第二十九話 回想:ヘクターは二度目の恋をする

 王立学院入学の朝、アルと共に登校したオレは、入学式が行われる講堂へ向かう途中、アルに断りを入れてからその場を離れた。使用人科のクラス分け掲示を見に行くためだ。ターニャなら間違いなく合格しているだろう、それもおそらく特別クラスで。


 貴族科の裏庭を抜け、使用人科の校舎前に設置された掲示板を見上げると、探すまでもなく彼女の名前が飛び込んできた。一位だった。さすがはターニャだ。

 オレが誇るのもおかしなことだが、オレの大事な女の子はこんなに凄いんだと、なぜか胸を張りたい気持ちになった。そして、これまで直接関わることのできなかった彼女が、違う学科とはいえ同じ学院にいる。掲示板に書かれた彼女の名前には確かな存在感があり、これから三年間は近い場所にいられるのだということが実感できて、これまで感じたことのない喜びがオレの中に広がる。


 使用人科、とくにSクラスの学生は、授業や研修の一環で貴族科と関わる機会が多い。貴族科Sクラスにはオレたちのような専属従者・侍女が着いているため、普通クラスと比べたら関わるチャンスは少ないが、ないわけではないし、同じ学内にいる限り、オレは彼女に積極的に絡んでいくつもりだった。


 何しろ、彼女はオレのことなんて覚えていないだろうし、何もしなければ三年間まったく関わりなく卒業することだってできてしまうのだ。オレとしては彼女と親しくなって、彼女の卒業後の進路について知りたいし、あわよくば王宮勤めを勧めたいと思っていた。

 それに、今のところ男の陰は一切ない(というか彼女に気がある男はこれまでこっそり…以下略)が、共に時間を過ごすうちに使用人科の男子生徒と恋仲になってしまう可能性だってあるのだ。うかうかしている暇はない。早急に彼女と友人にならなくてはならない。我ながらなかなかの執着心で、ターニャに気持ち悪がられないように気を付けないといけないとは自覚している。


 あまり長くアルの傍を離れるわけにもいかないので、オレは講堂へと向かうことにした。掲示板前に来てから絶え間なく辺りを見回して、彼女のピンクブラウンの髪を探していたのだが、残念ながらこの付近に彼女はいないようだ。すでに入学式が行われる講堂にいるのかもしれない。オレは引き続き彼女の気配を探しながら、講堂へ向かった。



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 講堂の最前列中央に並べられた、貴族科特別クラス新入生の座席へ向かうと、空席があることに気付いた。アル、ピヴォワンヌ様が並び、その隣にはオリアンダー伯爵家の双子、イーサン様とエヴリン様が座っている。この四人がSクラスに入学するのは妥当というか、学力や能力的に考えて予想通りであった。


 しかし、最後の席が空いている。


 アルと同い年の貴族でSクラスに入れるほど優秀な者が他にいただろうかと、考えを巡らす。イーサン様とエヴリン様も、ひそひそと最後の一名について予想(というか賭け)を繰り広げており、後ろの席に座っている従者と侍女にきちんと前を向いて大人しくするよう注意されていた。なるほど、彼らは良くも悪くもトラブルメーカーとして有名なオリアンダー伯爵家の天才たちのお目付け役なのだと理解する。年齢も双子より少し年上のようだ。


 オレは彼らのひそひそ話に耳を傾けつつ、アルの後ろにある自分の席へと向かった。斜め前に座るピヴォワンヌ様と、隣の席のサラに挨拶をしてから腰掛ける。ピヴォワンヌ様の侍女であるサラとはもちろん面識がある。彼女は控えめながらも優秀な侍女で、主人であるピヴォワンヌ様を妹のように大事に思っている。癖の強いオリアンダー伯爵家の天才たちと同じクラスになることで多少面倒も起きるだろうが、彼女のように信頼できる者が同じクラスにいてくれるのはとても心強い。


