第68話 トラウマと楔

 終盤に差し掛かり、試合の動きが重くなった。


 七回裏、司から始まる攻撃は三者凡退。


 八回表、守備位置にも変更を行い、三番ライトの光に代えてピッチャーに黒絵、六番ピッチャー棗に代えて六番ライト煌と動かした。


 そして黒絵の立ち上がり、五番に入る竜崎流花を打ち取った。


 しかし、直後の六番の万代にフォアボールで出塁を許す。不安がよぎったものの、七番の大町、八番の湯浅をしっかり打ち取ってしっかりと責任を果たし、次の回の投球に備えた。


 八回の裏には復活した珠姫が鮮やかなツーベースヒットを放ってチャンスを作ったものの、その前の打者である黒絵、その後の亜澄、煌も凡退と上手く攻撃が噛み合わなかった。


 そして迎える九回表、念には念を入れ、守備交代を行う。引き分けとなる二点取ってツーアウト満塁となれば五番まで打席が回るが、もし追加点を入れられて点差が離されることの方が状況としては厳しくなる。そのため、五番サードに入っている亜澄に代えてセカンドを鈴里を送り、セカンドの七海をサードに戻した。


 ピッチャー豊川黒絵

 キャッチャー神崎司

 ファースト本田珠姫

 セカンド水瀬鈴里

 サード藤峰七海

 ショート黒瀬白雪

 レフト姉崎陽依

 センター佐久間由真

 ライト千鳥煌


 伊澄が降板し、夜空が負傷している現状で、これが現 一番守備力の高い布陣だ。


 皇桜の攻撃は途中から試合に出場している鬼頭が打席に入る。


 その鬼頭に対して、黒絵と司のバッテリーは初球からチェンジアップを入れていく。これには鬼頭も見逃した。


 このチェンジアップは以前に比べて精度はだいぶ上がっているため、皇桜打線もストレートとの球速差に翻弄されている。たった二球種だが、確実にそれは黒絵の武器となっていた。


 二球目、何度かやりとりをした後、内角低めにストレートを入れる。この球も鬼頭は見逃し、ストライクとなる。


 ここでひとつ気になった点がある。サインのやり取りが噛み合わないことは良くあるが、それにしても二人は全く噛み合っていない様子だ。


 黒絵はまだ経験が浅いため、キャッチャーのサインに首を横に振ることは多くない。それでも今日は異様に多い気がした。


 三球目のサインはすんなり決まり、気にしすぎたかなと思い直した。三球目は高めのやや甘く入ったストレート。しかし、鬼頭はそれすらも見逃した。


「ストライク! バッターアウト!」


 その光景はあまりにも気味が悪かった。


 序盤であればボールを見るために振らなかったというのはギリギリ理解できる。しかし、最終回となった打席で、一度もバットを振らずに三振に倒れるというのは巧であればあり得ない考えだった。


 勝手に推測するのであれば、皇桜側からすれば二点勝っていることもあるため、夏に向けて球を見たかったことや、勝っている場面で無理に打ちに行くよりも、デッドボールの危険性を考えて踏み込まなかった、というところだろうか。


 モヤモヤするが、三振に打ち取れたという結果を考えれば問題ない。


 続く早瀬、鳩羽を迎え、黒絵と司のバッテリーは球数を重ねて苦戦しながらも打ち取ることに成功した。


 黒絵は二回を投げて無安打無失点。一四球。二奪三振とかなり良い出来だった。


 これは大きな収穫だ。長いイニングを投げればどうなるかわからないが、少なくとも短いイニングだけであれば通用するということがわかり、これは今後公式戦で対戦する際にも起用法の参考に出来る。


