第35話 二年生と一年生⑦ 司とリード
二年生チームの先頭打者が出たものの、その後の三人を打ち取られた六回表、その後の一年生チームの攻撃である六回裏もあっさりとした展開となった。
七番の楓はレフト前に落とすヒットで出塁するものの、八番の颯が4-6-3(数字は守備位置を表す。4はセカンド、6はショート、3はファースト)の流れるようなダブルプレーに打ち取られる。そして九番の未紗は代打として光陵の高坂沙織が送られ、大きなライトへの当たりだったが煌のプレーによって阻まれ、一年生チームは結果的に三人で攻撃を終えた。
そして一年生チームは代打を出したことによって再び大きくポジションの変更、それも全員が絡む変更を行った。
一番ピッチャー立花琥珀
二番キャッチャー神崎司
三番サード石岡祐希
四番ショート六道咲良
五番セカンド志水柚葉
六番ライト久遠恋
七番センター白夜楓
八番レフト八重樫颯
九番ファースト高坂沙織
結局ライトでの司に守備機会はなかったが、カバーの動き自体は悪くなかった。そして、代打で登場するくらいと言っていたにも関わらずキャッチャーの守備に就いている。
ショートの咲良は左投げだ。真偽はわからないが、ファーストや外野を守っていたことを考えると、もしかしたら咲良はただ左投げというだけで様々なポジションを守れる選手かもしれない。
左投げでも内野を守る選手はいるが、多くはファーストや外野を守るように指導者に言われ、それに従い矯正されることが多い。
以前神代先生は、『尖っていてチームから弾かれた選手』をスカウトしたと言っていたが、咲良はその代表的な選手で、左投げ故にポジション転向をするように言われながらも我を貫き通そうとした故にチームから弾かれた可能性が高いと言えるだろう。
あとはキャッチャーの楓をセンターで試し、柚葉は三年生チームとの対戦と同じくセカンドを守る。試みというとそれくらいだろうか。
レフトの颯は本職はサードで、ライトの恋は外野も守るがピッチャーを本職としているため、外野は正直手薄かもしれない。
明鈴のメンバーで出ているのは司のみだ。巧の視線は自ずと司に集まる。その視線に気付いたのか、司は巧の方を振り返り、あっかんべーとする。
……ちょっと可愛いな。
巧はその司の仕草に少しドキッとしてしまう。同じクラスで仲良くしている春川透が言うように、確かに司の容姿は整っている。
いや、そんなやましい気持ちを持ってはいけない。
監督と選手。少なくとも監督をしている間は司であろうが、伊澄や陽依、夜空、珠姫、黒絵も他の選手も美少女と呼ぶにふさわしい顔立ちだが、采配に影響を出さないためにも恋愛感情を持たない。そう心に誓っていた。
「なあ、司。急で悪いんだけど、次の回からキャッチャーに入って」
六回裏が終わろうとしている時、神代先生は私に向かってそう言い放った。
今日のところはキャッチャーをまだしていない。野球自体が大好きなので、他のポジションだろうがバッターだろうが喜んでするが、やっぱキャッチャーが一番好きで、安心感のある居場所だった。
「も、もちろんです!」
そしてキャッチャーをしてもいいという言葉を聞いて、私の心は飛び上がった。
早速私は準備に取り掛かる。まだ今日一度もつけていなかったキャッチャー道具を手に取る。打順が回る可能性があるので、レガース(足につける防具)を装着しただけだが、それだけでも喜びが止まらない。
この防具は自分で買った物だ。部でも用意されているため、陽依はそれを使ったが、私のものは自前だ。
キャッチャーミットは高かったが、高校で野球をすることを決めた際に貯めてあったお年玉やお小遣いを使って買ったもの。幸い、小学校の頃から物欲は強くない方なので、高価な物だが余裕で買えた。高価というのもそうだが、キャッチャーである私にとっては命の次に大切なものと言っても過言ではない。その防具を身に付けるのは、毎回ドキドキさせられる。
やがて攻撃が終わり、プロテクターを着けてヘルメットを被る。マスクを持ってグラウンドに出ると、そこは待ちに待った戦場だ。投球練習の前に琥珀とサインの確認を少しだけする。打順が回ってくる場面と急なポジション変更のため、攻撃中に間に合わなかった。
「それにしても、なんで神代先生は急に私にしたんだろう」
