第44話 帝が天女を見たいそうだ!

話は2日前に戻る。

昼を過ぎた頃、知恩院に牛車がごろごろと音を立ててやってくる。

やってくるは 晴嗣はるつぐと、その父である近衛 稙家このえ たねいえだ。

太政大臣・関白に就任されたこともある大御所様だ。

勝介しょうすけは日も出ない内から皆を集め、何十回目か覚えてもおらぬ接待のリハーサルに熱心だ。

俺も朝から叩き起こされてリハーサルに参加させられた。

勝介しょうすけにとって一世一代いっせいちだいの見せ場とはりきっている。


勝介しょうすけ、諦めろ。 晴嗣はるつぐ様が何人か来る程度に思えばよい」

「そうはいきません。織田家の命運が掛かっておりますぞ」

「張り切り過ぎると持たないぞ」

「早く御準備をして下さい」

「俺が心地よく寝ている時間を少しでも増す方が貴重だと思わんか?」

「思いません」


野口 政利のぐち まさとし(平手政秀の弟)らも張り切っていた。

皆、緊張して顔が怖い。

俺が大きな欠伸をすると、釣られてお市も欠伸をした。


「魯兄じゃ、市はまだ眠いのじゃ」

「この場でよければ、寝ておけ」

「では、遠慮な…………く、すぅ~~~~」

「お市様」

「寝させてやれ! このままだと 稙家たねいえ様が来たときに寝てしまうぞ。 その方がよいのか?」

「ぐぐぐ、致し方ありません」


勝介しょうすけは悔しそうな顔をしているが、子猫のように丸まって寝ているお市を起こせずに後にした。

「若様は随分と落ち着かれております」

「千代、風呂と飯を漁りに来る連中に何故気を使わねばならん」

「しかし、元関白様です」

「知らん。そんなに偉いなら日の本を安らかにして、俺に平穏無事なニート生活を提供しろと言うのだ」

「それほど城に閉じ籠りたいものですか?」

「あぁ、閉じ籠りたい。仕事もせずに毎日ゴロゴロとして、商人から上がってくる儲けで、何もせずにのんびりと暮らすのが俺の理想だ。うるさい兄上(信長)に怒鳴られずに生きてゆけるだけでも平和だと思わんか?」

「理解しかねます」

「ふふふ、理解されんからいいのだ。ともかく、金を無心に来る連中にこちらが頭を下げる理由はない」

「無礼をしないで下さい」

「それはお市に言っておけ。俺は無益な争いはしない。寝る時間が減ってしまうではないか? ふわぁ」


はぁ、千代女が溜息を付いた。

困ったお方だ。

魯坊丸ろぼうまるは野心と向上心が皆無であった。

それでいて人一倍用心深い、万が一に備えて体を鍛えることや情報を集めることに気を砕いた。

生活を向上させ、銭を集めること、身を守ることに余念がない。

そして、家族や家臣に対する心使いは細やかであり、河原者や忍びなどをいやしむこともなく、むしろ感謝してくれる。

千代女にとっても非常に貴重な存在である。

魯坊丸ろぼうまるは神学館を作り、武家、商人、百姓、流民、河原者、奴隷の子に関係なく、読み書きそろばんを教え、希望すれば小姓として取り立てる。

小姓から黒鍬衆、中小姓、料理人、鍛冶師、技術者、医者、僧侶、絵師、女中、商人などが育ってゆく。

その中でも特別に忠義が厚い者は忍び、商人、行商人、修験者、遊廓の女主人、遊女、歩き巫女などに引き抜いた。

熱田衆の忍び衆を含めて、すべて千代女の傘下になっていった。

四年前の自分はそうなることを想像できただろうか?

