032 勉強と事情


「へーぇ。そんなことがあったんだねぇ」


「なんだよ悠雅ゆうが。やっぱりバイトで出会いがあったんじゃんか」


 それぞれの自己紹介が落ち着いた後、俺はあらかじめ考えておいた内容で、静樹しずきとの関係を二人に説明した。

 もちろん、静樹が家と学校でキャラが違うことや、その他諸々の余計な情報は伏せてある。


 あとは、まあ……何度か部屋に上がり込んでしまったことなんかも、黙っておくことにした。


 必要なのはあくまで、俺と静樹がそれなりに親しくしていても、違和感を持たれないようにすることだ。

 それ以上のことは話さなくていい。


「そういうことだから、これからはそのつもりで頼む」


「二人とも、改めてよろしくね」


 控えめな表情で、ペコリと頭を下げる静樹。

 南井みない春臣はるおみは、やたらと嬉しそうにパチパチと拍手をした。


「じゃあ今日から私とも友達だねー! 学校でも喋ろうね!」


「俺とも喋ってね、静樹さん」


「う、うん! もちろん!」


 リア充3人は楽しそうだった。

 まあ普通に考えて、俺よりもこの二人の方が、派手静樹との相性は良さそうだからな。

 地味静樹の方は、ちょっとわからないけれど。


 さて、関門も越えたし、そろそろ始めるか。


「うわ、悠雅ゆうががもう教科書出してる」


「えー……もうちょっとお話しようよー」


「そうだぞ悠雅。せっかく静樹さんがいるんだし、もっと交流を大事にしようぜ」


「好きにしろよ」


 べつに、こっちに合わせてもらおうとは思ってないからな。

 むしろ、一人で勉強できるなら好都合だし。


「やれやれ。相変わらずだな、悠雅は」


「じ、じゃあ……私も」


 言って、静樹も机に自分の教材を広げ始めた。

 さすが静樹、根が真面目だ。


 成績の良し悪しなんて、半分くらいはちゃんと勉強するかどうかで決まるもんだ。

 勉強時間さえ増やせば、春臣や南井の成績だって改善されるだろう。


「はぁ……やるか」


「……うん」


 とうとう観念したらしい二人も、緩慢な動きでノートと教科書を出した。


 しかし、こうしてみると机のスペースがギリギリだな。

 勉強机とは別に、大きめのテーブルを買っておいて正解だったかもしれない。


 俺の右に静樹、向かいに南井、左に春臣の並び。

 それにしても、やっぱり異様な光景だな。

 俺の部屋に、こんなに大勢の人間がいるとは。


 俺はおかしな感慨深さに包まれながら、日本史の教科書のテスト範囲を最初から読み始めた。



   ◆ ◆ ◆



「ダメだぁぁぁあ!」


「……うるせぇな」


 無遠慮な大声で喚く春臣に、静樹は驚いたような、南井は引いたような顔になる。

 毎度のことながら、もうちょっと静かにできないのか、こいつは。


「さっぱりわからん! なんなんだそもそも、二次関数って! これになんの意味があるんだ!?」


「意味なんてない。いや、あるけど、今それは考えなくていい。どういうもので、なにをどうすればどうなるのか、それさえ理解してれば、点は取れる」


「意味わからんものは理解もできない!」


「できる。割り切れ。無理なら、しっくりくるまで教科書を読め」


「ぐわぁぁぁぁあ」


 春臣は大袈裟に頭を抱えて、ばたりと机に突っ伏した。

 ただでさえ狭いのに、一気に窮屈度が上がる。


 案の定、春臣は二次関数で行き詰まった。

 高校受験期からこいつのことは知っているんだ。

 どんなものにどんな風につまづくか、だいたい見当はつく。


 春臣は典型的な文系脳だ。

 さぼっててできないだけの文系科目と違って、数学には滅法弱い。

 特に数1とは見事に頭が噛み合わないらしく、一学期の因数分解でも苦労した。主に俺が。


「おしまいだ……今回こそ赤点だ……」


「基本問題を確実に取れば、平均よりちょっと下くらいまではいける。諦めるな」


「無理だぁぁぁあ」


 はぁ。

 こうなると、いったん春臣の拒否反応を消さなければならない。

 それにも時間がかかるので、たぶん今日はもう無理だろう。


「なら、一度暗記科目で頭を冷やせ。リフレッシュすれば、次に見たときには腑に落ちるかもしれない」


「お、おう……」


「明日もやるんだから、焦るな。もしどうしても無理なら、もう一日増やしてやる」


「うぅっ……ありがとう、悠雅っちー……」