ふと疑問に思ってしまいポツリと呟いた。
「今日の司はまだキャッチャーしてないでしょ? だからキャッチャー誰と組みたいか聞かれて司にして欲しいって頼んだんだ」
まさか琥珀の指名とは驚いた。ピッチャーとしては組みやすい人とバッテリーを組みたいとは思うが、まだ一度も組んだことのない私と組むのは意外だ。……いや、そもそも楓も柚葉も組んだことないか。
「琥珀は他の二人じゃなくてもいいんだ?」
「なんとなく、司が組みやすい気がしたから」
一年生チームで試合をしていくうちに琥珀とはちょっとだけ仲良くなった気がする。相変わらず琥珀はどこか孤独な感じがするが、それでもこのチームどころか全国でも一番の選手の琥珀に認められている気がして嬉しかった。
「よし、この回きっちり抑えよう」
「もちろん」
相手は二年生。一筋縄ではいかない。陽依、楓、柚葉とリードを守ってきた。琥珀が簡単に失点するとは思わないが、それは私のリードにもかかっている。
私はキャッチャーのポジションに戻り、何球か受けて試合が再開する。
巧くんが後ろで見ているのは知っている。なんとなく、振り向くと目が合った。試合前のことも巧くんが悪いわけじゃないのもわかっているが、なんとなくモヤッとしたので、「べー」と舌を出したら巧くんが微妙な顔をした。面白いなぁ。
見ててよね。巧くん。
この回の二年生チームの先頭打者は永野未奈胡さん。甲子園出場校でレフトのレギュラーを掴んでいる選手だ。流石に甲子園に進めば公式戦で当たる可能性があるので全ては教えてもらっていないが、巧打で打球を上手くヒットゾーンに落とす技術を持っている。自分を巧打というつもりはないが、私と似たタイプのバッティングをする。
それならば……。
まずは初球、低めの変化球を要求する。光陵高校の傾向として甘くなければ初球からは振ってこない可能性のが高い。それでも振ってこられた場合を考えて、ゴロを打たせるために内角低めのボールゾーンからストライクゾーンに入るようなシュートを要求した。
琥珀の指先から放たれたボールが一瞬でキャッチャーミットに収まり、心地の良い革の音を奏でる。この一瞬がたまらない。
「ナイスボール!」
要求通りのボールが決まり、ストライク。気付けばテンションが上がっている。
続いて二球目はアウトロー、外角低めのストレートだ。柚葉のリードならもう一球同じコースだったが、ここは散らして混乱させたいため、別のコースを要求した。
今度は少し構えたところから外れてしまいボール球となった。残念だが、「ナイスボール!」と声をかけて返球する。
琥珀のストレートは黒絵の球速程ではないが女子選手の中ではそれなりの百キロ前後、伊澄と同じくらいだろうか。それでも球質が重く、打たれても飛ばない、エースと呼ぶにふさわしいストレートだ。
三球目も外角だ。今度はボールゾーンからストライクゾーンに入るカーブだ。永野さんはそれに反応してバットを当ててくるが、泳いだようなバッティングとなり、三塁側のファウルゾーンに打球は落ちた。
「カーブもすごいなぁ」
私は感心するだけだった。カーブの変化量とキレだけならカーブを持ち味とする伊澄と同等かもしれない。それでも伊澄の場合は様々な変化をする七色のカーブを持っているため、それだけなら伊澄に軍配が上がるだろうが。
四球目。琥珀は投球動作に入り、私は身構える。指先から放たれたボールは私のキャッチャーミットに一直線だ。しかし、目の前でそれはバットに阻まれる。
外角高めのストレート。思った通り、永野さんはそれをバットに当ててきた。そして思った通り打球が上がり、センターの定位置付近目掛けて落下していく。外野の守備は初めてだという楓だったが、打球を難なく捕球した。
「アウト!」
上手くいった。それに私は心の中でガッツポーズを取る。
私も同じだが、多分パワーが足りなかったのだ。高めの球はホームランになりやすいという理由もあってあまり勝負させたくないコースだが、低めを意識させた上で高めで勝負すれば、パワーの足りない巧打者であれば外野フライに打ち取れると踏んでいた。その作戦はドンピシャだった。
「ワンナウトー!」
私は人差し指を立ててグラウンド中のみんなを奮い立たせる。普通によくある声かけだが、『あとツーアウト、しっかり守れよ』と心の中でプレッシャーをかけている。
