第47話 室町殿(花の御所)での宴会(2)
「呼ばれもせんのに、勝手に来るとは無粋な奴め」
「三好は田舎者ゆえに、御免つかまります」
「帰れ。酒が拙くなる」
「これだけ人数もいれば、酒も足りなくなりましょう。尾張の酒でございますが、どうぞ、お納め下さい」
こちらも大勢の兵が庭に丸腰で酒樽を持って入ってきた。
一人では持ち切れない四斗樽 (72リットル)だ。
庭に敷物を引くと、次々に熱田と書かれた四斗樽を山積みにしてゆく。
その数、ざっと20樽だ。
京にある分では足りないので、堺から取り寄せたか?
それにしてもよく買い占めてきたな。
ウチも献上品で熱田酒四斗樽 (京で20貫文相当)を5樽納めている。
おそらく、この黄金酒が切れたなら熱田酒が出されると思っていた。
「まずは某が一献頂きましょう」
じっと返事を待っている。
一献とは、持ってきた酒に毒なんて入っていませんよ。
某が毒見をしましょうと言っている。
だが、公方様は答えない。
・
・
・
沈黙を破ったのは政所執事の
「誰か、大盃を用意しろ」
公方様がにたりと笑った。
そりゃ、笑うさ。
大盃は10寸 (30cm)もあり、1升 (1.8リットル)も入る巨大な盃だ。
毒見は一滴残らず、呑み干さなければならない。
年の功か、
樽の蓋を潰して、並々と大盃に酒が注ぎこまれる。
見ているだけで気分が悪くなる。
あれを呑むのか?
運ばれてきた大盃を
ごく、ごく、ごく。
最初は零さないようにゆっくりと呑み始め、減ってくると盃を上げてゆく。
茶碗で呑む奴はよく見かけたが、大盃で呑んだ者は始めてみた。
ぶはぁ~~~~は。
大きな息を吐いて、空になった盃を上に掲げた。
公方様が顔を横にしたままで目だけで追っていた。
「見事だ」
まったく、心に籠っていない声でそう言った。
呑もうと思えば、呑めるものだな。
「公方様、織田様、これをお受け取り下さい」
二通の書状が差し出され、小者が小走りで拾って届けてくれる。
公方様は横を向いたままで受け取ると、さっと開いたかと思うと、ビシャっと破いて放り捨てた。
「愚弄するのも大概にしろ」
「愚弄ではございません。我が
「嫌だ、認めん」
「主、
仲人となれば、親同然。
公方様は
もし、天下平定をお望みならば、この
足利幕府のご再興をお考えならば、お力をお貸し致しまする」
おい、俺の拝謁の口上がどこかで漏れているぞ。
誰だ?
そんな訳がない。
甘い武将が生き残れるほど、畿内は優しくない。
つまり、三好には三好の事情があるのだ。
俺が思っている以上に危ないのかもしれないな?
そんな危険な所に大事なお市を嫁などやれるものか。
お断りだ。
と言っても、決めるのは俺ではない。
兄上(信長)に知らせない訳にもいかないか。
それも早急にだ。
俺はゆっくりと席を下がってゆくと、ポトンと木札が前に落ちた。
「使われよ。これがあれば
やることが男前だ。
「お借りいたします」
廊下を下って玄関に向かった。
織田衆が待機している方に向けて声を上げた。
「
「ここにおります」
「このおぼえ書きを右筆に渡し、すぐに手紙に書き直させよ。そして、この書状と共に急ぎ届けよ」
「急ぎとは?」
「三好が嫡男の嫁にお市を欲しいと言ってきた。俺は反対だが公方様が仲人になれば、反対も難しくなる。俺はそうならぬように動く。しかし、動向は流動的だ」
大国の三好との婚姻を喜んだのか、判っていない。
拙い、言いくるめておこう。
悪いが
「三好は思った以上に内情が悪い。お市が嫁いでゆけば、お市の命も危ない。決して、いい話ではないぞ」
「三好がですか?」
「そうだ。
「私が行くのですか?」
「三好の書状を他の誰に預けさせられるか?」
「そうでございますな」
「この割符を持ってゆけ。これがあれば、八風街道が通れ、逢坂の関から桑名まですべての関所が無条件で通過できる。念の為に、他にも二通書かせて、鎌倉街道と東山・美濃路でも送るように手配しておけ」
「畏まりました」
「急げ、一刻を争う」
六角の割符か。
伊勢の桑名湊以外の関所はすべて六角の息が掛かっているので非常に便利だ。
こうなると京と織田の間は六角が横たわっているのがよく判る。
織田と六角の距離は近い。
もっと美濃と同じように接した方がいいのかもしれないな?
