第十三話 二年目初日:別ルートのヒーローがやってきた
貴族科特別クラスで過ごす一年は、あっという間に過ぎた。貴族子女五名はもちろん、その従者・侍女も、共に学び、様々な学院の行事やイベントをこなすうちに親しくなり、第一王子アルベール様を中心に、クラスの団結力は強まっていった。
アルベール様と彼の婚約者であるピヴォワンヌ様の仲には、とくに変化は見られなかった。相変わらず互いに同士として尊重し合っているが、それ以上のものは芽生えていない。その一方で、アルベール様のリーリエ様に対する恋心は、この一年で日増しに募っているようであるが、婚約者を裏切る気持ちにはなれないのか、必死で自制されているように見受けられた。
一方リーリエ様も、アルベール様を愛しく思う気持ちは自覚しているようで、ぼんやりと物思いにふける時間が長くなっている。この一年でクラスメイトとしてピヴォワンヌ様との仲も深まり、友人である彼女を裏切るような真似はできないと、強く思っている様子だ。
身分から言ってもご自身とアルベール様が結ばれるようなことは起こり得ないと理解されているからこそ、常に自らを律し、必要以上にアルベール様に近づかないよう注意しているように見える。そしてリーリエ様は、その苦しい胸の内を、私を含め誰にも明かしていない。侍女としては主に頼られないことを不甲斐なく思いつつも、言い出せない気持ちも、想いを封じ込めようとしている努力もよく分かるので、敢えて触れずにここまで来ている。
私としては、主人であるリーリエ様の想いが遂げられるよう何とかしたいともがいていた。ゲームであれば悪役令嬢であったピヴォワンヌ様が自滅していくのだが、現実世界のピヴォワンヌ様は非の打ち所のない素晴らしい令嬢に成長しているため、婚約者の地位が揺らぐことはあり得ない。そして友人でもある彼女を幸せにすることも、私の目指す大団円エンドには欠かせない。彼女が傷つくような進め方は絶対にできず、どうしたら全員が幸せになれるのか、様々なルートを検討し、模索しては、うまくいかずにいるのであった。
唯一順調に進んでいるのは、リーリエ様自身の価値を高めることだ。リーリエ様は誰にでも分け隔てなく優しく、聖女のような微笑みは見る人を癒す力があるので、私が何をするわけでなくとも着々と信奉者を増やしている。学院の定期テストでは、毎回リーリエ様とアルベール様の首位争いが続いており、万年三位の座に甘んじているイーサン様が密かに闘志を燃やして努力していることは、Sクラスでは公然の秘密となっていた。ちなみに、私たち従者・侍女も同じテストを受けているが、主人より上位にはならないよう絶妙に手を抜いている。それでも第一学年の間、上位十名は常にSクラスの生徒のみで構成されていた。
このような状況で、リーリエ様は学院の生徒たちからはやや遠巻きにされている。しかしそれは「平民出身の男爵令嬢だから」というよりも「特別クラスの生徒だから」という理由が大きい。第一王子とその婚約者、天才と称されるオリアンダー家の双子、そして平民出身ながら王子と首位争いをするほどの才女。ついでに全員が揃いも揃って見目麗しいのだから、貴族科普通クラスや使用人科の学生からすれば、Sクラスというだけで高嶺の花以外の何物でもないのだ。
学院内でのリーリエ様の評判は、何もしなくても本人の実力だけで鰻登りなので、私はこの一年間、リーリエ様の実家であるジプソフィラ男爵家をさらに繁栄させるべく動いてきた。
元々エメラルドの採掘と加工で発展を遂げた家なので、違和感なく家を成長させるには、やはり宝石関連であるべきと考え、新しい加工技術を伝えた。発案者が十六歳の小娘では相手にされない可能性が高く、私自身も名前を出したくないので、以前宝石加工の工房で下働きしていたときに出会った、職人の先輩の力と名前を借りた。伝えた内容は、この世界ではまだ生み出されていないブリリアントカットの知識だ。職人の高い技術だけでなく、研磨機の研究も必要なため、一朝一夕では実現は難しいが、目標となる形が見えていれば必ずいつか実現される。現時点ではまだ完成には至らないが、研究の過程でもこれまでなかった美しいカットがいくつも考案された。