次の打者は松永春海さん。この選手も巧打者タイプだが、足を利用して出塁する斬り込み隊長なので、安易にフライやライナーは期待できない。
微妙な位置にゴロを転がせられたら内野安打となるかもしれない。悩むところだ。
まずは初球に左打者の松永さんから見て逃げていくように変化するシュートを外角低めへ要求する。松永さんは積極的に叩いてきたが、それは三塁線へのファウルだ。
そして二年生チームのベンチを見ると次に動いてくるかもしれないことに気がつく。ネクストバッターズサークルに光陵の土屋護さんが入っていた。土屋さんはピッチャーなので確か下位打線を打つことがあったが、野手として出場した際には主軸を打つ強打者だ。ここで松永さん出塁さへれば一発で同点なんて最悪なシナリオまである。ここはどうにかして食い止めなければならない。
二球目は外角低めへのカーブだ。ボールゾーンからコースギリギリ外れるカーブを要求した。琥珀の指先から放たれ、滑るように曲がるカーブに流れるように身を任せてキャッチングする。
「ストライク!」
主審として夜空さんから途中め代わっている瑞原景さんの判定に、バッターの松永さんは驚いた表情で「えっ!」と声を零す。ギリギリのコースだが、自信を持って見逃したのだろうが、これも私の策略だ。
ボールゾーンでもキャッチした際にミットをストライクゾーンに流し入れ、そこで止める。フレーミング技術を駆使してもぎ取ったストライクだ。
場合によってはボールの判定だったが、以前から練習し続けていた成果が出て、今回は上手く成功した。多分キャッチングは楓が一番上手い。そこを見習わせてもらった。
これでノーボールながらツーストライクと追い込んだ。
そして三球目、今度も外角低め、やや外したストレートだ。追い込まれてはギリギリのボールに手を出さざるを得ない。そして思惑通り松永さんのバットは動き、ボールはバットの先に当たっただけの三塁側へのファウルだ。
四球目も外角低めを攻める。フォークを低めに落としていく。外角低めのストライクゾーンからボールゾーンへあからさまに落ちていくフォークには流石に手は出さない。
ちゃんと打たせてあげないよ。イライラするでしょ?
打とうとしてもギリギリを攻められ、ストライクに入ったと思ったらボールゾーンに動く変化球。打ちたい気持ちが抑え切れないだろう。
食べ頃だ。
今度は五球目。しっかりとストライクゾーンに入れていく。
ただし、コースは真逆だけどね。
内角高めのストレートを打ちあぐねた松永さんの打球はセカンド前方への平凡なフライだ。
決まった。ただ、打たれてもヒットにならないであろうコースを要求したとはいえ、狙いは三振だった。しっかり当ててくるところに松永春海というバッターの怖さを感じた。
それでもアウトはアウトだ。
「ツーアウト、ツーアウト!」
アウトカウントが二つ灯った。この二点差の状況では一発が出ても同点にすらならない。ただ、土屋さんのあとも川元さん、森本さんと光陵陣が続くため、安易に土屋さんを出塁させるわけにはいかないため気は抜けない。
アウトカウントを増やすのは楽しい。ただ、それでも七回制の女子野球では二十一個中の二個取っただけだ。調子には乗らないし全力で一つずつ取っていくだけだ。
代打として登場した土屋さんへの初球。これは煽るような一球だ。ど真ん中から低めに落ちるフォークボール。これに土屋さんのバットは空を切った。
甘いように見えるど真ん中の餌。そこからフォークでコースいっぱいに落とす。舐めているように思えるが、舐めていないからこその配球だ。狙われれば打たれていたかも知れないが、いきなりこんなおちょくるようなボールを要求すると考えてもいないだろう。
二球目には外角高めのカーブ。ここは外れたが問題ない。低めなら上から下に振り下ろす分、変化量も上がるが、高めだと低めよりも上に向かって投げるため変化しない。振ってくれれば儲けもんくらいのボール球の要求だった。
冷静だなぁ。
多分惑わせても対応してきそうだ。ここは正統に力で押し切るのみだ。
内角への食い込むシュートにも手を出さない。ボール球はしっかりと見極められている。
ならばここはどうだ。
やや甘めのコースからコースギリギリに決まるスライダー。流石にここは手を出してきてファウルとなった。
じゃあここは?
