第82話 打って打たれて

 打たれた。


 ただそれだけのことが明鈴高校選手たちの頭を支配した。


「な、は、何で……」


 巧は驚きのあまり、うまく声が出なかった。


 なにもホームランを打たれることは不思議なことではない。


 驚いたのは明らかに不自然だったからだ。


 一度冷静になるしかない。巧は深呼吸をして、グラウンドに視線を向けた。


「白雪。ミーティングの時、おかしな点はなかったよな?」


 巧は一番近くにいた白雪に声をかける。


「なかったね。巧くんが持ってきたデータはどこを見てもアベレージヒッター型の選手だよ」


 実際の打席は一回戦でしか確認できていないが、去年から春までの打撃結果を調べたところ、長打は一本だけであとは単打だった。ホームランはない。


 もちろん練習試合の結果まではわからないが、それでも去年の結果と一回戦のプレーを見て長打型のバッターではないと判断した。


 しかし、この打席でホームランを放った。


 何十、何百もの打席があれば、高校の三年間で何本か打っても不思議ではない。その一本がこの打席だったという考え方もできる。


 楽観視した場合だが。


「でも、今のホームラン、偶然じゃないよね」


 白雪も気付いている。もちろん巧もこれが偶然ではないと確信している。


「打ったあと、走らなかったな」


 数ある打席の中の一つ、たまたま打ったホームランであれば、打ってすぐに走り出し、思ったよりも伸びてスタンドに入ったなんてことはある。


 これはそういうものではない。


 明らかにホームランという打球でもなかった。ただ、ある程度余裕を持ったホームランでもあった。それは、打ち慣れた人にしかわからない感覚だろう。


 水戸は打った瞬間にホームランだと確信して、打球を見ながら余裕を持って一塁へ歩みを進めていた。


 打った感覚でホームランだと確信したように。


 また戦略を練り直さなければいけない。この回が終われば一度陽依を含めたピッチャー陣と方針をすり合わせなくては。


 水戸がダイヤモンドを一周し、次の打者を迎えた。


『四番ファースト波田さん』


 長打力がある波田は事前から気をつけなければいけないと伝えてある。陽依なら大丈夫だろう、そう巧は思っていた。


 しかし、


「二者連続……」


 巧は唖然としていた。


 陽依が投じた初球、甘い完全なる失投だった。しかし、コースは内角低めと差し込んでいた。ただ、ボールに本来の勢いがなかった。


 波田はそれを見逃さず、思いっきり引っ張るとレフトスタンドへと運んだ。


 まだ二回戦。県予選。それでもやはり、この大会は甘くなかった。




「……すまん」


 初回を投げ抜いた陽依はベンチでうなだれる。三番の水戸、四番の波田にホームランを浴びて完全に落ち込んでいた。


「しょうがない……とは言えないけど、俺の責任でもある」


 波田に対しては陽依の失投だが、水戸に関して言えば巧の調査不足が原因だ。


 いや、調査できるところはやり切ったが、バランス型だと言い切ってしまったために思考が固まってしまった。少なくともそれは巧の問題だった。


「それでも打たれたんはうちや」


 陽依は、巧が悪いわけではないと主張する。しかし、巧としてもそれは納得できない。


「誰が悪いなんて言ってても意味がない。失投は陽依のミスだけど、誰しも失投することなんてある。陽依が投げなくてもそうだ。……それに、陽依を信頼して起用したのは俺だ。陽依が悪いって言うなら、それは陽依を起用した俺が悪いって言ってるようなもんだよ」


 巧自身、自分の起用を疑問視はしていた。しかし、それを口には出さない。陽依を起用したのが間違いだったと言えば、それは陽依がダメなピッチャーだと言っているようなものだからだ。


 元々、陽依は野手としての調整が多かった。そこで投手として起用したのは巧だ。この起用法については合宿後の面談でお互いに納得済みだった。チーム事情で野手が多くなるかもしれないが、ピッチャーとして陽依の力が必要となった場合、起用すると。


 陽依が自分自身を否定するなら、それは巧を否定しているのも同義だった。巧自身は否定されても仕方がない。結果だけ見ると判断を誤ったのだから。


「そういうわけやないけど。……そうやな、すまん」


 陽依はまた謝る。今度は打たれたことではなく、間接的に巧を否定してしまったと気付いたからだ。


 水戸に対してはやや甘く入ったところを運ばれた。波田に対しても失投を運ばれてしまった。一番の長谷にもセーフティバントでヒットを浴びているが、二番の坂井と五番の片山はしっかりと打ち取っている。


 長谷のバントは奇襲にも近い攻撃だったため、ヒットとなったのが陽依の責任かと言われれば難しいところだ。結果的に司によって盗塁を阻止しているため、ここについては問題ない。


 水戸と波田に関して言えば、実力もそうだがミスも含んだものでもある。初回に二失点と考えれば痛いが、今後を抑えれば極端に悪い結果でもない。


「謝る必要はない。打力があるチームだと分かっているし、打たれれば打ち返せばいいさ」


 そうだ。野球のルールは複雑だが、勝つ方法は簡単だ。


 もちろん、それが難しく、しようと思っていても容易にできないことでもある。


 ただ、言葉にすることはできる。


「陽依。まだ初回だ。自分のバットで取り返してこい」


 陽依は八番だ。打席も決して多くは回ってこない。


 それでもチームメイトが助けてくれる。陽依は自分のできることをすればいいだけだ。


 打たれれば打ち返す。百点取られていても、百一点取れば勝てるのだ。


「俺は陽依を信頼している」




 巧の一言に、うちはみっともない表情を浮かべていただろう。……巧の言葉で胸が高鳴った。それは巧は知らない。


 同級生だ。同じ歳だ。しかし、監督と選手だ。監督に信頼されて、選手が嬉しくないなんてことはないだろう。


 うちは嬉しくてたまらなかった。自分自身、結果を残すことしか必要ではないと思っていたから。


 中学時代の人間関係が悪かっただけではない。


 ただ、チームで一番期待されていたがために、落胆されるのが怖かった。


 それでも、このチームには自分以上の選手がいることを知っている。


 結果が全てではない。失敗しても、次は大丈夫だという信頼をされている。


 巧は『打たれるな』ではなく、『打たれても打ち返せ』と言った。それは、打たれてはダメというプレッシャーが消える一言でもあった。


「……ふふふ」


 うちは笑った。嬉しさと、クールに振る舞いながらも、励まそうとしてくれている巧の必死さがツボに入った。


「よっしゃー! やったるで!」


 うちは声を上げた。それは空元気でもない、心の底からの声だ。


「チームのムードメーカー、頼んだぞ」


 ムードメーカー。そんなつもりはなかった。ただ、そう思われているのであれば、その役割を全うしよう。


 打たれるのは怖い。それでも打たれても怖くない。


 打たれても打ち返してくれるチームメイトと、打たれても打ち返せばいいと言ってくれる監督がいるから。

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