第四話 ばあや志望の少女はヒロインと出会う

「私、生まれ変わったら絶対ばあやになるんだ!!」


 十歳のあの日、前の「私」を思い出した日に見たのと似たような夢を見た。より正しく言うと、あの日「私」を思い出した「十歳のわたし」のことを夢に見たのだった。


 薄れていく夢と差し込む日差しで覚醒してきた意識の間で、ばあやになりたいと強く願った気持ちだけが胸に残る。窓を開け、少しだけ涼しさを増した秋の朝の空気を吸い込み、決意を新たにする。


 そうだ、私はばあやになるんだ。そのためにまずは、目指せ未知の大団円エンド!



 ∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴


 リリーヴァレー王立学院。

 この国では言わずと知れた、国の最高学府のひとつである。


 この学院には貴族科と使用人科というふたつの学科があり、学院の正門から並木道を抜けた先に聳え立つ白亜の学舎が、貴族科の使う校舎だ。貴族科校舎から裏庭を抜けた先にある煉瓦造りの建物は、使用人科が使う校舎である。

 将来国を担う有能な若者同士で理解を深め、人脈を築くという狙いから、この学院は全寮制となっており、それぞれの校舎に寮が併設されている。週末の外出や長期休暇の帰省は自由であるが、基本的に三年間、ここで生活を共にすることになる。なお、王立学院は国からの予算と保護者や卒業生の寄付金によって運営されているため、学費および寮への滞在費は無料である。


 同じ王立学院の名を冠しているが、貴族科と使用人科はそれぞれ独立しており、大きく性質が異なる。


 貴族科ではその名のとおり将来国を率いる貴族の一員として必要な知識を学ぶため、王家を含むこの国の貴族の子女は、騎士団を志す者やもうひとつの最高学府である王立魔術学院に通うものを除き、必ず入学することが義務付けられている。また、入学試験に合格した場合には、貴族の分家に名を連ねる者や他国からの留学生も受け入れられている。


 使用人科に関しては、貴族科とは異なり入学するための前提条件は一切ない。身分も年齢も関係なく、ただ試験に合格さえすれば誰でも通うことができるため、平民が受けることのできる最高の教育機関となっている。

 この学科を卒業した者の多くは高位貴族の屋敷に雇われる他、王宮や地方の行政機関に就職し、文官として活躍できる道が開かれており、立身出世や経済的な安定を望む平民には夢の学府となっている。その分、当然ながら入学試験は厳しく非常に狭き門であるが、志望者は後を絶たないため、唯一の制限として「入学試験を受けられるのは生涯で三度まで」と定められていた。


 貴族科はすべての貴族家の子女を受け入れるため、とくに定員は設けられていないが、例年留学生を合わせて三十五名程度の新入生が入学する。その性質上、貴族家の子女であれば学力での足切りは存在しないが、入学前のクラス分けテストによってSクラスと呼ばれる特別クラスと、通常クラスに分けられる。


 Sクラスだけは貴族科の中でもさらに特殊であり、将来の王やその側近として国の中心を担う能力のある者だけが集められる。それゆえに、上限が五名という難関でありながら、年によっては二~三名のみとなることや、見合う実力の該当者なしという判断から、特別クラス自体が設置されない年もあるという。


 また、貴族科の特別クラスで最も特徴的なことは、このクラスに合格した貴族の子女は、自分の従者もしくは侍女を一名同行させ、共に学ばせる権利を持っていることであった。これはかつての王が、平民出身でありながら自身を生涯支えた宰相の存在をヒントに発案した制度である。最も信頼を置く使用人に主と同じ教育を受けさせることで、時には孤独になり、時には冷酷な判断を下さねばならない王や領主の心を理解し、支えることのできる者を育てるという目的がある。


 使用人科ではあくまで従者や侍女として必要な教育を施されるが、貴族科の特別クラスで主と共に学ぶ従者は、いわゆる帝王学を含め、あらゆる分野について学ぶこととなる。また、主のクラスメイトである将来の国の重鎮やその従者と信頼関係を築けるという点で、学院の中でもとりわけ異質な存在となる。