内角へのフォーク。これにも反応してきて、バットに当たったボールは私の目の前でバウンドし、跳ね返ったボールがマスクに当たる。
ちょっとずれたマスクを外し、土がついていないか確認する。大切な防具だが、プレー中に付いた傷は勲章のようなものだと思っている。傷を確認したわけではなく、土がついていないか入念に確認をするためだ。もし土がついていて、動いた時に目に入ったらプレーに支障が出る。それは避けたい。
土はついていなかったが、気分的にボールが当たったところを手で払い、マスクを被り直した。
マスクを外した際に気が付いたが、爪のマニキュアが少しハゲかけている。どこかプレー中にとれたのだろうか。もちろんこのマニキュアは、年頃の女子高生が付けるようなものではなく、ピッチャーにサインが見えやすいようにするもの。お洒落に興味がない訳ではないが、野球の方が大切だ。休日に野球に支障がない範囲で楽しむ。
五球目はどうしようか。悩んでいた二つの選択肢のうち、外角低めのカーブを要求した。凡打を打たせるためのサインだ。
しかし、琥珀はこれに首を振った。
じゃあ、こっちかな?
もう一つのサインを出せば琥珀の首は素直に縦に動いた。
よし、勝負だ。
琥珀は全力投球だ。両手が頭の上に上がるワインドアップ。そして右の軸足と上がったバランスの取れた左足。やがて地面に降り立ち、軸足から左足へと体重が移動する。肘、腕、手と順番に見えてくる。そして指先が見えると名残惜しそうにボールは離れ、今度は私の元にやってくる。
おいで。
私は愛しい白球をキャッチャーミットに呼び込む。
それを阻むように視界にバットが入ってくる。これだけは譲れないよ。
外角高め、先ほどとは真逆のボールに、バットは数センチ離れたところを目掛けている。そして呼び込んだ白球は革の弾けるような音を立てて私のミットに収まった。
「ストライク! バッターアウト!」
合計十四球。私はその間、一年生最恐の投手を操っていた。
ミットに収まったのはたった八球。一イニングとなるとやはり受けられる球数は少ない。それでも一イニングをしっかりと抑えるために球数を増やしてじっくりと攻めていった結果だ。
「ナイスピッチング」
私はマウンドに行き、琥珀に声をかける。
「嫌なリードだったね」
「巧くんにもよく言われる」
琥珀にも言われてしまった。よく嫌らしいと言われるため自覚はあるが、『そんなにかな?』と自分自身納得はいかない。
「私は好きだよ」
「うーん……。じゃあ褒め言葉として受け取っておくよ」
なんか巧くんにもこんなこと言った気がするなぁ。
私に対しての「嫌らしい」はどうも褒め言葉みたいだ。次から巧くんに言われたとしても素直に受け取ることにしよう。
この一イニングは結果として三人で終わる短いものだった。それでも私にとっては濃厚な時間だったことに変わりはない。
試合が終わる名残惜しさと、リードを守って試合を終えた安堵を噛みしめながら、私たちの試合は幕を閉じた。
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