TR-16 - Let It Bleed
ルカとユーリは懸命にテディを捜し続けていた。
初めのうちはまた気紛れにひとりで消えたものだと思っていたが、電話をかけても繋がらず、辺りをいくら捜してもみつからないことに、次第に不安が募り始めていた。なにかあったのだろうかと思いながらなんとなくそれを口にはだせず、ただひたすら迷路のような路地を彷徨い続けて、もう四十分以上が経っていた。
「ちくしょう、どこに行ったんだ。もしかしてあいつ、先に帰ったのか?」
「そうならいいが、俺らに一言もなしに帰るか?」
「うーん、テディはわりとそういうことやるんだよ」
きょろきょろと見まわしながら、少し苛立ったようにルカが云う。細い
だが、集まっている客たちを見てユーリは、妙に短髪、髭面の体格のいい男が目につくのに気が付き、眉間に皺を寄せた。見れば、街灯に照らされた塀にはスプレーで描かれたチームロゴのようなグラフィティアートや、卑猥なイラストが目立つ。
「いちおう戻ってないか、ターニャに電話で訊いてみようか。ひょっとしたら疲れて部屋で寝てたりするかも……ああ、でもその前にもう一回だけテディにかけてみるか」
ルカがそう云い、モバイルフォンを手に足を止めた。すると――どこか離れたところから、ピリリリ、という聞き憶えのある音が微かに耳に届いた。
発信中のモバイルフォンを手にしたまま、ルカが音が聞こえてくるほうを見る。ユーリも気づき、ふたりしてその広い通りの向こうに伸びる細い路地へと近づいた。音がするほうに向かって、街灯のほとんどない暗い通りを進む。すると程無く休業中の店舗が並ぶ石畳の路地の先に、ブルブルと振動しながら電子音を発し、光っているそれをみつけた。
駆けだしてそれを拾いあげ、ルカは不安に顔を曇らせた。
「……テディのだ」
自分の名前を表示しているモバイルフォンを手に、ルカは周囲に視線を彷徨わせた。だがその暗く細い通りには、人影などまったく見あたらない。
しかし、ユーリは云った。
「この辺りにいるんだ……。建物のなかかもしれない。見ろ」
ユーリは振り返り、黄色い光が漏れる飲み屋街の上のほうを指さした。六色のレインボーフラッグが、ぱたぱたと揺れている。
「……まさかあいつ、わかってて来たんじゃないだろうな」
「それならそのほうがいい。でも――」
いくらテディでも昨夜の今日でそれはないのではないか。だとすれば――ふたりはますます膨らむ厭な想像にぐっと拳を握りしめ、もう一度辺りを見まわした。
* * *
テディはもう抵抗しようともせず、ただ時間が過ぎていくのを待っていた。体位を変え役目を変え、ひたすら続けられるこの行為が始まってからもうどれだけ経ったのか、まだどれだけ続くのかさっぱりわからない。
男たちはテディを達かせようと必死になっているようだったが、なにをされても吐きだせるものなどもうなにもなかった。後ろから叩きつける動きは更に激しくなり、テディは目を閉じたままじっと耐えていた。抵抗したり声をあげたりすれば、こういう輩はかえって喜ぶのだとテディは知っていた。躰の感覚と意識を切り離そうとするように、テディはなにも考えず頭のなかを空っぽにしようと、それだけに集中していた。
だが――突然、躰中にぴりりと電流が走ったような感覚に襲われた。がくがくと全身が震えだし、堪らえていた声が叫びのように漏れる。
「――は……あ、あぁっ……!」
射精はしていない。しかし射精よりも、もっと強い快感が背骨から脳髄へと這いあがってきた。躰が震え、深く空気を吸いこもうとするように開いた口から涎が滴り落ちる。肩で息をし、がくんと全身から力が抜け横向きに倒れこみ、意識を手放しそうになる。否、いっそ手放せればよかったのかもしれないが。
「なんだ、どうしたんだこいつ」
「……ドライで達きやがった」
とろとろと溢れるカウパー腺液を見て男は云い、テディを仰向けにさせた。再び打ちこまれる楔にテディが狂ったように頭を振る。脚を抱えたままテーブルに手をつき、躰を密着させながら男が抽挿を速めると、テディは一層高い声をあげた。
テディはもう発狂しそうに感じていた。今、テディの躰を支配しているのは普通に射精するときの十倍以上と云われる、ドライオーガズムによる絶頂感である。そのうえまだこんなふうに犯され続けるならもう、正気を手放して善がり狂うしかない。
もう自分がどんな声をだしているのか、なにをされているのかもわからなかった。そのうち、まるで自分が自分から抜けだして空中に浮かびあがり自分を見下ろしているような、そんな感覚に襲われた。
そのとき――
「テディ!!」
ばたんと勢いよく扉が開いて、聞き憶えのある声がした。
空中に浮かんだテディは、膝を抱えたままそっちを見やった。中に駆けこんできたふたりに驚き、慌ててズボンを抱えて逃げようとする男たちを見て、テディはくすりと笑った。