 間もなく入学式が始まるというギリギリの時間に、ようやく最後の一名とその従者がやってきた。すでに他の新入生は着席していたため、後方の扉から最前列まで歩いてくる気配はすぐに分かった。王立学院に入学する優秀な生徒たちが騒ぐはずはないが、心なしかざわついている。よほど有名な人物なのか、見た目が特徴的な人物なのか。

 後ろを振り向いて見てみたいが、マナー違反になるし、何よりオレが後方を見たら、使用人科特別クラスのターニャを探してしまうに決まっている。今は振り向かずに、最後のクラスメイトがやってくるのを待つべきだろう。


 優雅にゆったりと進んで来た最後のクラスメイトが最前列に近づくと、マナーに関して徹底教育されているはずの貴族科の生徒ですらざわめきが起こった。一体どんな人物なのだろう。そしてオレとしては、従者と合わせて二名の気配があるはずなのに、一名分しか気配がないことも気になっていた。どちらかひとりは、おそらく従者の方だろうが、足音や気配を完全に遮断できるヤツのようだ。面白いヤツかもしれないと思うと同時に、第一王子の従者として注意しなければいけないと気を引き締める。


 そしてついに、オレは彼女たちの姿を視界に捉えた。心臓が止まるかと思うほど驚いた。


 入場時から後方がざわついた理由は一目で分かった。絹糸のようにキラキラと輝く銀色のウェーブヘアーの女性、一瞬だけチラリと見えたかんばせは、驚くほど美しく整っていた。最前列の最後の空席に着席した彼女が、最後のSクラス合格者だ。その美しさもそうだが、この国の貴族の子女であれば、多少なりとも面識があるはずなのに、その顔はオレの記憶には存在していない。他の新入生も彼女の美しさと、また、彼女がどこの誰なのか分からないことで困惑したのだろう。


 しかし、オレの驚きは謎の女性についてではない。その後ろの席に腰掛け、緊張した面持ちの主人を気づかわし気な目で見つめている侍女。それがターニャだったからだ。


 使用人科の首席合格者である彼女がなぜここにいるのか、オレの頭は混乱した。そして混乱しつつも、一気に小賢しい計算が駆け巡っていく。


 理由はまだ分からないが、彼女がここにいるということは、これから貴族科Sクラスとして三年間一緒に過ごせるということだ。どうやって使用人科の彼女に近付くかを長らく算段していたが、同じクラスならばそんな苦労は必要ない。自然に距離を縮めていけばいい。


 入学早々舞い込んで来た幸運に、オレの心は高鳴るばかりであった。



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 学院入学から数日が経ち、オレは浮かれていた。顔には出していないはずなのだが、付き合いの長いアルには気付かれたようで、ずっと上機嫌なオレが気持ち悪いと言われた。


 そりゃあ上機嫌にもなる。長い間想い続けたターニャが、毎日同じ教室にいるのだから。


 自己紹介をした日、オレの淡い期待を予想通り裏切って、ターニャはオレのことなんてまったく覚えていないようだった。それはそうだ。オレが彼女に会ったのは、八年も前のわずかな時間だけなのだから。


 初日は挨拶しかできなかったが、二日目のレクリエーションでは従者・侍女でチームになったため、彼女とたくさん話すことができた。ありがとうロータス先生、ありがとう学院の伝統行事。


 チームリーダーに指名されたので、オレは適当な理由をつけてターニャと組んで行動を共にした。直接会ってはいないが、この八年、オレはずっと彼女に焦がれていたのだ。その彼女が、今はこんなに近くにいることが、たまらなく嬉しかった。


 レクリエーションの最中、あまりターニャを警戒させてはいけないとは思ったが、つい調子に乗ってしまった。アルから身を隠すためというこれまた適当な理由で、庭師の仕事小屋の陰に彼女を引き込み、オレの両腕で隠すような体勢に持ち込んだ。