「さてと……」


 九回裏、最後の攻撃を迎える。延長戦はしないため、同点の二点では物足りない。一点以下なら負け、三点以上なら勝ち、シンプルな話だ。


 七番から始まる攻撃、陽依と白雪は準備をしながら巧は全員に向けて声をかけた。


「何がなんでも出塁。俺から言えるのはそれだけだ」


 出塁しなければ攻撃のチャンスもない。ホームランを打てる打者だって明鈴にはそもそも多くない。奇跡的に三本ホームランが出ない限りは出塁せずに三点を奪うことは不可能だ。


 繋ぐしかない。ただ、繋ぐことは難しく、しかし一番シンプルな方法だ。


「頼んだぞ」


 その言葉に全員が声を上げ、気合を入れ直す。


 勝利を掴み取るため、ただの練習試合ではないと考えて臨むだけだ。


 先頭打者は七番の陽依。奇しくも試合前に考えていた仮想上位打線がここで再現された。


 陽依が打席に入り、バットを構える。対峙するのは同じく一年生の竜崎流花だ。


 今後も三年間対戦していくだろう。この仮想上位打線は一年生で構成しているため、後々のことを考えれば結果的に良かった打順だと言えよう。


 そんな二人の対決、流花の放つ初球に陽依は積極的に応戦していった。しかし、落差のあるスプリットに、陽依のバットは空を切った。


 陽依は積極的に打つ選手だ。この場面で早打ちをしすぎることにはリスクもあるが、待ちすぎて追い込まれたり、自分のリズムを崩したりすることの方がリスクが高い。ここは陽依の判断に任せよう。


 二球目、低めのボールだ。流花の放ったボールはそこからさらに落ち、陽依はそれを見逃す。


「ボール」


 積極的に狙いながらもしっかりと見極めている。


 三球目、今度も低めだ。それに対して陽依はボールに逆らわずに三塁線狙い。しかし、バットに当たる直前、ボールの軌道が変わった。


「サード」


 鈍い金属音。バットの根本に当たった打球は三塁線に転がり、キャッチャーの鬼頭は冷静に指示を出す。


 ボテボテのサードゴロに、陽依は全力疾走だ。詰まり過ぎた打球が逆に功を奏している。際どい。


 サードの湯浅が打球を捌き、すぐさま一塁へと送球する。そして際どいところに、陽依は頭から滑り込んだ。


 砂埃が舞う一塁。ギリギリのところで判断が難しい。ただ、審判の判定を待った。


「……アウト!」


「あー、クッソ!」


 陽依は伏せたまま両手で地面を叩く。アウトともセーフとも取れるギリギリの判定、審判はアウトの判定を下した。


 アウトカウントが一つ灯る。そして次の打者は八番に入る、仮想二番打者の白雪だ。


 白雪は力が足りない。恐らく流花の球にも力負けするだろう。そのため、フライやライナーも外野まで届く前に内野に処理されてしまう恐れがある。


 ここでチャンスがあるのならば……。


「転がしていけ!」


 打席に入ろうとする白雪に巧はそう声をかけた。


 転がせば内野安打のチャンスがある。それにフライやライナーは捕球されれば終わりだが、ゴロであれば捕球の際、送球の際、送球を捕球する際とボールが移っていくため、エラーの可能性も高くなる。


 ヒット狙いでエラーを期待するしかない。


 初球、外したコースからストライクゾーンへと食い込もうとする高速スライダー。初球から手を出していく球ではないと判断した白雪はそれを見送った。


「ストライク!」


 審判の判定に白雪は驚いたような表情を浮かべた。


『遠い』


 そう判断したのだろう。


 しかし、巧は見逃さなかった。鬼頭のミットは捕球直後に僅かに動いて止まった。ボール球をストライクと誤認させるためのフレーミング技術だ。


 お世辞にもすごく上手いとは言えないが、何球かあれば一球くらいは誤認してくれる。その一球が今だった。


 二球目、外角低めから落ちるスプリットに白雪は反応する。なんとかバットに当てたものの、打球はキャッチャーの目の前でバウンドし、そのままプロテクターに当たり落ちた。


 微妙に当たっただけだ。高めということもあり、落差もあまりなく、それで当てることができたのかもしれない。ストレートを狙ったようなスイングに僅かにボールを捉えただけだった。


