第7節 ボロボロの少女と回復魔法
朝のやり取りを思い返したグラフォスは手を止めて、土にまみれている自分の左手を見つめる。
「まるで大人に怒られてすねて土遊びに興じる子供だな」
きっと今日もヤモゴ以外に収穫はない。こんな毎日を繰り返しているだけでは何も新しい知識を手に入れることはできない。
そんなことはわかっているが、これ以上一人で森の奥に行くのは危険だ。
「まああれもそろそろ形になってきたし、頃合いではあるとは思いますが」
グラフォスは独り言をぶつぶつとつぶやきながら、ゆっくり立ち上がると右手に持っていた本を閉じる。それと同時にずっと紙の上で待機していた黄金色の羽ペンが霧散する。
「今日はもう帰りますか」
土いじりを始めて数時間、空は赤みを帯び始めていた。
グラフォスが森に背を向けてすぐそこに見える街へと歩き始めた瞬間、真後ろから草木がかき分けられるような音が耳に飛び込んできた。
「なんだ?」
一瞬で振り返り、周りを警戒するグラフォス。ふと頭によぎったのは昼間に冒険者にいわれた冒険者にぼこぼこにされるということ。
ただその可能性は現状を考えるとかなり低いか。
そういう冒険者はグラフォスくらいなら草木に隠れるなんて真似をせずに堂々と襲い掛かってくるはずだ。
「ウサギか何かかな……」
数秒か数分か、短くも長い時間警戒していたが音がした方から何かが出てくる気配はない。
「気のせいかな」
しかし警戒を緩めることなく、グラフォスは森のほうを向いたまま後ろ歩きのまま街のほうに歩を進める。
このまま走って街の中に入れる距離になれば、たとえ魔物が出てきても何とかなる。
そう考えながらゆっくりと歩くグラフォス。
できることならこのまま何事もなく街門までついてほしい。
しかしそんなグラフォスの願いを裏切るかのように先ほどよりいっそう草木が揺れ大きな音を立てる。
そして草木の陰から明らかにその陰とは異なる物体が飛び出してきた瞬間、グラフォスは手に持っていた本を素早く背中のリュックにしまい、別の本を取り出す。
「ん……あれは」
しかしグラフォスはその本を開くことなく、手に持ったまま固まってしまった。
「ひ……ひと…だ。たす……けて……」
森から出てきたのは全身土まみれ血まみれの奇妙な格好をした黒目と長い白髪が目立つ女の子だった。
「魔法学院の生徒か?」
しかし身にまとった制服は見たことがない恰好をしている。いろいろな学校に関する本を読んできたグラフォスだが、その格好に見覚えはない。
「それに……」
目の前の彼女から感じる高度な魔法の気配。目を凝らしてみると彼女の全身を包むように淡い緑色のオーラがまとっていた。
「自動回復魔法?!」
本でしか読んだことないその魔法は、魔法を唱えてその魔力をまとっている間攻撃を受けても自動で傷をふさぎ、体力と生命力を回復してくれる魔法。
もちろんそんな魔法が誰でも使えるはずがない。限られた技術を持ち、さらにそれなりの魔力量がなければ習得できない高等魔法だ。
それをなぜ目の前の女の子が使えていて、そんな魔法が使えるのにも関わらず、こんなにボロボロなのか……。
「おね……がい……」
深い思考に意識を持っていかれそうになっていたグラフォスの目の前で糸が切れたように倒れる少女。
グラフォスはとっさに彼女に近寄ると思わず女の子の体を支えていた。
近くに来ると余計に力強い魔法の気配を感じる。
「このまま放置するのはさすがにまずいよな……」
思わず抱えてしまったが、これからどうするかなど全く考えてなどいなかった。こんな森の入り口に強い魔物がいるとは思えないが、じきに夜が来る。夜になって誰かに見つけてもらうのは困難だ。
それに彼女の怪我は近くで見るとかなりひどい。魔法のおかげで徐々に回復はしているが、それでも横っ腹のあたりは何かに食いちぎられたのか、血にまみれた肉が丸出し状態だ。見ているだけでも痛々しい。
「しょうがない。もう少し我慢してください」
グラフォスは眠っている彼女をゆっくりと地面に下ろすと、女の子の横で正座する。
そして迷うことなく先ほどリュックから取り出した本を開くと、ページをめくりあるページで手を止める。
「『リリース』」
そしてその魔法の情報が書かれた一節を指でなぞりながら唱えると、本に書かれていた文字が浮かび上がり、彼女の体の上に淡い黄金色をした魔法陣となる。
「『リリースエグジティング』『ホーリーパワー』」
グラフォスの手にはいつのまにか魔方陣と同じ色をした羽ペンが握られており、魔方陣をなぞるように文字を書きなぐる。
その瞬間魔法陣は中心から瓦解し、女の子の体に黄金色の光となって降り注いだ。
「うっ……これは……」
「目を覚まさせてしまいましたか。まあ急激な治癒は身体に少なくない痛みを伴いますからね。もう少々の我慢を」
痛みに顔をゆがめながら目をうっすらと開けてグラフォスのほうに顔を向ける女の子。
しかしその表情とは相対的に彼女の腹の傷はどんどんとふさがっていった。
「ちゃんと使えてよかった。ホーリーパワー、別名癒しの暴力。前見たときは損傷など到底治せそうにない魔法でしたから」
グラフォス作の魔法図鑑ともいえる書籍に書かれているその魔法は、過去一度だけパーティとして参加した治癒師が使用していた魔法だ。
その魔法は術者が注ぎ込む魔力に応じて、対象者の傷を癒す。
つまり魔力量が膨大であれば膨大であるほど癒す力が強くなる中級魔法。
そんな魔法にグラフォスは自分が待つ魔力の三分の一を注いだ。それによって彼女の全身の傷は欠損、傷跡も含めきれいさっぱりなくなっていた。
「あなたは……」
「僕はただの書き師です」
「かき……し?」
女の子は感覚的にわかるのであろう傷が治ったことによる安心と不安を織り交ぜた複雑な表情をのぞかせながら再び意識を失った。
「とりあえずこれで彼女が死ぬことはなくなった……。でも放置するわけにもいかないか」
グラフォスは開いてた本をパタンという音とともに閉じると、背中のリュックに背負う。
そして両腕で目の前で眠る彼女を起こすと肩に担ぐ。
「軽いな……」
それは運動をあまりしていないグラフォスでも重さを感じないほど、このまま手を放してしまえばぽっきりと折れてしまいそうなほどの軽さだった。
見た目的には同い年くらい。この軽さは異常だ。
「まあ……あの人なら何とかしてくれるかな」
結局グラフォスが頼れる人物など限られている。女の子に負担がかからないように注意しながらグラフォスは肩に担いだまま、街の中へと「ヴィブラリー」へと戻っていくのだった。
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