第40話 足利尊氏公が通った道。

公方様(足利 義藤あしかが よしふじ)が割と理性的な人で助かった。

これが癇癪かんしゃく持ちなら終わっていたぞ。

にこにことしているお市の顔を見ると緊張した俺が馬鹿に見える。

まったく、お市の強運に感謝だ。

だが、これで人物像パズルのピースがカチャリとはまったような気がした。

近衛家の血を引くサラブレッド、武将達が魅了されるほどの剣術を身に付け、人の話を聞けるだけの理性も持ち合わせている。

なるほど、足利-尊氏あしかが-たかうじの再来と期待されるだけはある。

だが、三好に対しての感情の起伏が激しく、我慢が利かない。

三好が憎い。

現実を見て妥協できないと幕府は転覆するしか未来が見えない。


一難去ったが終わりではない。

あぐらを崩して片膝を上げ、そこに肘を掛けてどっしりとした姿勢に変える。

公方様がじっと俺を見つめていた。

御相伴衆、御供衆、奉行衆、奉公衆なども俺を見ている。

皆が公方様の言葉を待っていた。

期待に目を光らせる。

ごくりと俺は唾を呑み込んだ。


「三好に勝てる方法があるか?」


ですよね。

畿内の中心は堺であり、その堺を中心に摂津・和泉・河内の三国を三好が支配している。

経済力が違い過ぎる。

幕府がいくさに何度勝っても疲弊するのは幕府の方だ。


「まずは幕府の立場を説明しておこう」


藤孝ふじたかに代わって、その兄の三淵-藤英みつぶち-ふじひでが口を開いた。

熊の癖に頭の切れる感じのある藤孝ふじたかと違って、藤英ふじひでは平凡で温厚な印象である。


「幕府としては安祥城を落とされて迫る今川方に対して、織田弾正の要請もあって和睦を斡旋した。これは覚えておられるであろう」


俺はゆっくりと頷いた。

3年前の天文19年 (1550年)8月頃に今川方は水野家に迫って降伏させた。

俺も始動したばかりで力もなかった。

父上(故信秀)は公方様を頼って和睦の仲介を頼んだ。

幕府の仲介で織田と今川は一時的に和睦した。


「こちらとしては追放された土岐-頼芸とき-よりあき様を美濃に帰還させ、今川・織田・美濃・六角と幕府方に引き入れたいと画策していた」

「なるほど、それが成功するならば、京から東海まで幕府方の勢力が生まれ、三好と対抗するに十分な兵力が集まったでしょう」

「その通りだ」

「ならば、その画策の一部は成功しております。土岐-頼芸とき-よりあき様の帰還は約束できませんが、本年度中に斎藤-利政さいとう-としまさ殿は幕府方にくら替えすることになりましょう」

「誠か」

「お約束します。しかし、そうなっても今川義元は上洛なさらないでしょう」

「再び、幕府が和睦を斡旋しても駄目か?」

「無理と存じ上げます。特に条件を付けないと言うのであれば、織田家は和睦に承知と断言しておきましょう」

「相判った。打診してみよう」


藤英ふじひでは素直に喜んだ。

同じ今川方でも純朴な方だと印象が変わる。

だが、三年前と状況が違う。


当時、今川家も背後と内部に不安を持っていた。

父上(故信秀)は和睦と同時に反攻の準備を進めていた。

そして、三河は支配するのに厄介な土地だった。

三河は織田の負担だったので、こちらとしては損切をした訳だ。

義元もそれを承知している。

織田が本気で抵抗を始め、内側で反乱を誘発させ、東で北条が攻め上がってくれば、崩壊の危機に瀕するのは今川方だ。

今川にとっても幕府から来た和睦は渡りに船だった。

幕府の認識はどこか甘い。


藤英ふじひで、もう良いか?」

「申し訳ございませんでした」

魯坊丸ろぼうまる、三好に勝つ方法を教えよ」


静かな圧力だ。

奉公衆が熱くなってきているし、下手な事を言えば首を取れと言うだろう。

すでに言っているしな。

腹を括るしかない。


「三好に勝つ方法でしたな。今の三好に畿内・・で勝てる者はもうおりません」

魯坊丸ろぼうまる殿、随分と弱気でございますな」

藤英ふじひで殿、いくさとは冷静な判断から始まるのです。自らを過大に評価してもいくさに勝てる訳ではありません。今の幕府は畿内・・では弱い勢力だと認識することが重要なのです。畿内・・では勝てません」