凄い形相でテーブルを蹴り倒した男に身を竦ませ、椅子を投げつけられて転がるように逃げ惑う姿は、まるで鶏のようだった。あまりにも滑稽なその情けない恰好に、声をあげて笑いころげる。だが笑っているはずの自分は、まだテーブルの上に身を投げだしたまま、がくがくと痙攣するように震えていた。もうひとりの男がそんな自分を支え、なにか必死に声をかけている。
「テディ、おいテディ……! なんてこった、こんな――」
「見たところ怪我はない。落ち着け、でかい声をだすな」
「なんでそんなに落ち着いていられるんだ……、どうしてこんなことに……ちくしょう……!」
「落ち着けって云ってるだろう! とにかく、ここのを使うのは癪だが躰を拭いて、服を着せてやらないと。これじゃ外に連れだせやしない」
手を握ったり頬を撫でたりしながら名前を呼んでいた髪の長い男は、ポケットからモバイルフォンを取りだした。それを見て、カウンターのなかでタオルを絞ってきたらしい強面の男が、飛びつくようにしてその手をぐっと押さえる。
「なにをする気だ」
「決まってる。警察を呼ぶんだ。あの連中を見過ごすわけにいかないだろ」
「そんなことをしたってなんにもならない。テディがよけい傷つくだけだ。……ああ、気持ちはわかる。だがルカ、よく考えてみろ。テディはゲイで、ここはどうやらゲイストリートのすぐ近くだ。そうでなくても男の被害者なんてまともに扱っちゃもらえないんだぞ? おまえはテディを晒し者にする気か」
なにやらふたりが云いあっているのを、テディは空中から見つめていた。
空中なのにとろりと蜜に包まれているように躰は
それでも、よく知った声であるのはわかった。毎日聞かない日はない、自分の名前を呼ぶその声。皮肉を飛ばして意地悪く笑ってみせるが誰よりも頼りになる男と、明るくて真っ直ぐで、ちょっと調子がいいけれど妙なところで生真面目な男――ふたりのことを考え始めると、ふっと意識が自分のなかに戻ったような、さっきまで空中から見下ろしていたのは夢だったような、奇妙な感覚がした。
ゆっくりと現実に還り、テディは顔をあげた。躰を拭いてくれているユーリと目が合うと、「ごめん……」という言葉が自然に口を衝いた。
「気がついたのか……もう大丈夫だ。謝る必要もない。おまえはなにも悪くない。大丈夫だ」
「なにが、どこが大丈夫なんだ、大丈夫なわけがないだろう!」
ルカが大きな声をだした。「こんな酷い目に遭ってなにが――」
「ルカ!! いい加減にしろ莫迦が! ……なんでもない、こんなことはなんでもないんだ。テディは悪くないし酷い目に遭ってもいない。よくあることだ、なんでもない。テディ、そうだろ?」
「頭がおかしいのか? なんでもない? よくあること? どこがだよ!」
躰を拭い終わり、ユーリは破れたシャツの代わりに自分のシャツを脱いでテディに着せた。テーブルから下ろしてそっと立たせ、もう一度拭けなかった部分をそっと拭うとジーンズを丁寧にあげてやり、
「歩けるか。よし……ゆっくりでいいからとりあえずここを出よう。……大丈夫だ」
「うん……大丈夫」
テディがそう答えるのを聞いて、ルカがまったく理解できないという顔をした。
「なんでだ、なんで大丈夫だなんて云うんだ……、そんなわけがないだろう」
「ルカ」
ユーリが再度、低い声で静かに云った。「これ以上テディを傷つけるな。大丈夫じゃなかったらどうしろっていうんだ。おまえはただ、騒ぎたててテディを追いつめてるだけだ。わからないのか」
ルカがぐっと言葉に詰まる。ユーリはテディを支えたまま、ゆっくりと歩きだした。
「大丈夫だ、こんなことはなんでもない。たいしたことじゃない……」
ユーリの云わんとすることはわかった。わかったが――ルカには、ユーリがテディに云い聞かせているその言葉が、まるで呪いのように聞こえてならないのだった。
* * *
細い路地の迷路から抜けだし、タクシーを拾ってヴィラに戻ったのはもう夜の十時をまわった頃だった。
ダイニングのあるリビングのほうに人の気配があったので、もう一方のリビングからまわってそっと忍び足で廊下を進む。とりあえず無事に誰にも出会さず部屋に入ることができて、ユーリはほっとした。
テディは大丈夫、と云ったきり一言も喋らず、表情も失ったままだった。だが促せば素直に立ちあがり、歩きだすのでそれがかえって痛々しかった。まるで従順な人形のようで、まったく彼らしくない。それでも混乱して大声をだしたりされるよりましだと思い、ユーリは清潔にしてやらなければとバスルームに連れて入った。
自分でシャワーを浴びられるか? と尋ねるとテディはこくりと頷いた。しかしバスルームのドアの陰で様子を窺っていても、なんの物音もしなかった。ユーリはやはり無理かと察して再び中に入り、バスタブに湯を張った。そして怯えさせないようテディの服を慎重に脱がせ、そっと温かい湯に入れてやった。