この夏の社交シーズンでは敢えて販売数を絞ったため、一部の高位貴族のご婦人だけが身に着けていた、これまでにない輝きを放つエメラルドは大きな話題を呼んだ。これをきっかけに今年中には更なるブームが起き、ジプソフィラ男爵の名前もさらに広まることだろう。男爵自身が元々バランス感覚に優れた方なので、経済的な利益だけでなく国への貢献も考えており、成金ではなく人格者として貴族社会にも受け入れられていくと予想される。
この流れにより、リーリエ様がアルベール様に相応しい存在として認められていく道は見え始めている。しかし私には依然として二つの悩みが残っていた。
一つはもちろん、ピヴォワンヌ様の立場を落とさずに、婚約解消への道筋を探すことだ。
いちばん望ましいのは、ピヴォワンヌ様が他に真の愛を見つけることだと、私は考えている。アルベール様とピヴォワンヌ様のどちらか一方だけが他の方に懸想したなら浮気になってしまうが、婚約者同士が互いに心から愛する相手を見つけたのであれば、穏便な婚約解消が見えてくるはずなのだ。
この一年、私はあの手この手でピヴォワンヌ様の好みを聞き出そうとしたのだが…
「わたくしの好み?そんなのターニャに決まってますわ!」
絶妙に頬を赤らめて言われてしまった。そのご様子は可愛いらしいが、そうじゃない。私は鈍感属性は持ち合わせていないので、ピヴォワンヌ様のその乙女のような表情に若干の不安を覚える。これは、まだギリギリで友人としての「好き」ですよね?そうですよね?
わずかに彼女の将来が心配になったので、早々に素敵な男性を見つけてピヴォワンヌ様を恋の渦に突き落とさねばならない。
そう思い、それとなく休日に街に連れ出して新たな出会いを演出したり、長期休暇にはリーリエ様と共にピアニー侯爵家の領地へ遊びに行って、ゲームの悪役令嬢ピヴォワンヌの領地静養エンド時に登場する従者の青年との親交を深めたり…それはそれはいろいろなことを試してきたのだ。
しかし人の心は簡単なものではない。結果としてただピヴォワンヌ様と私たちが仲良くなっただけで終わってしまったのだった。
実のところ、ピヴォワンヌ様がアルベール様とリーリエ様の気持ちに気付いていないはずがないと、私は考えている。というか、とっくにクラスメイト全員が察している。王国内でもトップクラスの頭脳と能力を持った生徒たちが、気付かないはずがなかった。気付かれていないと思っているのは、アルベール様とリーリエ様ご本人だけだろう。
その上で、アルベール様もリーリエ様も、互いにそれ以上に近づきすぎることはなく、節度を持って接しているため、クラスメイトも決してそこには触れずに過ごしている。ピヴォワンヌ様の胸中だけが心配なところだが、彼女としてもどうにもできないことなので敢えて気にしないように努めているように見えた。ゲームの悪役令嬢のようにふたりの間を積極的に邪魔することはないが、彼女の立場では応援することもできず、かと言って表面上では何の問題もないのに婚約破棄を言い出すのもおかしな話なので、「どうしようもない」というのが今の状況であった。
ピヴォワンヌ様としては、例えアルベール様の気持ちがリーリエ様に向いていると知っていても、このまま結婚する覚悟なのだろう。それが貴族の結婚というものだった。しかし、それではピヴォワンヌ様だって幸せになれない。私は何としてもこの状況を変えたいと思っている。
もう一つ私を悩ませていたのは、アルベール様の従者であるヘクターのよく分からない行動であった。彼はゲームでは第一王子アルベールがヒロインに惹かれていくのを知り、婚約者である悪役令嬢をないがしろにしてはならないと諫める立場にあったはずだ。しかし現実の彼は、どちらかというとアルベール様とリーリエ様の仲を応援しているように見える。
意図的に距離を置こうとしている彼らに、話すチャンスができるように裏で動いたり、イベントごとでもふたりを自然にペアにするよう画策したりと、謎の動きを見せていた。主人の恋を応援したいという気持ちはあったとしても、現段階で第一王子であるアルベール様がリーリエ様を選ぶメリットなどないも同然で、ヘクターの立場で彼らを応援することはあまりにも不自然であった。
また、リーリエ様の情報を聞き出すためか、ヘクターは毎日のように私に話しかけるようになった。ヘクターが話しかけ、私があしらう様子は、今やこのクラスの日常風景となっている。クラスメイトも呆れた顔で傍観している。