「なるほど」

「戯言を言うな。幕府を愚弄する悪漢め」

「そうだ、騙されるな」

「何が100戦100勝だ」

「公方様を馬鹿にした罪は大きいぞ」

「化けの皮が剥がれたな。公方様、智者とは名ばかりですぞ」


三好に勝てないと言うと、やたらと興奮している。

他の奉公衆も今川派が多いのだろうか?

藤孝ふじたか以外もこのときとばかり声を上げている。

俺はそんな声を無視して、公方様の返事を待った。


畿内・・では勝てぬか?」

「はい、畿内・・では」

「では、どうする?」

「簡単でございます。畿内で勝てないのならば、日の本ひのもとに盤を変えます。つまり、東海、関東、奥州、北陸、中国、四国、九州を公方様の手で染め直せば、三好も怖くありません」

「それは 藤英ふじひでと同じ考えだな」

「いいえ、肝心な所が1つ違います」

「それは何だ?」

「公方様には下向して頂き、自ら先陣を切って、その武威ぶいを示し、足利-尊氏あしかが-たかうじ公が通った道を逆に歩いて頂きます」


公方様の目が鋭くなり、少し身を乗り出した。

足利-尊氏あしかが-たかうじ公は鎌倉幕府の命を受けて、鎌倉から京に上がった。

逆とは、京から鎌倉まで平定することを意味する。

六角も斎藤も迷惑に思うだろう。

義元よしもと、おまえはどうする?

三河、遠江、駿河を明け渡すか?

関東の北条はどうする?

長尾ながお-景虎かげとらは…………従うだろうな。

長尾の家臣がどう動くかは判らん。

奥州の結城、蘆名、伊達、最上はどうでるか?

従わぬモノを薙ぎ払う。

公方様の脳裏でその光景が映っているのか?

少し笑みが零れていた。


さらに公方様が考えている。

藤英ふじひで藤孝ふじたかを始め、奉公衆もヤジを止めた。

御相伴衆、御供衆、奉行衆も「そんなことが可能なのか?」と思考する。

掴みは成功だな。


「魯兄じゃ、下向するだけで皆が悩んでおるのじゃ?」

「我が弾正家は公方様に付くことを決めているから悩まないが、兄上(信長)と対抗している守護代の織田-信友おだ-のぶともらはどうだ? 和睦して兄上(信長)を許して、幕府の傘下に入ることを良しとするか?」

「できぬのか?」

「兄上(信長)は斯波-義統しば-よしむね様を中心に尾張を再統一しようと企んでいる。守護代の力は大幅に削られる。嫌だと駄々を捏ねれば、討伐する大義名分ができる」

「おぉ、討伐できるのか」

「それを公方様にやって頂く。そうすれば、公方様には数多の諸将が集まり、相模さがみの国に入る頃には大勢力となっている。それを背景に関東・奥州を平定し、堂々と京に凱旋すれば、三好も怖くなくなる」