 同じく使用人科にもクラス分けがあり、特別クラスであるSクラスの定員は十名で、通常クラスは定員二十名×二クラスとなっている。こちらは純然たる入学試験の成績のみで分けられる。また、入学試験の厳しさから、定員に満たない年の方が圧倒的に多いという。


 「王立学院使用人科卒業」という肩書だけでも引く手数多になるのだが、こちらの特別クラスも貴族科とは違った意味で特殊である。

 使用人科特別クラスの卒業生には、国からの保証の元、王宮勤めや公爵家・侯爵家レベルの家を含め、すべての貴族家ならびに王立機関や行政機関へ志願する権利が与えられるのだ。これは便宜上「志願」という言葉が使われているが、数少ない特別クラス卒業の将来有望な使用人候補を断る家や機関など、まず存在しない。そのため、実質的には国内のどこでも好きな場所で働くことが許される権利となっている。また、自分の就職先での活躍を足掛かりとして大きな功績を上げ、爵位を得た卒業生もいるほどである。



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 私は緊張で引きつりそうになる顔に、必死でポーカーフェイスを張り付け、クラス分けの掲示板を見に来ていた。

 『月と太陽のリリー』の世界では、ターニャわたしは使用人科の入学試験で一位を取っている。そしてこれは本編開始時にサポートキャラとして私がヒロインに関わるために、絶対に通らなくてはならないルートであった。

 もしかしたら一位でなくてもストーリーどおりに進むという可能性はあるが、悪役令嬢になるはずだったピヴォワンヌ様と友人になれたことで、ある程度ゲームの強制力から離れることができると実感した私にとって、ここに限って都合よくゲームの流れでストーリーが始まるという楽観視などできなかったのだ。


 普通は入学するだけでも王国最難関と言われる試験で、その中でも定員十名の特別クラスに入れたら素晴らしい結果であるのに、私はなんとしてもここで一位を取らなければならず、そのプレッシャーは凄まじかった。しかし、この道筋を描いた十歳のときからずっと準備を進めてきたのだ。優秀な新入生の中でも誰よりも努力したという自負がある。後は自分の五年間を信じるしかない。


 使用人科のクラス分けはテストの順位で書かれている。

 私は大きな深呼吸をひとつすると、勇気を出して掲示板のいちばん上にある名前を確認する。


 +———————————————————+

  <特別クラス>

  1 ターニャ

  2 ・・・・・・

  3 ・・・・・・


「……!!」


 普段は冷静で大人びていると言われることの多い私であったが、このときばかりは思わず年相応の反応をしてしまった。自分の名前を確認した瞬間、安堵と歓喜から思わず両手で口元を覆った。夢であったら大変なので、目は掲示板から反らせずにいる。


 …やった!本当に一位になれた!これで私は「彼女」に会えるはず!


 高鳴る鼓動を感じながら、ついにゲームの本編を開始すべく、入学式の受付へと向かうのであった。



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 受付で入学するクラスと名前を告げると、受付係をしている使用人科の女子学生が「あっ!」という表情をして、私に声を掛けた。


「ターニャさんですね。特別クラス、合格おめでとうございます。実は、あなたが受付に来たらそのまま待ってもらうようにと先生から指示を受けているんです。今先生をお呼びするので、少しだけここでお待ちいただけますか?」


「はい、承知しました。」


 学院の先輩となる女子学生の言葉に、即座に了承の返事をした。そして彼女のセリフがゲームどおりであったことから、無事に入学式イベントが開始されたことを理解し、安堵する。


 数分ほど待つと、先ほどの女子学生と共にサラサラの青い髪を風になびかせながら、「美しい」としか形容できない容姿の男性教諭がやってきた。白いローブを纏った姿は、教師というよりも神官のように見える。ゲームでもメインキャラではないが、一部の女性に絶大な人気を誇っていた人物であった。


「あなたがターニャさんですね。私は貴族科特別クラス担任のロータスと言います。突然のことで驚かせてしまい申し訳ないのですが、入学式前に折り入ってあなたにご相談があるのです。私と一緒に来ていただけますか?」