一度彼を呼び出し、真剣に聞いたことがあるが、はぐらかされてしまった。
「ターニャに裏庭に呼び出されるなんて光栄だなあ。愛の告白でもされるのかとドキドキしてしまうよ」
ヘクターはいつものにこやかな表情を一切変えずにのたまった。
「そんなわけないでしょう。冗談はそこまでにして。私が聞きたいのは、あなたの行動の理由よ。どうしてアルベール様とリーリエ様の仲を取り持つようなことをしているわけ?」
「そんなに不思議?主人の恋心を応援したいのは、ターニャだって同じだろう?」
「…!それは、そうだけど…。でもおふたりには立場というものがあるし、婚約者がいらっしゃるアルベール様を下手に近づけて、リーリエ様の評判に傷がつくようなことは、私としては見過ごせないわ」
「オレたちの主人は馬鹿じゃないからうまくやるだろうさ。ターニャが心配することはないよ」
「心配しないわけないでしょう!」
憤る私をよそに、ヘクターは表情はにこやかなまま、突如瞳に熱を乗せて見つめてくる。ついでになぜか私の片手をそっと彼の手で持ち上げながら告げる。
「大丈夫、すぐにうまくいくから。この話はもう終わりにしよう。ターニャが愛の告白をしてくれないなら、オレからしようかな?」
「…!馬鹿なこと言わないで!失礼するわ!」
私は顔が赤くなってしまったことを自覚しつつ、その顔をヘクターに見られないよう、そそくさとその場を後にした。私が戸惑っているのは、このようなヘクターの態度にも理由がある。彼に好かれるようなことなどした覚えがないのに、なぜか彼は時々こうして、私へ好意があるような素振りを見せるのだ。
器用なヘクターならば感情を隠すことなど容易なことなので、最初は私の勘違いか、もしくは彼の何らかの策略なのかと思った。しかし、どれほど考えても、彼が私への好意を示すことに何のメリットも存在しないのだ。ということは、やはりこれは策略でもなんでもなく、彼自身の本当の好意なのかもしれない。だけどやはり、その好意の理由が分からない…。私はひたすら続く堂々巡りを繰り返すのだった。
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第二学年に進級した初日。教室に入ると誰もがあることに気付く。
「…席が増えてる?」
私たちが戸惑っていると、担任のロータス先生が、後ろに二名の男子生徒を引き連れて入って来た。
「みなさん、おはようございます。すでにお気付きのことと思いますが、このクラスに留学生が加わることになりました。貴族科Sクラスは貴族子女五名とその従者で計十名が定員なので、これは学院始まって以来のことですね。異例ではありますが、優秀な仲間が増えるのは喜ばしいことです。それでは、自己紹介をお願いします」
最初に入って来たのは、“砂漠の国の王子様”という言葉がぴったりな美少年であった。褐色の肌に、濃い灰色の瞳。短めのアッシュグレーの髪の毛には、天然のウェーブがかかっており、歩くたびに柔らかそうに揺れる。その甘いマスクは、世の中の多くの女性を虜にしてしまうことで有名なのだ。そう…私は彼らを知っていた。でも、なぜ今ここにいるのかが分からず混乱してしまう。
「お初にお目にかかります。カクトゥス大公国から来た、ナディル・ディセントラです。ダイアンサス大陸の東側に位置する、国土の八割が砂漠と高地の小さな国なので、おそらくこの王国で知る方はそれほど多くはないでしょう。一応は大公家に連なる者ですが、継承権も低いので、気楽に接してもらえると嬉しいです。こっちにいるのはカイ。見てのとおりまだ幼いですが、腕は立つし、リリーヴァレー語が堪能なので私の侍従として連れてきました。これから二年間よろしく頼みます」
「カイと申します。よろしくお願いいたします」
そう言って、ふたりの転入生はリリーヴァレー王国の作法に則り、軽く頭を下げた。
私は急いで脳内で情報を整理する。
ナディル・ディセントラ。彼は乙女ゲーム『月と太陽のリリー』に登場するヒーローのひとりだった。彼は国家元首である現カクトゥス大公の孫に当たるが、子だくさんで有名な大公には、子と孫だけでも三十人近くおり、ナディル本人の挨拶のとおり、彼の上には二十名以上の継承権を持つ親族がいるため、彼に大公位が回ってくる可能性はないに等しい。確かディセントラ公爵家でも彼は三男だか四男だか忘れたが、上に兄が複数人いるはずだ。
