秘湯旅館のTS若女将は修行中

安太レス

第1話 遠い秘湯旅館と女将の伯母さん

「ほら、いつまでもゲームばっかりやってんじゃないの、もうすぐ旅館に着くわよ」


 車の後部座席に寝そべってひたすらゲームをしていたら母さんに注意された。


「はいはい」


 ちらりと腕時計を見ると、3時頃。

 朝早くに家を出て、途中の高速道路のサービスエリアでランチを取って、また車に乗って道を行く。

 後ろで座っているだけとはいえ、流石の俺もくたびれた。


「着いたら、伯母さん(ねえさん)にも旅館の人にもきちんと挨拶するのよ、伯母さん(ねえさん)はそういうの厳しいんだから」

「わかってるって。ちゃんとするよ」


 買ってもらったばかりの携帯ゲーム機の電源を落として身体を起こす。

 そして車の窓から見える景色を眺めた。

 窓の外はひたすら奥深い山の中だ。すぐ脇のガードレールの下は谷になっていて川が流れている。

 観光バスやタクシーとすれ違った。

 山裾の曲がりくねった道をうねうね進み、何度もトンネルを抜ける。


「ふああ……」


 欠伸をしていたら、運転手の父さんがハンドルを右手で握りつつ左手でフロントガラスの向こうを指さした。


「ほら、見えてきたぞ、温泉街がーー」


 山だらけだったところが急に開け、大きなアーチを描いたモニュメントが見えてきた。


「ようこそ、癒しの郷、定江須温泉へ」


 てっぺんには、大きな文字看板が掲げられている。

 アーチをくぐり抜けると、山合いに町並みが見えてきた。

 その向こうに見えてきたのはそこかしこに立ち並ぶ白い湯気。

 そして何軒も立ち並ぶ旅館。

 さらに何軒もの飲食店や土産物店。

 まさに絵に描いたような温泉街だった。


「ずいぶん変わったわねえーー、わたしがいたころよりも随分いろんなものができてるわ」


 母さんは、生まれ育った故郷への年に一度の里帰り。

 何度も感慨深げに眺める。


「あ、ここに新しいお店ができてる」


 今風の喫茶店ができていた。地元果物のスムージーとかなんとか。 


「観光センターまでできたんだ」


 道路に立てられている登り旗。

 いちいち驚き変わりゆく故郷に驚く。


「うわ……年季入ってるな」


 一方、俺は、他じゃちょっとお目にかかれないような古びたコンビニや射撃場に驚く。浴衣を着た宿泊客が散歩している。昭和にタイムスリップでもしたような感覚だ。

 そうこうしているうつに、運転している親父が指さした。


「ほら、あれだよ」


 その中でも一番奥にあり、最も大きな温泉旅館が車の前面に見えてきた。

 和風な建築ではあるが鉄筋コンクリートの建物が数棟。

 まるで温泉街の主のように一番奥まっており、温泉街を見下ろす位置に立っている。

 俺たち家族は、そこを目指しているのである。


 やがて五分もしないうちに、入り口にたどり着く。

 最後のきつい坂を上りきると、ついに見えてきた看板。

 姫野湯旅館。


 近づくとさらに大きい。

 古めかしい昔ながらの旅館らしい佇まいのある旧館に、新築されたばかりの新館。


「うわー、でかいなあ……これ全部泊まるところか……」


 都会育ちの俺でも恐れ入る。


「新館ができたって本当だったのねえ」


 入り口ではひっきりなしにやってくる宿泊客とそれに応対する旅館の人で入り乱れている。

 


 俺と両親は夏休みに入るやいなや、母さんの実家に帰省することになった。

 

「ようこそお越しくださいました」


 早速従業員の人たちがわらわらと出迎えうちの車を取り囲む。


「お荷物お持ちします」


 俺の持っていた鞄も運んでくれる。


「あ、ありがとうございます」


 トランクの荷物を何も言わずとも運んでゆく。かえって恐縮してしまう。

 サービスが行き届いているな……。


「さあ、あちらへ」 

「あ、は、はい」


 俺たち家族は中へと誘われてゆく。



「お帰りなさい、楓。早かったわね」

「あら、紅葉姉さん」


 母さんがフロントに行くと、やがて奥から着物姿で威厳のある雰囲気を醸し出す女性が出てきた。

 綺麗な姿勢に綺麗な着物、それを着こなし、優雅な身の振る舞い。

 この人が紅葉さん。

 母の姉であり、俺の伯母さんである。

 年齢は俺の母さんよりも上のはずだが、外見はずっと若い。

 未だ女の色香を失っていないーー。

 まあ、俺の母さんも結構若く見えるんだけどね。


「遠いところからお疲れさま」

「こちらこそ、無理言って泊まらせてくれてありがとう」


 あちこちで団体客やファミリーや老夫婦などの一行が到着し、大わらわだ。


「忙しいでしょうから、先にあがらせてもらうわね」

「ごめんなさい、後で挨拶に行くから」


 こちらに戻ってきた。

 部屋にあがるということだ。

 実家に帰省ではあるのだが、伯母さんの招きでお客として部屋に泊まらせてもらうのだ。

 初めてというわけではない。来る度に繁盛し、規模が大きくなる旅館に感嘆するのも恒例のことではある。


「うん?」

 

 見知らぬ女の子に気づいた。

 伯母さんは、伝統のあるこの旅館を続けている経営者であり、一切を切り盛りする肝っ玉女将だ。

 そしてまさに今も沢山の従業員を従えて忙しそうに立ち回っている。

(この子なんか見覚えが……)

 その伯母さんの後ろにくっついて、指示を受けながら、かいがいしく俺たち家族のもてなしをしている、着物を着た女の子がいるのだ。


「原山様、これからお、お部屋までご案内します」


 小さな身体で俺と母さんと父さんの、鞄を抱えて重たそうに、時折ふらつきながら歩いてゆく。


「大丈夫、持とうか?」


 見かねて手を差し出したが、


「い、いえ……大丈夫です」


 俺たちが到着した時から、

 どうやらこの子が俺たちの相手をする仲居さんということみたいだ。

 部屋に案内されてからも、上着を受け取って、きちんと折りたたんだり、お茶を運んできたり。

 とてもかいがいしくしてくれる。



 その代りに、いつも顔を見せる奴がいなかった。

 伯母さんのとこには、20歳(はたち)も過ぎているのにフリーターやっている従兄の静夫がいたはずだ。

 大学出たあとも就職せずに遊び呆けていてた。


「俺にはいざとなったら実家を頼りゃいいんだ、なんせ跡取りだもんな」

「30になったら真面目に考えるさ」


 静夫の口癖であった。

 実家からは十分な仕送りを貰い、都会で一人暮らし。それも月に二十万もするマンションだ。車も都会暮らしに必要だからとねだって買ってもらって乗り回していた。

 都会に出てきていた静夫は、時々俺のところにも自慢の車を乗り回して、やってきていた。


「よう、良太、相変わらず連れてってやろうか?」


 すっかり都会の生活に感化され、自由を満喫していた。

 車を乗り回して、彼女を連れてきたり、合コンを自慢したり。

 それもこれも実家の商売が繁盛しているからこそだが……。

 ごく普通のサラリーマン家庭の俺には羨ましい限りだと思っていた。

 だが親父とお袋の意見は違っていた。


「あの伯母さんが、そんな甘い考えを許すはずないだろう」

「お前はうちの子で良かったねえ」


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