第22話 流星群を見に行こう


 深夜、僕は裏門を乗り越え忍び足で施設内に侵入する。

 警備の人にバレないようこまめに周囲を確認し、体制を低くして慎重な足取りで待ち合わせ場所の方へと向かう。

 

 非常口看板の照らす緑色の光が漏れた裏口の方へと向かい、僕はドアに背中を預けて一旦張り詰めた神経を休ませる。

 スパイ、というよりは泥棒にでもなった気分だった。これも犯罪であることは変わりないだろうが。

 

 気持ちを落ち着かせると僕は非常口をコンコンと二回叩き、すぐにロックが外れる音がした。レバーが落ちてキィィと鈍い金属音を立てながら扉が開く。


「お、重たいよぉ」


 中から結衣ちゃんが出てきて、僕はすぐに手を貸す。誰かに目撃される前に素早く室内に入り、扉をゆっくりと閉じる。

 すぐに階段側に移動し廊下の方から見えないように隠れる。

 覗いて見るが、今の開閉音で気付かれた様子はなかった。


「ありがとう、結衣ちゃん。助かったよ」

 小声で伝えると、彼女は両手で手を覆って可笑しそうに笑った。


「全然大丈夫!でも、部屋の子達に気付かれたら行けないから、早く二階の方に行こう」


「あぁ、そうしよう」


 僕と彼女は立ち上がり、そろり足で音を立てないよう階段を上っていった。

 今は深夜十二時を少し過ぎたくらいだろうか、さすがに皆寝静まっている時間帯で、だからこそ結衣ちゃんにこの話を持ち掛けた時は申し訳なかった。

 頼んだ時、彼女は私も流星群見る為に夜更かしする予定だったから、別にいいよと言ってくれた。本当に優しい子だ。

 

 階段を照らすダウンライトは調光が抑えられた状態で点灯し、そこを過ぎて二階の廊下に出ると、月明かりだけが頼りの暗い廊下に出た。

 ただでさえ長い廊下の先が見えず、墨のような闇に埋もれていた。

 

 中腰になって慎重に歩いていると、結衣ちゃんは「なんだかワクワクするね」と楽しげに笑っていた。

 確かにその気持ちは分かる気がした。数年前悪い仲間と何度か深夜の学校に忍び込んだことはあったが、あの一線を越えた時に訪れる非現実的な感覚は不思議と高揚間を得られるものだ。

 

 詩織の部屋の前で歩みを止め、結衣ちゃんは僕の手を握ってウィンクする。


「私はここまで。後はお兄ちゃん、頑張って!」


「・・・おう、任せろ!」

 そう答えると彼女は満足したように頷き、「お互い、流星群見られたらいいね」と静かに笑った。


「そうだな」


「うん・・・じゃあ、行くね」


「ごめん、本当にありがとう」


「私は大丈夫!でも、羨ましいなぁ」

 そう言って、彼女は背を向けて暗い廊下を進み始める。すぐに暗闇に紛れ、あっという間に姿が見えなくなっていった。


 僕は後ろポケットから財布を取り出し、そこから適当な小銭を手に取る。

 鍵の溝にそれを合わせて回すと、ガチャッと音を立て施錠が外れる音が聞こえた。

 

 引戸をゆっくりと転がして開き、僕はそっと中に入っていく。

 ふわっとしたいい匂いが漂ってきて、思わずドキドキしてしまう。恥ずかしながら、女子の部屋に入るのは初めての事だった。

 それも不法侵入という形で、全く僕の人生はどうしようもないなと苦笑してしまう。

 

 カーテンが閉め切られた真っ暗な部屋は手探りで進んでいくほかなく、彼女が今どこにいるのか全く分からなかった。

 おそらくベッドで就寝しているのだろうが、その場所が特定できない。

 

 部屋に入った今、光が漏れたところで外部からは詩織が何かしていると思われ侵入がばれる事は無いだろう。そう思って僕は携帯の光を使って部屋を照らしてみる。

 

 天井に触れそうな程大きな本棚には書物が隙間なく並べられ、整理された学習机や収納周り、想像通り清潔が保たれた小綺麗な部屋だった。

 

 隅に置かれたベッドを見つけ、近づくと彼女がこちらに背を向けて眠っている様子が映った。

 長くきめ細かな黒髪がシーツの上に散らばり、半袖シャツとショートパンツから覗く細くて白い肌がいつも以上に露になっており、見てはいけないものを見てしまったようで背徳感を感じてしまう。

 

 そっと近づいていくと、穏やかな寝息が微かに聞こえてくる。

 どう起こしてあげるべきだろう、驚かさないようまずは肩を優しく叩いてみようか。

 

