第二十六話 三年目:夢の花束

 リリーヴァレー王立学院卒業式後の祝賀会には、卒業生だけでなく在学生や保護者、来賓も含め、多くの人が集まっていた。これまでの学院行事では、使用人科の学生や、貴族科特別クラスの従者・侍女は裏方に徹することが多かったが、この祝賀会だけは主役のひとりとして卒業生全員が出席することとなっている。

 

 そのため、今日は私もドレスを用意した。自分の衣装に手間をかける気はないので、数年前の一時期働かせてもらっていた王都のドレス店の伝手で、型落ちの安価なドレスを入手しようと考えていた。しかし、私以外のSクラス女子全員から猛反対を受けた。


「ダメよ、ターニャ。一生に一度の晴れ舞台なのだから、ちゃんと良いものを着てちょうだい。お父様だってターニャのドレス代は我が家で出すとおっしゃっているのよ」


「リーリエさんの言う通りですわよ、ターニャ!いつももっとお洒落するように言っているのに、地味なものばかり選ぶんですもの。一度くらい着飾ったターニャを見たいですわ!」


「ふっふっふー、ターニャったら素材抜群のくせに、侍女のこだわりが強すぎてあえて地味にしてるでしょー。ついにこのスタイルを見せつけるときがきたのねー!」


「ちょ、やめてください、エヴリン様!変なとこ触らないでくださいっ!」


「サラ、エマ、やっておしまい!」


「「はい!」」


 …二月ほど前の出来事を思い出し、遠い目をしてしまう。あのときは本当に酷い目にあった。ピヴォワンヌ様とリーリエ様の手持ちのドレスで着せ替え人形にされ、あーでもないこーでもない、あれが似合う、こっちの方が良いと、数刻に渡ってもみくちゃにされたのだ。その時間が辛すぎて、最終的には「だったら自分できちんと仕立てる」と宣言してしまった。王国トップの令嬢方と同じようなドレスを店で仕立てたら値段がとんでもないことになってしまうし、正直言っていろいろと口出しされるのも面倒に感じてしまったのだ。それならいっそ自分の好きなように縫おうと決め、布や糸だけはお言葉に甘えてジプソフィラ子爵家持ちで購入させてもらった。


 鏡の前に立ち、自分のドレス姿の最終チェックをする。あれほど嫌がった手前、クラスメイトには言えないが、生まれて初めてお姫様のようなドレスに身を包むと、やはり心が躍ってしまう。一度作り始めたら楽しくなってしまい、なんだかんだで結構こだわって作ってしまった、お気に入りのドレスだ。


 生地を選びに行った店で一目惚れしたのは、手触り柔らかな薄紫色の布地。日中の明るい時間帯には少しピンクがかった紫色なのに、夜に紛れると青紫に近い色合いにも見える。その色が、私が幼い頃に絵本で読んで憧れた、伝説の百合の花に似ていて、とても心惹かれたのだ。


 おとぎ話なのか実在したのかは誰にも分からない、青紫の百合スターライトリリー。昼間は赤紫なのに、星空の下で見ると神秘的な青紫に見えるという。

 私はその百合に憧れて、花卉かき栽培農家で手伝いをしていたときや、花屋の下働きをしていたときに、品種改良で生みだせないかと研究したこともあるほどだ。最終的には、実現させるためには魔術式を組み込む必要があるという結論に至り、そのためには王立学院ではなく王立魔術学院へ通う必要があるため、泣く泣く断念したのだった。

 

 私の仕立てたドレスは、私のイメージするスターライトリリーの色合いに似ていて、身に着けると心が弾む。いつもの控えめな化粧よりは、少しだけ濃いメイクをすると、そこには私の知らない私がいるようで、なんとなくむず痒いような思いがした。



 ∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴


 煌びやかに飾られた講堂では、正装に身を包んだ卒業生たちの、緊張の中にも晴れの日を祝い、喜び合う姿が見られる。この日をもって、貴族科の卒業生は正式に成年貴族として一人前扱いとなり、使用人科の卒業生はそれぞれ就職することとなる。学生時代に別れを告げ、大人としての第一歩を踏み出すのが、この祝賀会なのだ。


 今夜いちばん盛り上がりを見せたのは、つい先ほど国王陛下からの祝辞の後に正式発表された、二組の男女の婚約披露の一幕であった。学院祭のときからずっと注目されていたアルベール様とリーリエ様の婚約、ならびにナディル様とピヴォワンヌ様の婚約が整ったことが発表され、二組の恋の行方を気にしていた学生たちを中心に、講堂には歓声と祝福の拍手が響いた。