彼本人も自分の気楽な立場を気に入っており、小さな自国に囚われず、もっと広い世界を学びたいと考えていた。そして婚約者(=悪役令嬢)がいることを理由に、海を越えてリリーヴァレー王国へ留学し、学院でヒロインと出会い、恋に落ちるというのが、ナディルルートのあらすじだった。
しかし、解せないことが多くある。まず第一に、途中でストーリー分岐が発生しない『月と太陽のリリー』では、アルベールルートとナディルルートが混在することがあり得ない。ナディルルートの場合には、昔から縁があり家同士が親しかったカクトゥス大公国のディセントラ公爵家と、リリーヴァレー王国のピアニー侯爵家との間で息子と娘を婚約させるという取り決めがあったことで、ナディルは悪役令嬢ピヴォワンヌの婚約者として登場するのだ。当然ながら現実ではピヴォワンヌ様はアルベール様と婚約中なので、状況はまったく異なっている。
第二に、彼は婚約者の生まれ育った国で学びたいという理由で、入学時からこの王立学院貴族科に在籍するはずなのだ。二年次から転入してくるパターンなど、聞いたことがない。現在ピヴォワンヌ様が悪役令嬢化していないこともあり、ストーリーは大きく変わってきているものの、ナディルの登場はあまりにも予想外であった。
そんなことを延々と考えている間に、ロータス先生が説明を続けていた。
「ナディル君はすでに十七歳なので、当初は三年の特別クラスへの転入を考えていたのですが、この学院では慣れないリリーヴァレー語での授業となりますし、アルベール君とピヴォワンヌさんとは面識があると聞きましたので、このクラスへの転入となりました。今年の第三学年Sクラスは貴族子女が二名だけですし、こちらの方がたくさんの生徒と交流が持てるのもメリットであると考えての判断です。みなさん、温かく迎えてくださいね」
生徒たちはロータス先生の言葉に頷いた。すぐにアルベール様がクラスを代表して挨拶する。
「ナディル、約二年ぶりだろうか。驚いたが、キミと一緒に学べるのは嬉しいよ。我々は心から歓迎する」
「ナディル様、お久しぶりでございますわね。何かお困りのことがあればご遠慮なくおっしゃってくださいね」
ピヴォワンヌ様はダイアンサス語で挨拶をした。カクトゥス大公国では、大陸共通語であるダイアンサス語が公用語となっており、ナディルルートでは悪役令嬢とナディルは幼い頃から互いの国の言葉を学び、手紙のやり取りをしていたはずだ。悪役令嬢ピヴォワンヌはダイアンサス語は苦手としていたので、ゲームの設定ではその交流はぎこちないものであったが、現在のピヴォワンヌ様は十二歳の頃から私と共に会話練習をされていて、研鑽を積んだ彼女のダイアンサス語はすでに私よりも上手になっているほどだ。おそらく今の世界でも家同士の繋がりはあり、婚約者ではないが友人としての交流があったのだろう。
「温かい言葉に感謝しますよ、アルベール。驚かせたかったので、王家にもピアニー侯爵家にも、あなたたちには内緒にしてほしいと伝えてあったんです」
ナディル様はいたずらが成功した子どものように、嬉しそうにアルベール様に答えた。そしてピヴォワンヌ様に対しては、彼もダイアンサス語で返事をした。
「お久しぶりです、ピヴォワンヌ様。あなたは相も変わらずなんとお美しいことか。あなたに会えただけで、遥々海を越えてやってきたかいがあるというものです」
「まあ、ナディル様は相変わらずお上手ですわね」
ピヴォワンヌ様は思いがけずかけられた甘い言葉に目をぱちぱちとさせたが、ナディル様お得意の美辞麗句だと思い、さらりと受け流した。クラスメイトたちはもちろんダイアンサス語もある程度理解ができるので、婚約者であるアルベール様の目の前で堂々と繰り出されたその言葉に驚きを隠せない。
これは一波乱起きそうな予感がするが、その波乱が良い方向に転ぶのか、悪い方向に転ぶのか、今の私には知る由もないのであった。
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