第27話 小休止

「あー、疲れた」


 久しぶりの試合を終えた巧は試合後の体の怠さと爽快感をともに味わいながら、一人で試合後のストレッチに励んでいた。もう一試合あるというのは楽しみでもあり、久しぶりの試合でいきなり二試合というのも億劫でもある。


 それでもやはり、なんとも言えない達成感はあった。


「お疲れ様だね」


 巧がゆったりとストレッチをしていると、後ろから司の声が聞こえた。


 いや、後ろというにはやや近い。巧は地面に座り込んだまま上を見上げると、真上に司の顔があった。


「何してるんだ?」


「二試合目は代打くらいしか出番ないから、ちょっとリフレッシュするために出てきたの」


 先ほどのグラウンドはもう一年生と二年生が試合の準備を進めているため、三年生は隣のグラウンドに来ている。そして人数の関係もあって巧は一人でいたところに司がやってきたというところだ。


「寂しそうな巧くんに、私がストレッチを手伝ってあげよう」


「それはありがたい」


 一人でストレッチをするのには限界がある。司が背中を押してくれると、筋繊維が伸びている実感が湧く。


「そういえば、近藤明音って東陽シニアにいたっけ?」


 東陽シニアは司のいたチームだ。東陽シニアはピッチャーがそれなりに良かった印象はあるが、現高校一年が主力となっていく中学二、三年生の頃に直接対決したことがないため詳しくは知らない。ただ、人数がそこまで多くなく、女子が数人主力を張っていた印象はある。


 司のこともなんとなく知っている程度で、実際に中学の時に面識があったわけではないため、再会した時はうろ覚えだった。そして、明音も合宿中に「こんな選手いたような……?」という朧げな記憶から思い出しただけだ。


「そうそう、明音とは小中一緒だったんだ」


 小学生からとなると司と明音は思っていたよりも古い付き合いだということがわかる。しかし、小学生の頃の記憶となれば、印象的な人しか覚えていない。


「また、なんで愛知まで行ったんだ?」


 もし三重県に残っており、司と仲がいいことで同じ学校に進学していたら明鈴に入っていた可能性もあるのではないか、と考え、尋ねた。


「元々、ピッチャーの子と三人で仲良かったんだけどね、私が高校では野球辞めようかなって悩んでたら二人とも進路決めちゃって。明音は強豪に入れる程実力ないって本人が言ってるんだけど、家も近いし私が明鈴に進学するかもって考えて同じレベルの水色学園にしたって言ってたよ。三人一緒じゃないなら全員別々でやってみたいって」


 各々事情があって進学する学校を選んでいる。巧も結果的に男子野球部が強豪の学校に進学したが、選手ではなく女子野球部の監督をしている。それも学校を選んだ理由は学力が合っていて家が近いからだ。


「野球辞めようとしてたって何かあったのか?」


「また気が向いたら話すよ」


 司の話に気になったところがあったため突っ込んでみたが、そこはかわされてしまった。そう言われてしまえば追求はできない。


「……そういえば、さっきの試合でサードやってたけど、感触的にはどうだった?」


 メインでキャッチャーをやっているのは司だけなので、他のポジションでの出場は今のところ考えてはいない。しかし、選択肢が多いに越したことはない。


「悪くはないかなって感じ? 自分自身持ち味が肩だと思ってるから、キャッチャー以外を守るならサードとか外野かなって思ってる」


 サードはタイプによるが、肩が強い方が有利だ。どのポジションでもそうとは言えるが、ファースト送球する際に内野では一番多いポジションがサードなので、肩の強さは必要となる。ショートも守備範囲が広い分サードの後ろをカバーすることもあるため肩の強さは必要だが、司がショートを挙げなかったのは自分には向いていないと判断したからだろう。


 外野も犠牲フライや長打の際に進塁しづらくすることを考えると肩の強さは必要なので適役かもしれない。


「でもまあ、キャッチャーが一番好きかな」


 結局のところはそこに落ち着くのだ。それは間違いではない。


 得意なことを活かすのは大切だが、楽しさや達成感、個人が求めることを得られることが一番だと巧は考えている。


「まあ、キャッチャーじゃないと司の嫌らしさは発揮しないしな」


「嫌らしい自覚はあるけどなんだかなあ……」


「最高のキャッチャーだよ」


 巧は笑いながらからかうようにそう言う。顔を見ずともむくれているのがわかる。そして少しすると、背中を押す手が離れた。


「ん? どうしいだっ!」


 背中に衝撃を受け、変な日本語となる。


「ちょっ、足!」


 司は巧の背中を足でグイグイと押してくる。ストレッチと言うには無理がある。


「大丈夫、スパイクは脱いでるから」


 確かにスパイクのままであれば巧の背中は血だらけだっただろうがそういう問題ではない。司は「さっきの絶対褒め言葉じゃないよね」と言いながらどんどんと力が強くなっている。


「痛い!」


「女の子に踏まれるのなんてご褒美でしょ?」


「なんだその偏った知識は!」


 踏まれていると言うよりも蹴られていると踏まれているの中間だ。確かにそういうのが好きな人はいるかもしれないが、巧はそういった趣味はないし、何よりシチュエーション的にも違う。


「というか、司もそういうの知ってるんだな」


 変な意味ではない。ただ、明鈴女子野球部は野球にしか興味がなさそうな人ばかりのため、そういう知識があっても保健体育で習う程度だと勝手に思っていた。


「……巧くんのえっち」


 不本意だがその言葉を甘んじて受け入れる。野球一筋だったとはいえ男子高校生なので否定しきれない。


 司は「もう戻る」とだけ言うとグラウンドから離れていった。


「なんだかなあ……」


 弁解をする隙もなく司は去っていった。しかし、追いかけるまでもない。


 巧自身も次に向けて準備を進めた。

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