 ナディル様とピヴォワンヌ様は学院内でふたりで会話する姿も目撃されていたので、生徒たちもふたりの恋が順調であることは既知であったが、国王陛下からの言いつけを守り、後夜祭以降、今日この時まで、アルベール様とリーリエ様がその関係を匂わせたことはなかったため、学院の生徒たちは密かに二人の関係を心配していた。

 もちろん、教室移動やランチの際にクラスメイト複数人のグループ内で、アルベール様とリーリエ様が一緒にいたこともあるのだが、そういうときはわだかまりがないことを周知する目的もあり、アルベール様の隣はナディル様、リーリエ様の隣はピヴォワンヌ様になることが多く、この八か月間、アルベール様とリーリエ様がふたりで肩を並べたことは一度もなかったのだった。


 そのため、先ほどふたりの婚約が発表されたときは、第一王子と白百合の姫の純愛が叶ったことに祝福の歓声が上がり、女子生徒の中には美しいふたりの幸せそうな姿に感動し、泣き出す者までいたほどであった。こうして学院祭の双花奉納の儀における姫とエスコート役の恋のジンクスは、さらに信憑性を増し、これからも語り継がれていくことだろう。



 ダンスタイムとなり、講堂の中央で踊るアルベール様とリーリエ様は、これ以上ないほど幸せそうな笑顔を振りまいている。学院祭のときの緊張した初々しい様子とはだいぶ変わった主の姿に、私は歓喜で思わず目頭が熱くなる。

 穏やかな微笑みを浮かべて未来の花嫁を見つめるアルベール様と、ようやく手を取り合うことができた愛しい人を見つめ、可愛らしく微笑むリーリエ様の姿に、この王国の未来の明るさを、誰もが感じていることだろう。妃教育を通して少し自信をつけたリーリエ様は、ダンスや来賓からの挨拶にも堂々とした振る舞いをしている。リーリエ様の髪には、今日も白百合ムーンライトリリーが飾られている。やはりあの花はリーリエ様によく似合っている。


 ナディル様とピヴォワンヌ様も、優雅なダンスを披露し、会場を沸かせていた。ピヴォワンヌ様の髪飾りにも、学院祭と同じく赤百合サンライトリリーが使われている。ゲームの世界では、断罪され、婚約破棄を告げられるこの祝賀会の場で、新たな婚約者と共に幸せオーラいっぱいの赤百合の姫が微笑んでいるのを見ると、私まで幸福な気持ちで満たされていくようだ。


 イーサン様とエヴリン様は、先ほどから引っ切り無しにダンスに誘われている。貴族科Sクラス卒業かつ将来有望なふたりには、まだ婚約者がいないので、無理もないことだろう。ふたりとも持ち前のコミュニケーション能力を存分に生かし、適度に手を抜きながらも上手にダンスの誘いを捌いていた。


 エヴリン様の侍女エマさんは、先ほどからずっと使用人科の卒業生の男子と踊り続けている。彼がエマさんの婚約者なのだろう。一緒にいるところを見たのは初めてだが、エマさんが教室にいるときには見たことがないほどリラックスした表情で、良い関係なのがうかがえる。


 ピヴォワンヌ様の侍女サラさんも、複数の卒業生男子からダンスに誘われているし、イーサン様の従者アールさんにも、多数の女子生徒から熱視線が注がれている。そう、主人たちが凄すぎるために普段は表立って騒がれないが、学院内では貴族科Sクラスの従者・侍女は隠れ人気が高いので、最後のチャンスとばかりに人が殺到しているのであった。


 そして実は私にもファン?のような生徒たちがいたようだ。なぜか女子ばかりだけど。私は平民なので使用人科の女子が多いかと思いきや、貴族科の普通クラス所属の令嬢たちからも話しかけられ、ちょっと驚いている。

 前々からたまに視線を感じることはあったのだが、常にリーリエ様の陰に控えている私に対し、直接声をかけるような機会は少なかった。そのため、先ほどから周囲を囲まれてここぞとばかりに話しかけられているのだが、質問される内容が妙にディープであった。

 学院祭のときの姫の衣装の素材や刺繍についてだったり、リーリエ様に淹れているハーブティーのブレンドと効能だったり、Sクラスのティータイムで出していたお菓子のオリジナルレシピだったり、学院の様々なイベントの際に私が結ったリーリエ様の髪型のアレンジ方法であったり…どうにも侍女魂をくすぐられる質問が多く、ついつい懇切丁寧に解説してしまった。