「お前はその呼び方するな」


「悠雅っちぃぃいい」


 気持ち悪い声を出しながら、春臣がしなだれかかってくる。

 冬なのに暑苦しいとは、相当だなこいつは。


 その時、ふと正面から視線を感じて、俺はそちらへ顔を向けた。

 見ると、南井が感心したような顔で俺を見ている。


「なんだよ」


「いやぁ、悠雅っちーって、意外と面倒見いいっていうか、優しいよね。もっとドライだと思ってたけど」


 珍しく、南井の口調におちゃらけた雰囲気がなかった。

 それはそれで、なんだか失礼なことを言われている気がする。


「悠雅はツンデレだからなぁ」


「うん、まさにそんな感じだよね」


「べつにそんな感じじゃない。補習になったら、どうせまた俺が教えることになるんだ。最悪のパターンを避けようとしてるだけだよ」


「ほら、やっぱりツンデレじゃん」


「違う」


 デレてなんてない。

 もっと言えば、ツンだってしてない。

 普通だぞ、俺は。


「い、いいじゃん蓮見くん! 私も、優しいなって思ったし……!」


「ほらー! 静樹ちゃんも言ってるじゃん!」


「……ふん」


 静樹と目が合ったせいなのかは不明だが、俺は無性に気恥ずかしくなって、思わず教科書に視線を落とした。

 なんとなく調子が狂う。


 ところで、静樹は南井と一緒に古文をやっているようだった。

 たまに南井に現代語訳を教えながら、楽しそうに笑っている。

 そこまで心配はしていなかったけれど、馴染めているようで何よりだ。


 と、そう思ったところで。


「古文飽きたー!」


「わっ! び、びっくりしたぁ……」


 突然の南井の叫び声に、静樹はビクッと肩を震わせていた。

 無理もない。

 俺も、反射的にチョップが出そうになったほどだ。


「一番やばいの英語だし、そっちするー!」


「わざわざ報告しなくていいから、黙ってやれ」


「そんな寂しいこと言わないでよー。悠雅っちー、英語教えて」


「……具体的にわからないところを言えよ」


「全部! ね、とりあえずこっち来て! 仙波くんと席替え!」


 ぽんぽんとテーブルを叩く南井に促されて、俺と春臣は座る場所を交代した。

 これで左に南井、向かいに静樹の形になる。


「どうやったら成績上がるの?」


「漠然としてるな……。まあ、テストの点を上げるってだけなら、簡単なコツがあるぞ」


「え、ホント?」


「ああ。グラマーはともかく、リーディングはけっこう楽だ」


 言いながら、南井の教科書をパラパラとめくる。

 っていうかこいつ、教科書綺麗だな……。

 書き込みも、勉強した形跡もなにもないぞ。


「今回はこの長文二つがテスト範囲だから、ここの日本語訳を全部覚えろ」


「え、なにその裏技みたいなの」


「文の意味がわかれば、それぞれの単語の意味も大体推測できるだろ。英語を覚えるより、日本語を覚える方が楽だ。出る内容が決まってるんだから、その方が確実で効率もいい」


「おぉー! なんかズルそうだけどすごい!」


「あくまでテストを乗り切るコツだぞ。英語自体を克服したいなら、グラマーも理解して単語も覚えるしかない」


「乗り切れればオッケーです!」


 南井はキッパリと言った。

 まあ、本人が言うならそれでいいんだろう。

 実力テストや受験では通用しないだろうけれど。


「うぅん、これはまだまだやらないといけませんねぇ、悠雅っちー塾」


「勝手に決めるな」


「でも、どうせ仙波くんとやるんでしょ? 私が混ざってもいいじゃん!」


「もう教えることはない」


「師匠か!」


 あはは、と気楽そうに笑って、南井は俺の頬をツンツンと指で突いてきた。

 普通にうっとうしい。


「うわ、嫌そうな顔。かわいいなぁ、悠雅っちーは」


「早く勉強しろ」


「はーい」


 素直に手を挙げて、南井は教科書に戻っていった。

 お気楽なやつだな、こいつは。


 その時、前に座っていた静樹と、不意に目が合った。

 が、静樹はサッと顔をそらすと、なにやら不服そうな表情で膨れていた、ように見えた。


 何か、怒らせるようなことをしただろうか。


 心当たりもなにもないけれど、妙な焦りを感じるような気分だった。

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