それを与えてくれたのは千代女の小さな体の主様あるじさまだ。

ふと見ると魯坊丸ろぼうまるは顔を上下に揺らして、お市と同じく船を漕いでいた。

日々更新される尼子などの動きを確認し、策を巡らす。

同時に公家様を迎える準備の確認と忙しかった。

日が変わるまで付き合い、それでいて朝早くに叩き起こされた。

7歳にはキツかったのであろう。

千代女は勝介しょうすけに見つかるまで魯坊丸ろぼうまるを見守り続けた。


 ◇◇◇


元関白近衛 稙家このえ たねいえを先頭に、右大臣(近衞) 晴嗣はるつぐ、権大納言飛鳥井 雅綱あすかい まさつな、同じく、権大納言烏丸 光康 からすまる みつやす、参議(飛鳥井)雅春まさはる内蔵頭くらのかみ山科 言継やましな ときつぐがやってきた。

出迎えは勝介しょうすけらに任せる。

魯坊丸ろぼうまるは公家様らを大方丈おおほうじょうの最上の間でお迎えした。


「ようこそ、御出で下さいました」

「御出で下さったのじゃ」


これで俺とお市の仕事は終わった。

後は風呂まで座っているだけだ。

勝介しょうすけらから二人は何もしゃべるなと言われている。

お市じゃあるまいし、俺が失言をする訳がないだろう。

お市も『わらわがおかしなことを言う訳ないであろう』と同じことを言い返された。

全員に溜息を付かれた。

何故だ?


公家様に一段高い奥の間に入って貰うと下の段で勝介しょうすけが感謝する口上を述べた。

公方様より、右大臣より、さらに偉い元関白の大御所様だ。

こんな方々を二度と接待する機会は巡って来ない。

そう言って勝介しょうすけらは興奮している。

もう二度と?

そんな訳あるか。

下手をすれば、毎日でも来るぞ。

俺がそう言うと、皆さんから判っていないという顔をされた。

う~ん、何がおかしいのだ?

口上が終わると、大御所様の 稙家たねいえが口を開いた。


「宮中は色々と揉めておる。新参者である織田家を特別に扱うのは如何なものかと文句を言っておる。一条家をはじめ、九条家、二条家がえらく織田家を糾弾しているが、御安心召されよ。この近衛家が後ろ盾として、織田家をお守りいたそう」

「なんというありがたいお言葉! 織田のご当主になり代わり感謝致します」

勝介しょうすけ、それほどありがたがるものではない」

魯坊丸ろぼうまる様、何という口の利き方ですか? あちらにおわすのは元関白様でございますぞ!」

「一条家のご当主、関白・左大臣の一条 兼冬いちじょう かねふゆ様は駿河に行かれて不在だ。一条家と言っても官位の低い者ばかり、九条家、二条家の方は近衛家に美味しいところを取られてヤキモキされている。原因を作ったのは近衛家の方だ」

「声が大きゅうございます」

「聞こえるように言っておる」

「あははは、その通りだ」

「宮はどこも金欠だ。九条家、二条家、一条家にとって金のなる木の織田を近衛家に取られて焦っておる」

「近衛家に対する逆恨みでございますね。ところで摂家せっけの中で鷹司家たかつかさけの名がございませんがどういうことでしょうか?」

鷹司 忠冬たかつかさ ただふゆは天文15年の流行り病でなくなった。その父鷹司 兼輔たかつかさ かねすけも昨年亡くなって、誰を後継ぎにするかで揉めておる」


朝廷の権力争いをしている暇もないのか。

後継ぎがいないなら下手をすると断絶になるの?

そこに元関白の二条 晴良にじょう はるよしが暗躍しているらしい。

公家の権力争いはややこしいな。

やはり、関わり合いにならないでおこう。


「(近衞) 晴嗣はるつぐ様とは竹馬の友のように仲良くさせて頂いております。近衛家を裏切ることは決してございません。但し、織田家への後ろ盾は程々で結構でございます」

魯坊丸ろぼうまる様、口を御慎み下さいませ」

「この近衛家の後ろ盾はいらんのか?」

「これ以上、逆恨みを買いたくございません」


稙家たねいえが目を丸くした。

後ろ盾になって欲しいという者を数知れず見てきたが、程々でよいなどと言う者は始めてであった。

聞き様によっては、九条家、二条家、一条家とも手を組むと聞こえてくる。


魯坊丸ろぼうまる様、お願いでございます。無礼でございます。お止め下さい」

勝介しょうすけ、これは無礼ではない。帝は清廉潔白な方だ。織田家と近衛家が宮中を乱すことをお望みではない。ゆえに、あらかじめお断りしておる。これは礼儀だ。武家は公家に深く関わるものではない」