 三球目、流花が振り下ろした腕からボールが放たれる。


 真っ向勝負。ど真ん中やや高めに浮いたボールは、白雪のバットにかすりもしなかった。


「ストライク! バッターアウト!」


 三球三振、当てることに関しては上手い白雪が空振り三振だ。


 白雪はバットで軽く地面を小突くとため息をついてベンチに引き上げる。


「どんな球だった?」


 白雪が落ち込む間もなく、巧は声をかけた。


「相当伸びる球だよ。それに六回よりも断然速くなってる」


 終盤に強いタイプか。それか今回は三イニングと三分の二だけのため、余力があったのだろうか。どちらか、もしくは両方だろう。


 九回裏、ツーアウトランナーなし、二点差。


 この場面で打席に入るのは、過去に流花の球を一番受けてきた司だ。


 現状の竜崎流花について、明鈴の中で一番知っている選手だ。


 司が打てなければ、打てるのは珠姫が夜空くらいだろう。巧はそう思っていた。




 怖い。


 それは流花に対する感情ではない。


 確かに流花は怖い投手だ。しかし、旧友との対戦には恐怖心よりも楽しみの方が勝る。それならば何故私は怖がっているのだろう。


 答えは簡単だ。キャッチャー、鬼頭さんが怖いのだ。


 中学のシニア時代に盤外戦術で苦しめられた。その時に刺さった楔は未だに胸に突き刺さっている。外れかけようとしていた楔も、再会したことによって深く大きなものがさらに突き刺さった感覚だ。


 打席というのに集中しきれない。喪失感を持ったままバットを振るう。


 初球のストレートに空振り。タイミングが合わないとかそういう問題ではない。力が入らない。


「司! 頼むぞ!」


 ベンチで巧くんが叫ぶ。そうだ、ここで打てなければこの試合はここで終わってしまう。


 二球目のボールもストライクゾーン内、私はそう判断してバットを振り抜いた。


 外角からボールゾーンへと逃げるスライダー。バットを止めても中途半端なスイングとなるだけだと判断して最後まで振り切った。


 ボールはバットの先に当たり、ファウルゾーンへと転がる。空振りだろうとファウルだろうとカウントは変わらない。それでも『当てた』というのは大きなものだ。


 変化球だろうがなんだろうが対応してみせる。相手にそれを意識させることができるのだ。


 三球目は外角のスプリットで一球様子を見た。私はそれを見逃し、ボールカウントが一つ増える。


 それでもワンボールツーストライクと追い込まれていることに変わりない。次は何で来るか。


「ストレートだよ」


 返球しながらキャッチャーの鬼頭さんがボソッと呟く。私は「えっ」と思わず声を出し、振り返る。


「狙ってみてよ」


 明らかに挑発されている。ただ、その言葉が本当かどうかなんてわからない。信じたとして変化球であれば相手の思う壺だ。そして信じずに変化球を待ち、言葉通りストレートだった場合も相手の思う壺だった。


 つまり、この時点で相手の術中にハマっている。


 ラストボール。


「……ストライク! バッターアウトォ!」


 空振りの三振。球は……宣言通りストレートだった。


 私は打席の中で呆然とする。相手にしてやられた。そしてチームの期待にも応えられなかった。


「せっかく教えてあげたのに」


 聞きたくない声、嫌な声を聞かないようにしようとしても、その声は耳から否応なしに入ってくる。


「流花から聞いてたから楽しみにしてたのに」


 流花が私のことを話していた。それは本来嬉しさがあるものだが、こいつの声は聞きたくない。耳を塞ぎたいけど塞げない。


「君は私を楽しませてくれないんだね」


 これ以上何も言わないで欲しい。お願いだからもう辞めて欲しい。


「つまんね」

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