 柔らかなテノールの声で紡がれた言葉は丁寧であったが、切羽詰まった空気が感じられる。そもそも使用人科の新入生である私に、貴族科Sクラスの担任がわざわざ声を掛けに来るなどありえないことなのだ。しかしこの後のストーリーを知っている私は、少し不思議そうな表情を意図的に浮かべ、内心では小躍りしそうな気持ちで頷き、彼に着いていく。


 ロータス先生は道中で簡単な学園の道案内をしてはくれたが、私を呼び出した本題については「着いてからでないと言えない」とのことで何も教えてはくれなかった。


 ロータス先生に連れられた私は、気付けば白亜の貴族科校舎の中でも最上階にある、「学院長室」と書かれた部屋の前に立っている。ロータス先生は固まる私を見て「緊張しなくても大丈夫ですよ。悪い話ではありませんから」と優しく声を掛けてくれたが、私の緊張は今の状況からではなく、これから起こる出会いに対する緊張であった。



「ロータスです。失礼いたします」

「使用人科新入生のターニャと申します。失礼いたします」


 ロータス先生に続き、学院長室に入る。


 部屋の奥には学院長用の大きな執務机と、その横には同じ木目の素材で作られた備え付けの大きな本棚がある。応接スペースとなっている部屋の中心部には、重そうな一枚板のテーブルがあり、木材でありながら顔が映り込むほどに磨き上げられている。テーブルを囲むようにして置かれたソファーのひとつには、白い立派な髭をたくわえた学院長がゆったりと腰かけている。


 学院長の向かい側のソファーには、三十代後半くらいの紳士の姿。上質な素材で仕立てられたダークグレーのスリーピーススーツに、紫がかった銀色の髪をオールバックにまとめており、顔立ちの若々しさに対して落ち着いた印象を受ける男性だ。


 そして男性の隣で姿勢を正し浅く腰掛ける凛とした少女の姿に、私は嬉しさと懐かしさと緊張が混じり、固まってしまう。


 雪のような白い肌に桃色の頬、柔らかなシルバーの髪は緩やかなウェーブのかかったロングヘア―。私と同じ学院の制服である丈の長いワンピースにジャケットの姿だが、彼女が着るとまるで舞踏会で纏うドレスのような優雅な雰囲気さえある。十五歳とは思えないほど完成された顔立ちだが、前髪を眉毛よりも少し上で切り揃えていることで、大人っぽくなりすぎず、絶妙なバランスの「美少女」という佇まいが形成されている。彼女の手は不安そうに握りしめられているが、表情にはおくびにも出さず、エメラルドグリーンの瞳はまっすぐ私を捉えていた。


「おお、キミがターニャさんか。いきなり呼びつけてすまなかったね。さあ、こちらへおいで」


 いかにも好々爺という雰囲気の学院長が、自分の隣の空いたソファーを示し私を呼ぶ。濃紺の長いローブに丸渕の眼鏡、長い白髭の学院長は、教師というよりもおとぎ話の世界の魔法使いといった風貌である。

 ロータス先生は一歩下がった場所で立ったまま成り行きを見守るようだ。私はゲームのストーリーと同じセリフで返す。


「ありがとうございます。しかしながら、平民である私が同席するなど畏れ多いことですので、こちらでお許しください」


 私はソファーには座らず、テーブルの近くに立つ。ゲームを知らなくたって私はそうしただろう。学院長含め、この部屋にいる私以外の人は、どう見たって貴族にしか見えないのだから。使用人科の学生が同じテーブルに着くことは、明らかにおかしい。ついでに言えば、ロータス先生も第五伯爵家出身だ。ゲームの知識がなくとも、最新の貴族名鑑ですべての貴族家の当主の名前と絵姿は確認している。私にはこの紳士が誰であるのか分かって当然であった。