「あははは、後ろ盾が要らぬか?」

「いらぬとは言っておりません。程々で良いと申しております」

「ほほほ、父上様(稙家)、だから、言ったでしょう。余計なことを言わぬ方がいいと」

「確かに変わり者だな。近衛家は中御門家なかのみかどけと三条家の横槍のみに対処しておこう」

「ありがとうございます」


今度は素直に頭を下げておいた。

さぁ、接待だ。

まずは本日のメインイベント、湯殿(風呂場)に案内する。

公家様をお迎えするに当たって、風呂場の両側に竹などを植えてみた。

造りは露天風呂だ。

しかし、安全を考えて板で覆っているので景観は楽しめない。

それを補う為に浴場を広く作り直して石造りの中庭を作る。

カッコン!

ちょろちょろと水が流れ、竹筒が落ちて音を響かせる『ししおどし(鹿威し)』などを仕掛けた。

石で作った庭はちょっとした小宇宙だ。


湯船は煉瓦の窯と石積みの風呂桶の予定だったが、豪華そうに見せる為に板を張らせて、木造りの湯船に変えた。

突貫工事で昨日の晩にやっと完成した。

かんなの削り方も見事に仕上がり、美しい木目が浮かび上がっている。

さらに、棘などがないように念入りにチェックさせた。


寺内に造ったのが貴族用とすれば、兵舎の側に造った大浴場は兵士用だ。

石を組んだ単純な造りだが、100人が一度に入れる。

お市には一番風呂を約束していたので大浴場の方に行って貰った。

俺は約束を守る男なのだ。


「極楽、極楽」

「お気に召して頂けましたでしょうか?」

「湯船につかると疲れが取れますな」

「ほんに、ほんに」

魯坊丸ろぼうまるも一緒に入らぬのか?」

「私(俺)は接待をする役目でございます。皆様が帰られた後にゆるりと入らせて頂きます」


俺はにっこりと笑ってお断りする。

一緒に入っても疲れるだけで入った気にならない。

察してくれよ。

風呂から上がると湯涼みに大団扇おおうちわで仰いで差し上げる。

木綿のタオルを山ほど用意して髪や体を丁寧に拭きとって、頭を結直せば、最上の間に戻って頂く。


ここから再び勝介しょうすけと交代だ。

尾張の料理人に京に合わせて薄味仕立てで作って貰った。

牛丼やすき焼きのような派手な肉料理は使えない。

流石に敬遠されると思った。


しかし、つき出し (前菜)はやはり肉だ。

肉はローストビーフのように切って、一口サイズの少量で小皿に盛ってゆく。

肉の決め手は玉ねぎを炒め作った特製のタレを使用する。


ふふふ、堺の商人が種付きの玉ねぎを持ってきたときは神に感謝したね。

芋や玉ねぎ、サトウキビなどを持ってきてくれた。

銭が絡むと堺衆は目の色が変わる。

珍しい植物なら高く買うと煽った俺様の勝利だ。

早くキャベツや白菜を持って来い。


次の一品はナスの油揚げにした。

仕上げに貴重な唐辛子を投入だ。

唐辛子も栽培に挑戦しているが、未だに成功しない。

前途多難。

香辛料は貴重な品だ。


メインの一品は魚を塩抜きしてから天ぷらにする。

一緒にご飯を添えた。

もちろん白米だ。

酢付けの野菜を添えものにして、味噌汁、お吸い物の代わりに一人用の土鍋をお出しする。

土鍋の良さは火を切ってもしばらくは煮立ってくれる。

匙ですすって吸い物のように味わって頂く。

中身は魚と葉物と椎茸を入れてある。

うす塩味にしているが、ポン酢や大根おろしを入れると食感が変わると説明する。

もちろん、酒は熱田の澄み酒をお出している。


勝介しょうすけも食べ慣れているので説明ができた。

俺は別室で飯をさくさくと頂くと、牛になってお昼寝だ。

えっ、そんな予定は入ってない。

いいのだよ。

いくさ以外で俺を起こすなと忠告して障子を閉めた。

デザートのみかんの皮を器にして寒天ゼリーが終わるまで休憩だ。

がんばれ、勝介しょうすけ君!


