第827話 葡萄畑Ⅲ
葡萄畑は登っていくほど、高級な酒の原材料となると教えてくれる。
「何か理由があるのかい?」
疑問に感じたのか、義父が農夫に問いかけた。私も深く考えたことがなかったので、気になる。
「獣害に泥棒です」
「獣害、そんな話も聞いたかも」
「獣害は、報告にあげてもらい、対策を取ってもらいました。おかげ様で今年の被害は今のところない状況です。被害があったとしても、山裾のほうだったので、渋い葡萄で懲りたのかもしれません」
「泥棒……って、被害があるの?」
「いえ、見回りの警備も来ていただくので今はありませんが、アンナリーゼ様が領主になる前は、結構な頻度で盗まれていました。その頃は、ほとんど山も手入れをしていないこともあって、特に気にはしていなかったのです」
「そうなんだ」
「ただ、やはり『赤い涙』が人気商品となり、高値で売買されるようになってからは、たまに見知らぬものが葡萄畑の前で見つめていることがあり、少々気にかけてはいます。葡萄を手にしたからといって、葡萄酒が一長一短でできるものではないのですが、頂上当たりにあるのは、『赤い涙』の原料となる葡萄ではあるので、何事もないかと心配はしています」
「たしか、葡萄酒って普通に食べれるものよりかは味が落ちるのよね?」
「そうです。ただ、『赤い涙』の原材料となる葡萄は特殊なので。他の葡萄も品種名は書かずに育てることにしていますから、わかりにくいとは思います。あぁ、先程言っていた、早くとれる葡萄が見えてきましたね」
「……白いものをかぶっているけど、何か?」
「あれは、虫よけにつけています。甘い葡萄で収穫も近いので、一房一房につける作業をするんですよ。食べてみますか?ジュースを作る葡萄と同じ糖度で渋みもありませんから美味しくいただけます」
「そんな品種があるの?全部、葡萄酒になるものだと思っていたわ!」
苦笑いする農夫。思惑があるようで、それを聞くことにした。
「実は、アンナリーゼ様がサムのじいさんのところで葡萄酒を造りたいと言われたとき、私たちは、葡萄農園を辞めようと言いに行ったものです」
「……あのときの?全然気付かなかった……ごめんなさい」
「いえ、見た目もずいぶん変わりましたから、気がつかなくて当然です」
笑う農夫は、優しい顔をしている。日に焼けた素肌がチラッとシャツの端から覗く。
「見た目が変わったというのは?」
「葡萄酒を造るための葡萄園を営んでいましたが、葡萄酒自体がこの領地だけのもので、領地の特産品としてあげられるのは蒸留酒のほうでした。あの日、領主様がくるのなら、私たちの現状を知ってもらい、辞めてしまおうと農夫仲間で集まったのです。葡萄酒を造りたいと自ら盥の上で踊るアンナリーゼ様を見て、私たちは驚きました。領地以外にも広めたらどうかという提案、葡萄酒造りを継続してほしいとの懇願から、一度辞めようと思った葡萄農園をこの通り続けています。見た目が変わったと言うのは、お恥ずかしい話ではありますが、俯いてばかりして死んだ魚のような目をしていましたから」
「確かに目の印象でずいぶんと変わるものね?」
「1年が過ぎたころには、『赤い涙』が高値で取引されていること、通常の葡萄酒も公都で人気が出たなど耳にすれば、俯いているわけにはいかず、よりよい品で、おいしい葡萄酒になるよう、栽培にも力が入ります。葡萄農家としての誇りを取り戻せたのです」
「確かに、いい顔してるね?」
農夫の顔をみてアデルがいう。アデルはアンバー領が変わってきてから来たので、農夫のいうことはあまりわからないだろう。でも、葡萄の話をしながらよく笑う農夫を見れば、何か感じるものがあるのだろう、
農夫が手近にあった葡萄をもぎながら、私たちにひとつづつくれる服でサッとふき取り口にほ折り込む。
「甘い!これ、『赤い涙』のものとは違う品種なんだよね?」
「そうです。アンナリーゼ様のおかげで、新しい品種を取り入れています」
「そうなの?」
「そうですよ。ヨハンさんが、肥料の相談に乗ってくれたときに、どうかと言ってくれ、幻の品種と言われていたものの復活をさせたのです」
「幻の?」
「葡萄酒には、少々甘すぎる葡萄になりますから、今年、収穫をしてからサムのじいさんに相談することになっています。酒にするのか、他のものになるのか、わかりませんが、こうやって葡萄つくりを辞めなくてよかったと思える日が来るとは、数年前までは思ってもみませんでした。今が、楽しくて仕方がありません。新しいことがこの年になって出来るとは思わず、嬉しくてしかたがありません」
「私も!こんなおいしいものが食べられるのなら、葡萄作りを辞めないでいてくれたこと、感謝しかないわ!本当においしいもの!」
「この葡萄でとても甘い葡萄酒とか造ったらとうですかね?『赤い涙』は高価すぎて手に入れられない人でも、これならおいしいかもしれませんね。あと、葡萄の糖でとろみとか出ると女性に人気になるかもしれません」
アデルは、この葡萄が気に入ったようで、1房分けてもらえないか交渉し始めた。きっとリアンへのお土産と思っているのだろう。
私も子どもたちにとアデルの援護のためねだると、おいしいところを取ってくれた。
きっと、この甘さなら、子どもたちも喜んで食べてくれるだろう。想像するだけで、アンジェラのおいしいの顔が浮かびクスっと笑ったのであった。
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