4章
第68話 滅びの国
『そうか~まあ残念だが仕方ない、お疲れさん。君は創設当初からのメンバーだったな、いや~まことにご苦労であった。またどこかで頑張って』
沖縄から戻ってすぐ地域衛生保全部隊地方支部に顔を出した私は、任務報告を兼ねた除隊申請をし、あっさりと許可される。
顔を歪ませ、かなりの苦い選択であったことを演出したつもりだったが、変に意識していたのは私だけだったようだ。
除隊届を受けとった西日本方面支部長の皺だらけの顔は表情に乏しく、定時で退社する部下に対する様なねぎらいの言葉がかけられるのみだった。
私は荷物と思い出を両手に抱え、支部を後にした。
沖縄市街地での外国武装勢力との事変の後、右足に銃撃を受けて重傷を負った私は、仁村くんの案内により沖縄の民間病院へと運び込まれた。
手術と治療を受けたのち1週間入院の形をとり、そこへとどめおかれる。
その後付き添ってくれる仁村くんの指示に従って、一度C3部隊の駐留する沖縄のホテルへと戻ることになった。
あの戦闘から1週間も空けてふたたびC3部隊の本隊へ合流するのは、あまりに不審で危うい行いではないか?と一言、異論を述べてみたが、
いや除隊のためにはどちらにしろ一度戻った方がいい、そうでなければもしどこかで見つかった時には余計に怪しまれると、命を2度も救われた仁村くんの意見だから素直に従うことにする。
『うっそ、だろ・・・・・?五島、お前生きてたのか?』
C3部隊の上官や同僚、隊長たちはみなホテルへ帰ってきた私のことを驚きを通り越したおびえた表情で見つめていた。
死人が舞い戻ってきたような認識であったらしい。
ウラゾエ市街の防衛戦では、結局私と共に向かったデルタ部隊、警備局の機動隊総勢18名全てが、戦闘により死亡が確認されたことは伝えられていた。当然私もそこに含まれていると理解していた部隊の上層部は、既に私の存在も亡き者として処理するところだったという。
『よくもまああれだけ大変な中を生きて戻ってきてくれた。・・・・・しかしなんという幸運、というか疫病神。もしや君は・・・・・、いやすまん口が滑った』
そんな人間が除隊を願い出る。
隊にとってはむしろ願ったりかなったりなのかもしれない。
2度に渡る部隊全滅の現場にいた不吉で役立たずな人間は、むしろ厄介払いしたかったというのが隊の本音だろう。
唯一の生存者として、ウラゾエでの戦闘について克明な報告を求められた私はありのままに伝える。もちろん仁村くんとの経緯は除いてだが。
反乱組織の中に外国人部隊が混ざっており襲撃を受けたこと。苛烈な戦闘の中でみなが鋭意奮闘して応戦したと。
敵性工作部隊に我々は追い詰められ、私は構えるシールドの隙間から右足に発砲を受け倒れた。しかしそこで仲間の隊員たちが懸命に体を張って応戦してくれたおかげで、なんとか私は生き延びることができたのだと、いかにも日本人が好きな美談風に語った。
気絶をした私は幸運にも地元の日本びいきの人に救い出され、病院で治療を受けていたと。そしてようやく動ける程度に回復し、命からがらなんとかここへ舞い戻ることができたのだと。
『それは災難だったな。しかし言っちゃ悪いがもうその身体ではこの隊の活動は・・・・・ん?そうか辞めるつもりか。いや仕方ないよな、それにどうせ・・・・・、いやまあ君にはしばらく部隊から情報提供を求める要請があるかもしれんから、そのつもりだけは持っておいてくれ』
だがそれ以上は何も求められなかった。
何の証拠もない以上、私の言葉が全てだからだ。
不自然な生き残り方をした私の情報など信ぴょう性も薄く、隊もアテにするはずもないだろう。
それに私もかなりの重傷を負っていたからだ。
2度に渡る名誉の負傷を負った効果は大きい。自分が傷ついているのは確かで、私は30半ばにしてもう両足がもうボロボロに引き裂かれているのだ。
以後あらゆる申請はすんなりと通るようになった。
こちらから言うまでもなくすぐさま沖縄からの帰還を命じられ、居住地でのしばしの休養を申し渡される。
みっちり2週間休養を取ったのち、正式に除隊という形で申請を出す。
それが名誉除隊という形で認定されたのも、何かしらケガの影響を鑑みられてのことなんだろう。
部隊長から承諾の通知を受け帰ってきた書面を見ると、除隊はケガによる任務継続不可の、”名誉除隊”の形で通されていた。
【創設当初からの約5年に渡る隊員活動により、
日本の治安維持に多大なる貢献をなされた
五島 隊員へ、その栄誉をたたえて
報奨金 ¥ 1,200,000 を一括支給するものとする。】
その名誉なるものがどの様な形で考慮されたのかはよく分からないが、除隊する私に対しては、通常任務に対する給与に加え、
特別報償として120万円が支給される。
今度ばかりはあまり嬉しさは込み上げなかった。
なにが名誉か?死んでも名誉、生きても名誉か?
どうせなら生きて帰った名誉をもう少し尊重すべきではないか?
額からして勤続年数に応じた規定により、退職金が払われたとしか思えなかった。そしてこの程度の金では命をなげうった戦場での任務、そこで私が受けた傷や心労に見合っているとは到底思えなかった。
死んだ同僚らには1億。生きて帰った私には120万。この混迷の時代に、これから当分足に障害を抱えて生きていく人間にだ。
ハイパーインフレが進んだ今の時代、120ではせいぜい4か月生きるのがやっとであり、10年前では軽自動車1台ぐらい買える大金だったろうが、今では電動自転車がやっとだろう。
(沖縄から帰還してしばらく、私に対して不審な尾行が付くようになったが、部隊や日本の諜報機関それぞれが情報を集めていたのだろうか?
私が逢うのはもっぱらもとC3隊員の同僚安西さんと仁村くんに過ぎず、彼らは当初からマークの対象でなかったと見えすぐに尾行は消える。)
『もう、ずっと心配して待ってたっすよ、わたし』
「ごめんっ心配かけたね。ははは、またこんな感じでケガしちゃったけど」
私の家の前では泣きじゃくった顔の安西さんが迎えてくれた。
背中に手を回し、グッと強く私の身体を抱きしめてくれる。
この時彼女の太ももが私の脚のケガした部分に当たっており、痛みがものすごかったが、それを含めて泣けるほど嬉しかった。
おそらくこの時の安西さんの感情は真実ではないのだろうが、彼女の感傷的な姿が見れただけでも、任務の過酷さを経た後だと泣けるほど嬉しかった。
なにしろ私はずっと彼女との日々を支えと感じて、沖縄での任務をやり過ごしていたのだから。
彼女には互いに恋仲を通り越した、同志の関係性を感じ取っていた。
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