第43話 魯坊丸、温泉に入る。

(天文22年 (1553年)7月11日)

ババンババンバンバン❤

ヤッホー、温泉だぜ。

神主さん、いい情報をありがとう。

井出のお宮から南西に二里半(10km)にあったのが『鹿の湯』だ。

久しぶりの温泉に俺は絶叫調した。

昨日の疲れが吹っ飛ぶね。


「若様らしいと言えば、若様らしい」

「だね、若様はお風呂が好きだから」

「いいお湯です」

「寄ってよかっただろう」

「だね」

「若様、ありがとう。これでさらにお肌がつるつる」

「身長も伸びる」


流石に紅葉の身長は伸びないと思う。

俺はさくら達と一緒に明け方から熱い温泉を堪能する。

念の為に言っておくが、白濁湯なので肝心なところは何も見えていない。

朝焼けを見ながら入る風呂は格別だ。


「熱燗で一杯」

「さくら、御猪口で何飲んでいる?」

「御猪口一杯と言えば決まっているだろ」

「隠していましたか?」


ギロリと千代女の視線が刺さった。

さくらが慌て訂正する。


「冗談です。源泉をすくって飲んだだけです」

「何だ、詰まらん」

「残念です。御裾分けして貰おうと思ったのに」

「………」

「………」


千代女の冷たい視線で楓と紅葉が黙ってしまった。

最初は慶次と入るハズだったのだが、彦右衛門(滝川 一益たきがわ かずます)に連れられて裏山道の確認に連れて行った。

一人で入るのも寂しいのでさくら達を誘ってみた。

鶴、亀、茜は遠慮して風呂上りの準備をしてくれていた。


「千代も入ったらどうだ」

「この足湯で十分でございます」

「それは残念。でも、この秘境感がいいね」

「そんなものですか」

「最高だ」


718年(養老2年)に浄薫和尚が薬師如来のお告げで、傷ついた鹿が傷を癒した事から『鹿の湯』と言われている。


「若様、あまり長く入っているとのぼせますよ」

「このくらい大丈夫だ」


はい、のぼせました。

お風呂を出て石畳みの上に寝かされると扇子で風を送って貰う。

少しだけ休憩のつもりがかなり長い休憩になってしまう。


「若様って、ときどき馬鹿になるからね」

「馬鹿と天才は紙一重」

「若様も馬鹿、うふ」


さくら達だけには言われたくない。

どうしてあいつらは湯あたりしていないのだ?

不公平だ。


 ◇◇◇


近くに天台宗・山門派の寺院『三嶽寺さんがくじ』もある。

伊勢湾を眺めるのに最高な観光スポットだ。


「寄ってる時間などありません」

「判っているよ。言っただけだ」

「ホントですか?」

「また、今度ゆっくり来よう。そう思っただけだ」


後ろ髪を引かれながら出発する。

こんなこともあろうかと背負子を用意していた。

武蔵たけぞうに背負って貰って俺が乗る。

これで一気に山を越える。

千種街道(千草街道)に戻るには山を1つ超える必要があった。


「若様、狡いです」

「俺の足に合わせると本隊に追い越されるんだよ」

「そりゃ、そうですけど」

「若様は足が遅いから」

「遅くない。お前らが速すぎるの」


俺は山道をマラソンのように駆けてゆくなど一生できる気がしない。

登山レースじゃないぞ。

裏手の桜山で俺も何度もやらされたが、半刻(1時間)も走れば足腰が立たなくなる。

山は走るものではない。

千種峠を越えたところで降ろして貰った。

ここから徒歩だ。


「この辺りは彦右衛門がいるから心強い」

「お任せ下さい」


もうお忘れかもしれないので言っておくと峠を越えた先は甲賀滝川氏の本領である。

今回も滝川家に道案内と警護を依頼している。

前回は行きも帰りも馬だったが、今回はがんばって自分の足で歩くつもりだ。


「馬だとお尻が痛くなるのよね」


その通り。


「ガタガタ道で馬が斜めに歩くときは谷間に落ちそうな感じも怖いね」


あれは恐怖だ。


「私は自分の足で歩くとほっとする」


おっしゃる通り。


「で、若様。本音はどうなのですか?」


さくら、楓、紅葉の三人がずっと俺達の一団に沿って歩いていた。

問い詰めてくる三人。

俺は話を逸らした。


「元の場所に戻れ」

「あっ、誤魔化した」

「命令だ」

「それで本音はどうなのですか」

「…………」


黙秘を続けた。

紅葉がさくらの追求を止めてくれた。

実に下らない理由で歩く事を決めたからだ。


さて、以前も通ったが街道などと呼んでいるが登山道だ。

舗装もされていなければ、雨が降れば谷間は川のようになる。

川には丸太橋が掛かっている。

それもない所では岩場を頼りに川を渡る。

斜面を斜行する所もあり、これで街道かと突っ込みたくなる。

春は山桜が綺麗だった杉峠までやってきた。


 ◇◇◇


杉峠を少し進んだ所。

岩場の影に人が息を潜めていた。

街道を見下ろすのに丁度よい岩場だ。


「ふふふ、久しいな」


加藤が声を掛けると、その者は心臓を抉り出されたように顔をしかめた。

春に織田家を去った杉谷すぎたに-善住坊ぜんじゅぼうであった。

余程恐ろしいのか?