 私の返答を聞いた紳士は、少しだけ驚いた顔をして、私に声をかけた。


「ほう。キミは私のことが分かるのかな」


「…ジプソフィラ男爵家ご当主、マーカス様とお見受けいたします」


 私の回答に、ジプソフィラ男爵と少女は目線だけで頷き合う。学院長は何も言わずに自分の長い白髭をもてあそんでいるが、その目はどこか楽し気だ。 


「ああ、正解だ。突然で悪いのだが、我が家のことはどのくらい知っているかな?」


「三年ほど前に、王国北部の山岳地帯でエメラルドの鉱山を発見されたという記事を新聞で目にしておりました。また、その後の二年間でエメラルドの効率的な採掘方法と新しい加工方法を確立され、その方法を惜しみなく開示されたことで、リリーヴァレー王国全体でエメラルドの産出量が増し、加工品の輸出も伸びているということは存じております」


「そして私の顔を知っていたということは、その功績によって先日国王陛下より男爵位を賜ったということも知っているということだね」


「はい、さようでございます」


 男爵からの質問に、私は今の自分が得ている知識で過不足なく回答した。ゲーム知識のせいで余計なことを口走ってしまっては台無しだし、実際ジプソフィラ家に関わる情報は常に集めていたので何も嘘はない。


 ジプソフィラ男爵とその隣の少女は、今度はしっかりと頷き合い、ふたりはソファーから立ち上がり、真っ直ぐに私と向き合った。


「いきなり試すような真似をしてすまなかったね。あらためて挨拶しよう。マーカス・ジプソフィラだ。キミの知ってのとおり、先日男爵になったばかりの成金貴族だよ。こちらは娘のリーリエだ」


 ジプソフィラ男爵の言葉にはカラッとした響きがあり、「成金」と自虐しつつも自分の功績に自信があるのが感じられ、また、貴族となったことを自慢するでも驕るでもなく、自然体で受け入れているような印象で、私は好感を抱いた。謝罪の言葉にも気持ちがこもっていることが感じられた。わざわざ平民の小娘に立ち上がって挨拶をする姿にも、私に対する誠意が感じられ、これから先の頼み事が本気なのだと分かる。


 男爵の隣にいるリーリエ様も、父親と同様に突然呼び出して不躾な質問をしたことに対し、申し訳なさそうな表情を浮かべている。これから説明される頼み事が、かなり難しいことも理解しているのだろう。


「実はキミに折り入って頼みたいことがあってね。学院長に無理を言って呼んでもらったんだ。私も娘もほんのつい最近まで平民だったのだから気にすることはない。遠慮なくかけてくれ」


 自分はまだしも、男爵とご令嬢をそのまま立たせておくわけにはいかないので、私は今度は断らず、素直に学院長の隣のソファーへと腰掛けた。ようやく全員が着席したところで、ジプソフィラ男爵が口を開いた。


「単刀直入に言おう。キミには、リーリエの侍女になってもらいたいんだ」


 私の反応を見ながら、男爵は続ける。


「実はリーリエはこの学院ではなく、王立魔術学院に入学する予定だったんだ。それが先日の叙爵によって、光栄なことに我が家は貴族の末端に名を連ねることになった。そのまま魔術学院に進学することもできなくはなかったが、突然貴族の娘になったばかりのリーリエには、こちらの学院で勉強させた方が良いという話になってね。急遽貴族科へ入学することになり、クラス分けテストを受けたんだよ。せめてAクラスかBクラスなら問題なかったんだが…」


 男爵の言葉の後を、学院長が繋ぐ。


「こちらのリーリエさんは、大変成績優秀だったんじゃよ。元々魔術学院の方でも特別クラスに合格していたほどでのう。彼女は貴族の一員になったばかりじゃが、将来的に国の中枢部に立てるだけの資質があると、我々学院教師一同の意見が一致しての。急遽貴族科特別クラスへの入学が決まったのじゃ。今年の貴族科Sクラス合格者は四名で、ちょうど一名分の空きもあったからのう」