俺はそう六角の評価を改めた。
「よいか。桑名は朝になれば、門が開く。熱田行の船で渡り…………」
「若様、お待ち下さい」
「千代、どうかしたか?」
「桑名に行かず、隣の朝日村の漁村に行くことをお奨めします」
「どうして、漁村など…………そうか、手の者がいたな。朝日村から漁舟を出させて、熱田を目指せ。漕ぎながら帆を張れば、倍の早さで着く。もし、日が昇っていなくとも、熱田の灯台を目指せば、夜でも舟を出せる。判ったな」
「畏まりました」
俺は
宴会場に戻ってくると、慶次が酒を呑んでいる?
何故か、俺の席の前だ。
ぐいぐいぐいと大盃を手に手がゆっくりと上がってゆく。
訳が判らん?
「よい、家臣をお持ちだ」
俺を見つけた
◇◇◇
東国を平定するならば、
公方様は何も答えず、両者は睨み合いをしばらく続けた。
俺はそこでこっそりと席から離れた。
宴会場は死んだように静まり返り、どちらかがしゃべり出すのか?
皆、息を殺して待っていた。
「公方様、呑み比べ勝負いたしませんか」
「下らんな」
「負けるのが、怖いのですか?」
「是非もなし」
「ならば、呑み比べで勝負致しましょう」
「安い挑発だが乗ってやろう。何を賭けるつもりだ?」
「仲人と言いたい所ですが、それは重すぎるのでこの書状を受け取って頂きたい」
「すでに、破いたわ」
「御安心下さい。ほれ、この通り。同じものを10通用意してあります」
「ははは、いいだろう」
公方様がそう答えた瞬間。
『待った! 待った! 待った!』
まるで歌舞伎役者のように、右手を大きく宙に広げて慶次は部屋に入って乱入した。
三好と公方様の間に入るとは命知らずだ。
俺が座っていた席を跨ぐと、ばさぁと大きく袖を広げて、そのままドカッとあぐら座りで、公方様の方に向いて腰を下ろして一礼すると、大きな声で苦情を言った。
「つまらん、つまらん、まったく面白くありませんな」
「(慶次、控えよ)」
後ろの方で慶次を呼ぶ声が聞こえた。
だが、慶次は気にも掛けない。
『無礼者』
公方様がギロリと殺気を込めて慶次を射抜いた。
家臣共々に寒気が走る。
公方様がその気ならば、後ろの太刀を一瞬で抜いて慶次の首が飛んでいた。
高段者であれば、慶次の首が飛んだ様が見えていたかもしれない。
だが、慶次は涼しい顔をしていた。
別に鈍感な訳ではない。
見事に殺気を受け切ったのだ。
ふふふ、公方様が面白い獲物に笑みを浮かべた。
「つまらんか?」
「つまらんものを見せられて退屈で仕方ありません。自分らだけ呑んで、こちらに回さないとは了見が狭すぎますな」
「何が言いたい?」
慶次はさっと片腕を服から抜いて片肌を晒すと、公方様を見、
「俺も呑み比べに参加させて下さい」
「呑みたいか?」
「呑みとうございます」
「ははは、よいであろう。賭けに何を欲する?」
「太刀一刀」
「(慶次、止め)」
宴会だと言うのに、まるで通夜のように静まり返っていた。
慶次は
公方様は慶次の意図を察した。
宴会だ。
楽しまなくてどうする。
まるで、そう言いたいかのように慶次が笑みを浮かべていた。
「よいであろう。負けたらどうする?」
「一手、練習相手のお相手を致しましょう」
「殺されたいか?」
「殺せるものなら、殺して下さい」
