二十五日目 カブトムシ
「昔は女性の身分が低くてね。だから俊通は若御前を恨んでいたの。彼女は雅楽の才能があって、よく鳥羽法皇に呼ばれていたから。男の自分より寵愛を受けていると、思っていたのよね」
なるほど、そういうことか。しかし、ここまで来て俺はまた虐げられなきゃいかんのかね。男なのに、男女逆転してしまった世界が憎い。
ってあれ? 羽田さん? どこから声がしてるんだ? 目の前の俊通さんからではないと思ったけど……。
「そんなに虫が好きなら、虫の姫にでもなってしまえばいい」
「虫の、姫? 俺が? そんな殺生な!」
「別にいまだってハチの世話をしているのだから問題ないだろう! 一生屋敷から出れぬようにしてやる!」
羽田俊通さんはそれだけ吐き棄てて、ずんずんと俺を置いて進んでいった。あ、ちょっと! まだ玄関の場所聞いてない!
そう思った瞬間時空が歪んで、優しい声が響いてきた。
「それで俊通は陰陽師に、若御前を呪うように命令したの。虫の姫になるように、って。虫から愛され、人から気味悪がられ、一生を過ごす呪い。……って、聞いてる!?」
「――はっ!? え……、聞いてる、聞いてる!」
気付いたら、図書館だった。え、いままでのは? ……夢? 自分が寝てたと理解して、サッと血の気が引く。
「うそつき」
「ご、ごめん! 本当にごめん!」
唇を尖らせて睨んでいるが、先程の俊通とは比べものにならない。申し訳ない気持ちでいっぱいで、俺は地面に潜り込みたい気分だった。
「まぁ、いいよ。誰も信じてくれないしね、こんな話」
「いや! 待って、信じるよ。えっと、その、……実は俺、その呪いをまだ受け継いでるかもしれないんだよね」
「どういう、こと?」
今度は俺が話す番だ。とは言ってもそこまで昔のことを知っているわけじゃないから、現状を教えるくらいしかできないけど。
「俺は呪いを掛けられた方の、子孫、らしくて」
まだぼやっとしていて合っているか分からないが、俺の考察が正しければ自分は若御前ってヤツの子孫ってことになる。だから羽田さんの先祖が俺の先祖に呪いを掛けて、それがまだ続いてるってこと。
あれ、でも羽田さんは虫が好きだし、俊通とは似ても似つかないよね。
「そう、なの……? じゃあ、若御前は、ちゃんと結ばれたのね……!」
俺が呪われているというのに、何だか嬉しそうだ。まぁ別に病弱とかそんなのではないから、日常生活にさほど支障はないんだけどさ。……俺はイヤだけど。
「あっ、ごめん! それどころじゃないよね……。その、ごめんなさい。まさかこんなに近くにいるとは思っていなくて」
しかし今度は泣きそうな顔になって謝ってくる。あああ、そんな顔しないでよ! だっていまのご時世、そんなこと気にしてもどうしようもないじゃないか!
確かに気持ちは分かるが、命に別状がないだけラッキーだろう。昔の人はわりと子どもっぽい。俺の先祖が死ななくて良かった。
「あの、実はまだ呪いの解き方が分かってなくて……」
「えっ、あぁ、そうなんだ」
まぁ、分かっていたらとっくに俺か、もしくは先祖が解いてるし長い年月続いているってことはそうなんだろう。羽田さんがそう思ってくれているだけ嬉しいってもんだ。もしかして、ずっと探してくれてたんだろうか。
「本当にごめんね。でも絶対見つけるから! 若御前の子孫がいたら、絶対治すんだって思ってたの。それでも、黒木くんが虫好きで良かった」
あまり実感はないけれど、どうやら俺は大変なことに巻き込まれているらしい。俺と羽田さんの話が噛み合って、すべての謎が解けたような気がした。解決は確かにしてないんだけどね。
そして俺は虫が好きじゃない。それもいつかは訂正しなきゃいけないんだけどな。しかしいまじゃない。安堵したように羽田さんが笑っているから。
「でも、俊通は自分の子孫にも呪いを掛けちゃったの? 羽田さんは虫が好きだし、好かれてるような気がするんだけど……」
それに、自分にはご先祖様がついてるって言葉は、俊通からしたら考えられないセリフだよね。
「だって元をただせば黒木くんとご先祖様は一緒よ? ハチを飼っていたという宗輔は、俊通と若御前のお父さんだもの。私が虫が好きでもおかしくないわ」
「だったら、ご先祖様っていうのは……?」
「俊通もご先祖のひとりだけど、私は宗輔を支持してるの。その親子は、ちょっと違っていただけよ。血は繋がっているんだから、どこかで分かり合わなきゃ」
そんなアイドルの推しみたいに……。でも確かに親子で虫好きと虫ギライなんてケンカの原因になりかねない。いろいろと課題はあったのだろうが。
とはいえ、羽田さんには虫ギライの血も流れているが、虫好きの血も流れているということだ。俊通が虫を遠ざけよ、なんて家訓を作ったからいままで律儀に守られてきたけれど、宗輔の血は我慢ならなかったのだろう。
虫が好きな彼女を応援しているのか、この前はスズメバチを従えていたし、昆虫たちは従順そうに見えた。そんなことってあるんだろうか? いや、あるってことにしておいた方が俺のこの状況も説明が付くし、それでいいか!