お市は会見中に目をとろんとさせており、終わった後には風呂に行かせた。

しかし、お風呂に行ったきり、帰って来ない。

デカい風呂に浮かれて、はしゃぎ回って湯あたりでもしたか?

千雨ちさめに団扇を仰がれながら唸ってそうだ。


「うぅぅぅ、のぼせたのじゃ」

「お市様、食事も用意できているそうです」

「まだ、目が回るのじゃ」


 ◇◇◇


食事が終わると、 稙家たねいえ様に呼ばれた。

やっと悪巧みを公開してくれるようだ。

意味深なことを言って、『聞きたいか?』と何度も聞いてきたから気になっていたのだ。

もちろん、聞きたいなんて言わないよ。


「中々に趣向を凝らしたものであった」

「お口に合ってよろしゅうございました」

「ところで、上洛の折りに天から光が差したことを覚えておるか?」

「もちろんでございます。天も織田の上洛を歓迎してくれたと心得ております」

「???」

「公家も見に行った者がおり、そのときの市姫が美しかった噂になっておる」

「そうでございますか?」

「…………」

「先日のその噂を帝がお聞きになったのだ」

「帝のお耳に入ったなど、恐悦至極でございます」


ちょっと待て!

勝介しょうすけ、それ以上はしゃべるな。

その先は拙いぞ。

俺は勝介しょうすけの袖をひっぱったが、一杯一杯の勝介しょうすけは全然気づいてくれない。


「臣下として、帝の願いを叶えて差し上げたいと思うのだが協力してくれぬか?」

「(待て、答えるな)」

「帝の為ならば、何なりとお申し付け下され。ご協力させて頂きます」

「そうか、承知してくれるか。助かったぞ!」


馬鹿野郎、俺は心の中で天を仰いだ。

否、勝介しょうすけを責めるのは不条理だ。

どうせ、こちらが頷くまで何度でも問うてくる。

そうか。

稙家たねいえ様が来ると言った時点で決まっていたのか?


雅綱あすかい まさつな、よかったな。協力してくれるらしいぞ」

「嬉しい限りでございます」

雅春まさはる、そなたの妹だ。大切にせよ」

「もちろんでございます」


白々しい芝居だ。

俺はじと~っとした目つきで無言の抗議をしておいた。

狸爺ぃたぬきじじぃめ。

勝介しょうすけはまだ気づいていないのか?

奇妙な会話を聞いて、頭の上に『クエッションマーク』を3つほど浮かべている。


「あのぉ~、どういうことでしょうか?」

「やはり拝謁に当たって織田信秀の娘では色々と不都合がある。よって飛鳥井あすかい-雅綱まさつな猶子ゆうしにして貰うことにした。協力して頂けて嬉しく思っている」

「おぉ、おぉ、おぉ、お待ち下さい。お市様を猶子ゆうしとのことですか?」

「まさか、受けておいて断る訳ではあるまい。官位は従五位相当の掌侍ないしのじょうを考えておる。拝謁には必要だからな」

「は、は、拝謁ですか? お市様が?」

勝介しょうすけ、しばらく黙れ」

魯坊丸ろぼうまる様、しかし!」

「黙れと言っている」


駆け引きは負けだ。

織田にとっても悪い話ではない。

断れば、角が立つ。


「謹んで拝命いたします」

「おぉ、認めてくれるか」

「然れど、私(俺)は兄上らの官位を預かりに来た一介の使者に過ぎません。兄上らの許可が必要になります。しばらく、お待ち頂きたいと存じ上げます」

「もっともだ。良い返事を待つぞ」

「畏まりました」


待つと言ったのに。

明日からお市の教育が話された。

蹴鞠や和歌などの家庭教師が毎日のように知恩院に訪ねて来てくれると言う。

上機嫌で帰っていった。

風呂と飯を漁るいい口実にされたな。


「よかったな。勝介しょうすけ、公家家の回る手間が省けた」

「よかったなではございません」

「どうしようもないだろう。急ぎ、兄上(信長)に手紙を書く」

「そうでした。すぐにお知らせせねば」

「千代、六角の父君 (望月出雲守)に頼んで関所を開けて頂けるように手配しろ」


許可してくれると思うが、返事次第では予定変更だな。

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