ルカにやらせるべきかと思ったが、おろおろとして役には立たなそうだったので、当てにせずもう放っておくことにした。テディが心配じゃないとか、大事じゃないとは思わないが、ルカにとってはまだ『大事な恋人が酷い目に遭ってショックを受けている自分』と向きあうのが精一杯なのだろう。
裕福な家に生まれ育ち、これといった悩みも苦労もなく、理不尽な仕打ちもおそらく受けずに育ってきたのであろうルカには、今のテディを受けとめるのは無理なのだ。だが自分なら受けとめてやれる、とユーリは思った――テディがなにを思うのか、これからどうしてやるべきか、自分にはわかる。なぜなら、知っているからだ。
肩が冷えないように手で湯をかけてやり、顔にかかる髪を撫であげる。バスタブの縁に掛けた腕を湯に入れてやろうとそっと掴むと、手首にくっきりと痣が残っているのに気がついた。
顔を顰め、そっと湯の中に沈めてまだ人形のような表情のない顔を見る。温かい湯のおかげで血色は良く見えるが、ところどころにできている痣もみつけやすくなっていた。頬、顎から頸のあたり、肩、手首、腕、膝裏、足首――あの場所に飛びこんだときに一瞬見ただけなのに、痕でどんなことをされたのかわかってしまう。できることならその痕を、ひとつひとつ口吻けて消し去ってしまいたいとユーリは思う。
「テディ……、俺はおまえを、愛しているよ」
込みあげてくる想いが苦しくなるほど胸を満たす。ふと洩らしてしまった呟きが、テディに届いたかどうかはわからなかった。
眠れなかった。目を閉じると、いろんな記憶がまるでフラッシュバックのように瞼の裏にちらついた。
テディがちゃんと眠れているのかも気になった。風呂に入れたあと着替えさせてルカの待つ部屋まで送り、ベッドに入ったところまでは見届けたが、まだまともに喋りもしない様子に明日からどうしたらいいのかという不安が膨らんでいた。ロニーにだけは云うべきなのだろうかとか、医者が必要なのだろうかとか。しかし、できるなら誰にも知らせたくはなかった。警察もそうだが、医者だのカウンセリングだのもユーリはまったく信用していなかった。
誰にもテディの傷口に触れさせるようなことはしない。もう二度と。俺が護る――ユーリはそう決心していた。しかし、テディがずっとあのままだったらと考えてしまうと――まさかそんなことはないと否定するが、怖ろしくてたまらない。
そこへ、こんこんとノックの音がした。ユーリは眉をひそめながら時計を見た――針は三時少し前を指していた。こんな時間に、いったい誰が部屋に来るというのだろう? 不思議に思いながら、ユーリはそっとドアを開けた。
そこにはテディが立っていた。
「テディ」
さっきまでと違って顔に感情が、表情が戻っている。しかしそれからは途惑いとか失望とか、あまりよくない要素しか読み取れなかった。
とにかく時間が時間なので部屋に入れ、ドアを閉めるとユーリは「どうしたんだ」と静かに尋ねた。
「……さっき」
声を聞くことができてとりあえず安堵する。その囁くような声を聞き漏らすまいとユーリはじっと顔を見つめ、続きを待った。
「さっき、俺に……愛してるって、云ったよね」
ユーリは少し目を瞠り、そして頷いた。
「ああ……云った」
「ほんとに? 今の俺でも、抱ける……?」
その一言でいったいなにがあったのか、テディがなにを思って自分のところへ来たのかわかった。ユーリは怒りに震え、拳を握り締めた。が、自分を不安そうに見つめるテディの顔を見て、そんなことはあとにしなければと深呼吸をし、いったん肚に収める。
「……テディ。もしルカがおまえに触れなかったんだとしたら、それは躰のことを心配してだと思うぞ。考えすぎるな、今日はもうゆっくり休んだほうがいい」
それを聞くとテディは、ふっと自嘲的な笑みを浮かべ、俯いた。
「やっぱり……もう、俺のことなんか厭になったよな。俺、ばかみたいに調子に乗って……、当然の報いだよな」
「そんなことはない! 俺はただ、おまえの躰が――」
そうだった――ユーリは言葉を切った。どんな言葉も今は意味がない。それをユーリは知っていた。躰が心配、というのは真実そうだったが、そんなことよりももっと大事なことがある。今ここでテディを拒むわけにはいかなかった。受けとめてやらなければいけない。ルカがそれをできないというのなら、自分しかいない。
ユーリはテディの肩を引き寄せるとしっかりと抱きしめ、そして云った。
「途中でギブアップはなしだぞ……。朝が来るまで、徹底的に愛してやるからな」
なにもかも忘れるくらい、滅茶苦茶に愛してやる――ユーリはそう覚悟を決めて、テディをベッドに横たえた。
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