「ね、ねぇ……、ひとつ訊いてもいい? 結局若御前は、誰と結ばれたの?」
「えっ? んー、どうだろう? 俺には分かんないなぁ。姉貴に訊いてみるよ。……さっきから気にしてるみたいだけど、何かあるの?」
「うん。『虫めづる姫君』はね、その名の通りそういう姫が主人公なんだけど、この姫も若御前も虫ばっかり構っているものだから良いお婿さん候補がいなくてね。本人も結婚とか気にしてないみたいなんだけどさ、子孫がいるなら、誰と結ばれたんだろうって」
それは物語の先。フィクションだと思っていたものが手に入る感覚だ。
「そうだ! これ、貸してあげる! 良かったら読んで。現代語訳も付いてるし、良く分かると思うよ!」
そう言って差し出してきたのは、ボロボロの文庫本。薄い茶色の表紙はフチが毛羽立って白くぼやけていた。こういった類の本は、読まなくなって久しい。
タイトルは『虫めづる姫君』。俺たち子孫の鍵を握る物語だ。
「あー、ありがとう」
「来週までに読んできてよ。そんなに長くないから。……また、会える?」
会える、会える! 会えるとも!! 本の貸し借りだけの関係だとしても、例え勉強絡みの内容だったとしても! だって俺、いま最高に青春してる。
「あっ」
俺がその本をカバンにしまおうと思ったとき、すっかり忘れていた物体が目に入った。今朝買った紅茶だ。そしてその奥、一番下の命の存在が頭から抜けていて、俺は申し訳なさそうに羽田さんに伝える。
「あのさ……、これとか、要る?」
右手に紅茶を、左手にヘラクレスオオカブトを。その光景には、さすがの羽田さんも目を丸くした。
「きっ、きゃああ!!」
待って、そんなに叫ばないで! 興奮したのは良いだろう。俺も虫じゃなくて運動後のプロテインだったら最高に叫びたいシチュエーションだ。気持ちは何となく分かる。
でもいま叫ばれたら、俺はヤバい。社会的に、死ぬ! こんなすみっこに、か弱い女の子を追い詰めて、大声を上げられてみろ。狼じゃなくても、世の中の男性は抹殺される!!
「しーっ! しーっ!」
俺は静かにのポーズを取るが時すでにおすし……、いや遅しだったようだ。冗談を言う暇もない。思考回路はショート寸前。
「ちょっと、きみ」
「……ぐぅ」
燃え尽きた、燃え尽きたよ。真っ白にな。
今年の夏は本当に、クーラー要らないんじゃないかな? 昆虫娘と昆虫女子に振り回されている気がする。
「きみ、ちょっと事務所に来てくれるかな?」
「あぅ、あぁ……」
図書館にも警備員さんっているんだな。意識しないと見えてこないものってたくさんあるよ。
「待って! ごめんなさい! その――!」
弁明してくれないかと横目でチラと見たら、何とか引き留めてくれたようだ。そしてその聡明な頭脳で俺が無罪であることを証明してほしかった。
「あまりにも逞しくて……、興奮、してしまって」
もじもじしないで! あと『何が』って言わないと分からないよ! そういうときだけ恥じらいを見せないでほしい。昆虫の存在を言いたくないのだろうとは思うけど、頬をピンクに染めているとそういう風に見えるじゃんかー!!
ごめんだけど言わせてもらう。この昆虫バカ!
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