリアはソウを一睨ひとにらみしてから、籠を持ってベッドから離れた。作業は終わったらしい。


「──ふむ。クウ君のお見舞いに来たが、先客がおったようだね」


 クウとソウ、ナリアの顔が扉に向けられる。


 盲目もうもくの賢者ウィルノデルが立っていた。

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