 学院長の説明を真剣に聞く私を見つめ、再度男爵が続ける。


「知ってのとおり、貴族科特別クラスでは従者もしくは侍女を一名同行させる慣例がある。男爵の位を授かったばかりの我が家には、娘と同年代の使用人はまだいないんだ。特別クラスでは侍女とは言え、貴族と一緒に王国最高峰の教育を共に受けることになるから、基礎的な学力や能力の高い者でないと務まらない。そしてその者は学院卒業後も末永く娘を支えてくれる人材でなくてはならない。適当に選ぶわけにもいかず、困り果てた我々は学院長先生に相談をしたんだ。そうしたら、今年の使用人科特別クラスの新入生に、非常に有望な女子生徒がいるという。それがキミだった」


 私もジプソフィラ男爵の目を見て、真剣に答える。


「…身に余る光栄です。しかしながら、私自身はただの平民の娘です。貴族科特別クラスでは、子女に仕える従者や侍女も貴族家や分家出身の方が多いと聞きます。私ではあまりにも不釣り合いな場所ですし、侍女として働いた経験のない私に務まるとは思えません。お言葉ですが、貴族の一員となられたばかりのリーリエ様には、貴族の生活や文化にも詳しい、経験豊富な侍女をお選びになった方がよろしいのではないでしょうか」


 私は率直に懸念を口にする。


「私たちもそれは考えたんだよ。しかし、貴族として必要なことはこれからいくらだって学ぶことができる。侍女としての経験だってこれから積んでもらえたら良い。勝手に調べて申し訳ないが、キミの経歴も確認させてもらってね。キミが昔一年ほど男爵家の下働きをしていたことや、最近では第三侯爵家ご息女の話し相手を務めていたことを知り、キミなら能力的にも人格的にも申し分ないと判断した。急に貴族の娘になったリーリエには、戸惑うことも多く、周りからの厳しい視線もあるだろう。私が娘の侍女に望むことは、完璧な侍女であることではなく、平民出身であるリーリエの心を理解し、貴族科の中でも共に支え合って成長していける者であることだ。そしてリーリエが自分の侍女に望むことは…」


 父親に視線で促され、リーリエ様が告げる。そのエメラルドの瞳は、しっかりと私の目を見つめている。


「…ただひとつだけ。尊敬できる者であることです」


 鈴を転がすような声とはこのことだろう。静かな話し方でありながら、彼女の澄んだ声は部屋によく響いた。

 私もリーリエ様の目を見て返す。


「…私はリーリエ様にとって、尊敬できる者になり得るでしょうか」


「…使用人科の入学試験がどれほどの難関であるか、私も聞き及んでいます。しかも初めての受験で、貴族家の後ろ盾があるわけでもない平民でありながら、特別クラスに、それも首席で合格するなど、前代未聞のことであると」


 その真剣な表情に、私は相槌を打つこともできず、リーリエ様の次の言葉を待つ。


「間違いなくあなたは、何年間も多くの努力をしたのでしょう。それがどれほど大変なものだったか、想像することができるわ。そしてこの部屋に入ってからのあなたの立ち居振る舞いも、冷静な言葉も、一朝一夕で身に着くものではないと分かります」


 そして、リーリエ様はずっと感情を抑えていた表情を緩め、ふわりと微笑んだ。


「私、あなたを尊敬するわ。そして、あなたに負けない自分になりたいと思う」


 その言葉に、微笑みに、私は心臓がギュッと握られるような感覚になった。リーリエ様のその言葉だけで、十歳までの自分が「なんでもできるばあやになりたい」とがむしゃらに頑張っていたことも、ゲームの記憶を得てから、ここに至るまでに重ねてきた努力も、すべてが報われるような気がしたのだ。


「ターニャさん、心からお願いします。どうか私の侍女になってください」


 もう、返事は決まっていた。

 前の「私」を思い出した十歳のときから、私は彼女に仕えるため、この出会いを実現させるために、ずっと走り続けてきたのだから。


 私はようやく出会えた生涯の主に、深くお辞儀をする。


「…謹んでお受けいたします、リーリエ様。私のことは、どうぞターニャとお呼びください」


 こうして、今年の王立学院貴族科特別クラスに入学する、平民出身の異色の主従が誕生したのであった。


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