 彼女の肩に手を伸ばしかけた時、光の眩しさで意識がわずかに目覚めたのか、彼女は「うーん・・・」と言いながらこちらに寝返りを打ってくる。

 

 急な動作に僕は驚き、硬直していると気づけば彼女の顔が目の前にあった。無邪気な寝顔はとても可愛らしくて、いつまでも眺めていられるようだった。

 

 互いの息がかかりそうな程接近した状態で、さすがに彼女も違和感を覚えたのか、瞼を半開きにして目を覚ましかける。

 僕と彼女の視線が交差し、お互い沈黙して見つめ合っていた。

 数秒後彼女は「涼川くん・・・?」と寝ぼけたような声で言う。


「う、うん。起こしてごめんね」


「いい、よ・・・」

 彼女は再び瞼を閉じ眠りに就こうとしていた。

 しかしすぐに開眼してきょとんとした表情で僕の顔を確認する。

 驚かせないように、というのは失敗に終わってしまったようだった。


「えっ涼川くぅっ!」

 咄嗟に彼女の口を手で抑え、指先を立ててシーと合図する。

 ここで叫ばれて誰かが駆けつけてきた日にはただ軽犯罪を犯しただけに終わってしまう。

 フゴフゴと手の平の中で暴れ、大体落ち着いてきたら僕はその手を離す。


「どうして・・・どうしてここにいるの?」

 声は荒げていないものの、攻撃的な口調で彼女は言った。


「ごめん、急に押し掛けて・・・怒ってる、よね?」

 ムッとした表情でこちらを睨んでくる。


「当たり前でしょ。心の準備もできてないし、寝顔まで見られて。もう最悪だよ・・・」

 彼女は両手で顔を覆い、うーと唸り始めた。


「ごめんって・・・でも、どうしても会いたかったからさ」


 しばらく彼女は黙り込み、「ううん、言い過ぎた。でもビックリしちゃって」と言い体を起こした。ベッドの淵に腰掛けて瞼を擦る。

 その後両膝に手を乗せてキュッと拳を作る。


 故意的ではないとはいえ僕をいじめに巻き込む形になったこと、急に不登校になったこと、今日の昼に僕が訪れても何の反応もせず無視してしまったこと。

 様々なことが尾を引き、さらに急に僕が現れてしまった事で動揺し、相当気まずい思いをしているのだろう。

 

 私と関わらない方がいい、また彼女がそんなことを言ってしまう前に。僕は彼女の手を取り立ち上がった。


「一緒に行きたい場所があるんだ。これから、ちょっと時間をくれないか?」

 えっと声を漏らし、彼女はきょとんとした表情をする。


「え・・・でも」

 僕は両手で彼女の手を握り、屈託なく笑いかける。


「今日じゃないと、きっと後悔する」




 そうして僕は半ば強引だったが詩織を外に連れ出すことに成功する。

 彼女の手をそっと引き、身を屈めて周囲を注意深く観察しながら、非常口から飛び出し門の方まで駆けていく。

 門を乗り越えると、路上に停めてあった原付に跨りキーを差す。


「綾瀬さん、乗って」

 彼女は戸惑いながらも引き返せないと思ったのか、後ろに跨り腹部に手を回してきた。

 

 スタータースイッチを押しエンジンを掛けると、彼女はビックリしたように手の力が強張り、額を擦りつけるようにして背中に密着させた。

 温かい感触がじんわりと伝わってきて、僕はドキッとする。


「行くよ、しっかり掴まって」


「・・・うんっ」


 グリップを回し、ゆっくりと発進させると「きゃっ!」と声が上がる。

 その反応を見る限り、バイクに乗るのは初めての経験だったのだろう。

 なるべく怖がらせないように、あまりスピードを上げずに二十キロ前後の速度を意識して運転した。

 

 海沿いで街灯の照らす道を走っていき、潮風の匂いが肌を撫でていく。

 しばらく進んでいくと、彼女は慣れてきたのか可笑しそうに笑い始めた。


「涼川君っ!どこに連れて行ってくれるのー!?」

 吹っ切れたように声を上げる様子が面白くて、僕も思わず笑ってしまった。


「秘密だよー!」


「えー、変な所は嫌だよー!」

 からかうように額を擦らせてきて、くすぐったい気持ちになる。

 そんな僕の気持ちを理解しているように、彼女はさらに体を密着させてくる。


「今日、星が綺麗だね」


 そう言われて一瞬空を仰いでみると、澄んだ夜空にある一つ一つの星はキラキラと光を放っていた。


「ほんとに、綺麗だ」


 そう呟くように言うと、彼女は楽しそうに息を弾ませていた。

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