額から汗が湧き出て止まらない。


「お久ぶりでございます」

「鉄砲などを持ち出して、こんな所で何をしている」

「決して織田家に逆らうつもりはございません」

「何をしているのかと聞いている」


善住坊の一族である杉谷家は千種城の北に杉谷城を持っており、その協力で一行が千種街道を通る事を知って待ち伏せをしていたのだ。

加藤は殺気を隠していないので善住坊は生きた心地がしない。


「敵ではございません。同盟国の斎藤高政様に御仕えし、安藤様の命で明智十兵衛の命を取って来いと命じられました」


雇い主の名を漏らすのは刺客として失格であるが、主の名を伏せれば間違いなく殺される。

そう悟った善住坊はあっさりと吐いた。


「安藤様がおっしゃるには美濃・尾張を追放された十兵衛は必ず京に向かう。桑名で張っておれば、十兵衛の行先が知れるとおっしゃいました。その通りに十兵衛が現れ、八風道を通ったと言う事で『八風街道』と『千種街道』の両方を張っておりました。八風峠には別の者を配置し、私は千種街道を持ち場にした所存でございます」

「なるほど、相判った。だが、十兵衛は来ぬ。十兵衛は京に向かわぬ。直ちに去れ」

「どこに行ったのですか?」

「答える必要はない」


善住坊は狙撃場所を捨てて移動した。

否定は死だ。

だが、自分の幸運に気づいていなかった。

善住坊を見つけたのが加藤でなければ、怪しい奴として始末されていた。

加藤だったから生かして貰えたのだ。

12~13間(20数m)ほど下に魯坊丸が通るのを確認すると、加藤は次の場所へと移動した。


 ◇◇◇


俺達は甲津畑の速水-勘解由はやみ-かげゆ宅のお世話になる事になっている。

本隊は遅く、山の中までしか進めず、杉峠の手前の飯場で一泊する。

それにしても500人も随行者がいると大変だ。

魯坊丸様(影武者)が通る道を整備しないといけない。

登山道を道らしく。

川には新しい丸太を掛けて、その上に板は張っておく。

斜道も山側を削って道らしくした。

行列が通った跡は街道が綺麗に整備されているので喜ばれるらしい。

そりゃ、腐ったような丸太橋を渡らせる訳にはいかない。

馬が斜面で足を滑らせて、谷間に落ちるような事になっていけない。

以前、馬は落ちなかったが俺は鞍から落ちそうになった。

そんな事がないように道が少しだけ整備される。

一行が通り過ぎた後は随分と歩き易くなるらしい。


「若様、あと少しでございます」

「判っている」

「若様、頑張れ」

「あと一息」

「ガンバ」

「うるさい。応援は無用だ」


山道を抜けると和南川に沿った街道が現れ、随分と歩き易くなった。

だが、すでに俺の足はぱんぱんだ。

かなりのハイペースで歩いてきたツケが回って来ていた。

やはり子供の足では山越えは厳しい。


「一緒に来たがったお市を連れて来なくて正解だ」


さくら達が「えっ!?」という驚きの顔になっている。

何かおかしい事を言ったか?


「もしかして、お市様を連れて来なかったのは山越えがあるからですか?」

「当然であろう」

「…………」

「その意外だと言う顔は何だ?」


お市が人一番運動神経に優れているのは承知しているが体力はそう行かないだろう。

何と言ってもまだ6歳の可愛い妹だからな。


「若様、若様、お市様はさくらより強いですよ」

「こらぁ、変な事を言うな。まだ、一回しか負けた事がないぞ。紅葉、お前こそ勝てないだろう」

「私は知能派だから」

「運動音痴の間違いじゃない」

「楓、酷い」

「私はお市様に負けた事がないよ」

「勝った事もない癖によく言うな」

「負けた奴に言われたくない」

「だから、一度しか負けてない」


お市は武闘派さくらに一度だけ勝った。

回避が得意の楓とは『追い駆けっこ』になって勝負が付かない。

罠や毒などを使う自称知能派の紅葉はすでにお市に勝てない。

ちょっと待て。


「千代、こいつら中忍並じゃなかったのか?」


千代女が目を逸らした。

中忍並とは中忍とほとんど変わらない下忍と言う意味だ。

さくらは知性、楓は積極性、紅葉は武力そのものが少し足りない。

だが、それ以外は中忍と変わらない。


「良い食事、恵まれた指導者、力が拮抗する丁度よい相手、そのすべてに恵まれて、元々才能の塊だったお市様は急成長中でございます」

「流石にそれはないだろう」

「若様、若様、お市様はさくらに勝ちました」

「負けたのは一回だけです。次は勝ちました。今も勝ち続けています」


6歳のお市相手に本気で戦っているのが問題なんだよ。

千代女が遠い目をしている。


「私も村では『鬼女』とか、怪物『童子』とか、妖怪『川坊主』とか言われましたが、同じ歳ならばお市様には敵いません」

「お市は織田の姫だぞ」

「いずれは日の本一の忍びになれるかと」

「させる気はない」

「そうですね」

「もしかして、若様が頑張っていたのはお市様に追い付く為ですか」

「悪いか」

「無茶です」

「無理です」

「同意」


楓と紅葉が頷き、後ろの慶次まで賛同した。

追い付く処か引き離されているってか。

兄としての面子が立たない。

がんばって歩いたのに俺の努力は何だったのだ。


「頭があるからいいじゃないか。いやぁ、むしろ頭だけだな」

「慶次、慰めになってないぞ」

「ははは、持っているものが違うのだ。諦めも肝心だ」


しくしくと心で涙を流した。

俺は7歳にして人生を悟った。

あなかしこ。

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