 憧れた少女が随分と大人になって、オレの手が届く場所にいることがたまらなかった。ピンクブラウンの髪は幼かったあの日の記憶よりも色が濃くなった印象で、艶々と輝いている。侍女らしく低めの位置でまとめられたお団子をほどいて、その柔らかそうな髪に触れてみたくなる。焦げ茶の瞳の色を覗き込めるほどの距離に彼女がいることも、幸せすぎて頭がおかしくなりそうだ。薄い桃色の唇には思わず吸い寄せられそうになる。


 もちろん、ターニャに嫌われては台無しなので、少しからかう程度に留めたが、彼女との会話は本当に楽しかった。今はまだ敬語だけど、近いうちに絶対にもっと気楽に喋ってもらえるようになってみせる。


 成長したターニャのそばにいられることの幸せを毎日噛みしめつつ、オレとしては心配なこともある。


 クウを通じてターニャのスキル的な面での報告は受けていたし、言い寄りそうな男についても逐一確認してきたが、オレは敢えてターニャの外見については一切聞かなかった。記憶の中で美化されすぎてしまうとは思ったが、現実の彼女に会ったときの楽しみにしたかったからだ。まあ、それでも彼女の街を訪ねたときにとても賢く可愛らしいという評判は耳にしていたが。


 そして入学式の日に、オレは二度目の恋に落ちたのだと思う。同じ相手に二度というのもおかしな話ではあるが、本当にそれくらい、彼女の今の容姿はオレの好みだった。一目で彼女がオレの憧れ続けた少女だと分かったのに、それと同時に一人の大人の女性としても惚れてしまったのだ。


 ターニャはリーリエ様の侍女として、常に一歩後ろに下がり、意図的に気配も薄めているが、実は主人に負けず劣らずの美少女だ。オレの欲目が大いに入っていることは否定しないが、好きな子は世界一可愛いのだから仕方ない。

 華やかなメイクを施せば、人目を惹くだろうと思うが、侍女である彼女がそんなことをするはずもなく、極めて地味になるように仕上げられている。オレとしては他の男の目が心配なので、彼女にはこのままずっと地味にしていてほしいくらいだ。彼女の可愛さはオレだけが知っていれば良い。



 予想外だったのは、アルがターニャの主人であるリーリエ様に惚れてしまったことだった。

 第三侯爵家であるピアニー侯爵家のピヴォワンヌ様と婚約中の状態でそれは非常にマズい。マズいのだが、自分の欲望に忠実なオレはつい思ってしまったのだ。もしもアルとリーリエ様が結ばれたら、オレもターニャのそばにずっといられるのだと。


 もちろん、アルが誰かに恋をしたなら応援しようと決めていたことも嘘じゃない。幼い頃から第一王子として自分を律し続けているアルが、本当に心を寄せ、また、アルの心に寄り添える人が現れたなら、その人とアルが結ばれるように動くつもりでいた。自分の主人であり、弟のようにも思っているアルが幸せになるためなら、努力は惜しまないつもりでいた。ただ、思いがけず、アルのために動くことが凄まじく自分のメリットになってしまう状況になってしまったのだ。



 オレは脳内でやることをリストアップしていく。まずはアルの気持ちが一時的なものでないことを見極め、そしてお相手であるリーリエ様の気持ちも大事にしなければならない。今のところかなりアルに対して好感を持っているように見えるが。

 そして、ピヴォワンヌ様とアルの関係にどう決着を付けるかがいちばん難しい。婚約解消となれば、女性側には大きな傷が付いてしまうし、アルの評判だって大きく下がるだろう。婚約解消がピヴォワンヌ様にとってもメリットになる形で、円満かつ穏便に事を運ばねばならない。


 それらを慎重に進めつつ、オレにとって一番の難題は、ターニャの気持ちをオレに向かせることだ。やることは山積みだが、うまく行けば全員を幸せにできるはずだ。とてつもなく忙しい三年間になることを、オレは覚悟した。


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