「ははは、よい。勝負を受けて立とう」
「公方様、某も参加させて下さい」
「(三淵)
「もちろんです。(細川)
「兄上、何を言っているのですか?」
「公方様から太刀を賜る機会は少ない。挑まんでどうする?」
ならば、我も我もと、次々と声を上がった。
こうして宴会の雰囲気に一気に戻った。
俺は
慶次め、余計なことをする。
皆に大盃がいくつも出され、慶次達がごくごくごくと呑んでいた。
呑み干した慶次が大盃を上げた。
「見事だ」
「まだ、まだ、最初の一杯でございます」
「ははは、そうだ。最初の一杯だ。余に盃を持て」
「遅ればせながら、某も参加したい。公方様、よろしいか?」
「
どうやら何人かは俺を守る為に慶次が前に出たと思っている。
慶次が俺に尽くした?
ないな。
俺が出ていったことで酒を飲むいい口実ができたと気づいたのだ。
頭の回転と勘の良さはピカイチだ。
これ幸いと酒をたらふく呑めるチャンスを見逃さなかった。
思惑通り、俺が中座したことは忘れさられている。
そして、慶次は思いのままに酒を浴びるように呑んでいる。
ある意味、頼りになる奴だ。
「なぁ、千代。いつ終わるのだ?」
「いつでしょうか?」
「皆、中々に粘るな」
「はい」
二杯目までは各々が勢いよく呑んでいた。
三杯目から一人一人が呑み干すのを見ながら順番に呑むように変わった。
皆、苦しくなってきたのか、時間が稼ぎたいのだろう。
書状が10通。
命を賭けた嘆願だ。
流石に三杯目から脱落者が現れた。
「
「お許し下さい。これが限界です」
「だらしない、そこで寝ておれ」
勝負はゆっくりと続く、一人が呑み干すと喝采が起こる。
慶次も5杯目でペースが落ちた。
『お見事』
慶次は喝采に笑みを零すが、腹をさすりはじめたのでそろそろ危ない。
6杯目、
慶次も口を押えながら何とか呑み切った。
おぉ、ここで一気に脱落者が増えた。
あれぇ、俺はもう眠い。
気が付くと日が少し高くなり、その光が横顔に当たっていた。
俺だけ、千代女の膝枕だ。
やわらかい。
兄上(信長)が帰蝶様の膝枕が好きな理由が判ったような気がする。
顔を覗かれると、急に恥ずかしくて起き上がってしまった。
「どうかされました?」
「しょ、勝負はどうなった」
「公方様が8杯目を呑み終えた所で、9杯目を呑もうした
「そうか」
引き分けとして書状を受け取ったか。
やはり、流動的になった。
死んでも呑み切るつもりだった。
「慶次は?」
「七杯目を前にして断られました」
「根性がないな。では、誰も呑めなかったのだな?」
「いいえ、
嘘だろ?
あの小熊が呑み切っただと。
体が人一倍大きいからあり得るかもしれないが、マジで呑み切ったのか?
京は規格外の奴が多いな。
「まぁいい、朝帰りになってしまったな」
「はい、お市様が心配されて、門の前で鬼のような顔でお待ちになっているかもしれません」
「それは拙い。 慶次を起こせ、すぐに帰る」
俺は伝言だけを残して室町殿 (花の御所)を後にした。
そして、千代女の言った通りに、お市が大門の前で腕を組んで待っていた。
「魯兄じゃ、遅いのじゃ」
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