 さすがに慣れない状況で喋り疲れたので、ふと周りを見回すと、ナディル様の侍従であるカイが女子生徒に囲まれてタジタジになっていた。クラス最年少のカイは、一緒に卒業したとはいえ、まだ十六歳になったばかりだ。年上美人のお姉様たちに囲まれたら何かと大変だろうと、助け舟を出しに行こうかと思ったのだが…


 そんな私の前に、すっとワイングラスが差し出された。


 相手は見なくてもなんとなく想像がついた。そして顔を見ればやはり予想通りの人物がそこにいた。私を囲んでいたファン?の女子生徒たちは、私に会釈をして同時にささっと消えていく。


「お疲れさま、ターニャ。喉が渇いた頃かと思って持ってきたよ」


「ええ、あなたもお疲れさま、ヘクター。お気遣いありがとう」


「どういたしまして。いよいよ酒も解禁だと思ったからね」


 私はヘクターからスパークリングワインが入ったグラスを受け取り、軽く乾杯してからゆっくりと口をつけた。実際に喉が渇いていたこともあるが、およそ三年ぶりのアルコールが体に染み渡っていくのを感じ、口に広がった香りと後味を楽しむ。

 リーリエ様とピヴォワンヌ様の恋が叶った時点で断酒は止めても悪くはなかったのだが、この祝賀会での正式な婚約発表があるまではすべてがひっくり返る可能性もないとは言えず、気を緩めてはならないと思い、今日まで断酒は続けていたのだった。

 いっそリーリエ様が式を挙げる二年後まで続けようかとも思ったが、卒業後は仕事上の付き合いもあり、飲酒をすべて避けることも難しいだろうと考え、今日を解禁日と決めていた。そんな細かいところまでヘクターが知っているわけはないのだが、良いタイミングで差し入れてくれたものだと思う。


 しばしうっとりとお酒を味わいつつ、ヘクターと歓談する。私たちの視線の先には、二人並んで挨拶を受けているアルベール様とリーリエ様の姿がある。


「これで本当に、大丈夫ね」


「うん、そうだね。本当に世話の焼ける主人たちだったけど、無事に今日を迎えられて安心したよ」


 私の願った大団円エンド。ゲームのスチルなんかよりずっと幸せそうな主人やクラスメイトを見て、心から嬉しく思い、私はヘクターに素直な感謝を告げる。


「…ヘクター、三年間、どうもありがとう」


「こちらこそ。…嫌だな、そんな最後みたいな挨拶をされると不安になる」


 ヘクターは冗談めかして言ったが、彼のダークブルーの瞳には一瞬影が差したように感じた。迷いつつも言葉をかけようとしたとき…私たちの沈黙をチャンスと思ったのか、横やりが入った。


「お話し中大変失礼いたします。マグワート様、ご卒業おめでとうございます!」


「ヘクター先輩、少しだけで良いのでお時間をいただけないでしょうか。この子からお話したいことがありまして…」


 貴族科普通クラス第二学年の女生徒三名がやってきた。実は先ほどから後方でヘクターを見つめていたのが私からは見えていたし、今の言動で肝心の三人目の女子が緊張した面持ちで口を開けずにいる様子を見れば、状況は一目瞭然だった。

 一瞬ヘクターは後輩女子たちの方を断ろうとする素振りを見せたが、私が止めた。


「ええ、どうぞ。ヘクターは私の顔は見飽きてるでしょうし、私たちは今後も職場が同じになるからいつでも話せるもの」


 ヘクターは私に何か言いたげな表情をしたが、私はなぜか気まずく、すっとその場に背を向けた。


 あの女生徒はヘクターに告白をするつもりなのだろう。自然にその場を去るつもりだったのに、トゲのある言い方をしてしまったかもしれない。クラスも学年も違い、これまで話す機会もそうそうなかったであろう後輩の女の子に対し、「自分はこれまでも一緒だったし、これからも機会がある」だなんて、イヤミも良いところだ。


 自己嫌悪に陥った私は、先ほどヘクターに話しかけられて忘れていた、お姉様方に取り囲まれているカイを助け出すべく、足早にその場から離れた。視界の隅で、静かに話せそうなバルコニー方面へ後輩女子とヘクターが消えていくのを捉え、胸にズキリとした痛みを抱えながら…。



 ∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴


 結局あの後、再度ヘクターと話をする機会のないまま、祝賀会は終了した。明日は退寮日となるので、寮に戻って片付けと出立準備を整えたが、私の気持ちは祝賀会のときからずっとざわついたままであった。


 リーリエ様と就寝の挨拶を交わした後、私はこっそりと寮を抜け出した。こんな状況では眠れそうにないし、何より、もしかしたら彼も同じなのではないかという、予感のようなものがあったからだ。


 ゆっくりと星空を眺めながら、私は学院の中庭にやってきた。後夜祭のあと、ヘクターからプロポーズ?を受けた場所だ。そして私の予感通り、ベンチには先客がいた。


「こんばんは、ヘクター。星の綺麗な良い夜ね」


 あのときは冬空に白く輝く満月だったが、今夜の初夏の夜空には細い三日月が浮かび、立派な天の川が橋のようにくっきりと空に弧を描いている。


「こんばんは、ターニャ。また眠れなかったの?実はオレもなんだ」


 ヘクターも私がここに来ることを予期していたようで、驚きもせずふわりと微笑み、彼の左側に空いたスペースを勧められた。私も素直に腰掛けた。しばしふたりで、月と星空を見上げる。


「祝賀会のときはごめん、何か話そうとしてたのに」


 先に沈黙を破ったのはヘクターだった。私も当たり前のようにいつもの声色を作って返事をする。


「いいえ、私の方こそ。…なんか感じの悪い言い方しちゃったわね。あの子は…ううん、ごめんなさい。私が聞くべきことじゃなかった」


 つい質問しようとしてしまい、ヘクターの答えを聞く前に自分で取り消した。

 

 あれからしばらく経った後、ヘクターと彼女がダンスを踊っていたのは目撃している。決して覗こうなんて思っていなかった。たまたま視界に入ってしまったのだ。ついでにダンスの後、ヘクターに丁寧なお辞儀をしてから、今にも泣き出しそうな表情で去っていった彼女の顔までばっちり見てしまった。

 このことについて私が何か言うべきではないだろうし、まるでヘクターの口から彼女ではなく自分への好意を引き出そうと期待しているようで、そんな自分がたまらなく嫌で、今すぐこの場に穴を掘って埋まりたい気分だ。


 しかし、ヘクターはきっぱりと言った。


「断ったよ」


「……そう」


 私は今、ちゃんと平坦な相槌を打てただろうか。声に安堵の響きが混じっていなかっただろうか。複雑な気持ちと自分の浅ましさを突き付けられたようで、胸がヒリヒリする。逃げていてはいけない、きちんと自分から話をしなければと思うのに、言葉が出てこない。



「ターニャ、顔を上げて。オレの方を向いてくれる?」


 ヘクターの声を聞くまで、私は自分が俯いてしまっていたことにさえ気付いていなかった。さっきまで星空を見上げていたはずだったのに。


 声と同時にヘクターが立ち上がり、私の正面へ移動した。顔を上げた私の目に飛び込んで来たのは、星明りを受けて輝くヘクターの真剣な瞳と、夜でも分かる鮮やかな青紫。



「ターニャ、好きだよ。オレと結婚してほしい」


 ヘクターは、ベンチに座る私の前に片膝を着き、真っ直ぐに私の目を見つめていた。その手には、青紫色の百合の花束があり、私に向けて差し出されている。私は驚きで声も出ない。


 後夜祭のあと、今と同じ場所で私の返事を待つと言ってくれた彼が、再度想いを伝えてくれたことへの驚きだけではない。彼の持つ百合は、私が今日のドレスに選んだ色と同じ色なのだ。青紫の百合、スターライトリリー。この王国のおとぎ話に登場する伝説上の存在で、実在しないはずの花。そして子どもの頃から、私が夢見ていた花。どうして彼が持っているのだろうか。


「…返事はいつまでも待つと言いながら、ごめん。でも、学院祭のあの日からターニャがずっと戸惑っているのは分かっていて、恥ずかしながらアルやナディル様に指摘されたんだ。オレの気持ちを、ちゃんとターニャに届くように伝えたのかと」


 まだ返事ができない私に、ヘクターは続ける。


「あのときオレは、ずるい言い方をしてしまった。オレと結婚することがターニャのメリットになるということだけ強調したくせに、自分の気持ちを正直に伝えることから逃げた。だから、きっとターニャはオレの気持ちが信じられなかったんじゃないかと、後になって気付いたんだ。自分でも情けない。だから、もう一度ちゃんと伝えさせてほしいんだ」


 そしてヘクターは、これまでの胸の内を話し始めた。


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