「おぉ、やはり魯兄じゃは凄いのじゃ」


藤英ふじひでも構想は同じだ。

越後の長尾-景虎ながお-かげとらら、西国の尼子-晴久あまご-はるひさら、東海の今川-義元いまがわ-よしもとらを上洛させ、その権威を背景に三好と対抗するつもりだ。

だが、近隣に敵対する勢力がいる状況で上洛する負担をまったく考慮されていない。

南北朝が産み出した混乱は、下剋上げこくじょうを引き起こし、日の本を混乱こんらん(カオス)に叩き落とされていた。

その中から有力者が周辺を統合して復活を果たそうとしているが、まだ、その過程だ。

藤英ふじひでの策では成功しない。

公方様が下向して一蹴して来ないと終わらないのだ。


「公方様が下向し、公方様が自ら逆らう敵をすべて薙ぎ払うことが肝要なのでございます」「机上の空論だ」

「そのようなことができるか?」

「公方様、これ以上は聞く必要はございません」

「畿内を空にすれば、三好が好き勝手をするだけございますぞ」

佞言ねいげんに耳を貸す必要はございません」


奉公衆らが復活した。

そりゃ、デメリットに気づくわな。

公方様がいなくなれば、畿内に拠点を持つ家は三好の圧力を直接に受けることになる。

小さい家が公方様を立てて、何とか対抗している。

その公方様が下向すれば、盾を失う。

皆の焦りも判る。


「もちろん、対策は考えているのだろうな」

「必要ございません。平定軍には三好からも兵を借りればよろしい。それだけで公方様に仕える者を粛清できなくなります。但し、平定しに行くのです。乱暴・狼藉は死罪。横領などを厳罰に処すと宣言するだけよろしいかと」

「ははは、三好が横領すれば、返す刀で討伐すると脅して出て行くのか?」

「その正体見たり、それでは三好の天下になるぞ」

「三好と謀ったな」

「遂に尻尾を出したか?」

「三好の兵がいるからと言って、織田弾正家は三好に尾張の支配など許しませんぞ。それは今川も長尾も皆同じ。公方様に従っても三好に従う者などおりません」

「確かに、その通りだ」

「和睦が嫌と申されるのならば、三好と袂を分かって下向されても構いません。その場合、畿内に残られた諸将のご実家が独自に三好と対抗することになるだけです。和睦するも、徹底抗戦するも、お好きにすればよろしい」


俺はかなり嫌味なことを言った。

三好と和睦せずに下向できる訳がないであろう。

公方様が京からいなくなれば、三好は別の将軍を擁立する。

俺的には別にどちらでも構わないが、困るのは奉公衆のご実家だろう。


「魯兄じゃ、和睦せずに下向すると、どうなるのじゃ?」

「公方様がいる場所が幕府になり、京の幕府と二つになる。簡単に言えば、鎌倉幕府の再来だな。三好と徹底抗戦する気ならば、その御一家は土地を捨てて、公方様と共に下向せねばならない」

「それは大変なのじゃ」

「百姓は付いて来ぬから、それほど大変な数ではない。それに討伐された者の土地を頂いて、すぐに新しい領地が手に入る。それほど思い詰める問題ではない。それとも三好に頭だけ下げて従うフリをするのでも良い。些細な問題だ」

「そうか、問題ないのじゃな」


嫌ぁ、大問題だよ。

先祖代々の土地を手放す。

面従腹背めんじゅうふくはいで意の沿わぬ相手に頭を下げる。

どちらも武家にとって屈辱だ。

脳筋な武将にとって、「一戦して討死する!」と言い出し兼ねない武将が山ほどいるのが問題なのだ。

もっとスマートに論理的に動けないものかな?

俺の周りも一途な人が多すぎる。

おそらく、公方様の周りも多いのだろう。

はぁ、俺は溜息を付いた、

仕方ない。

一歩前に出て、額を床に付けると可能な限り頭を低くした。


「かかる無礼をお許し下さい。

どうか三好と歩み寄り、皆が生き残る術をお考え下さい。

三好も地方に育つ有力な国主の影に怯え、その焦りから公方様を亡きモノにしようと試みる日がいつかくるでしょう。

敵対したままでは、これからの10年を戦い抜くのは容易ではございません。

どうか、お命を大切にして下さい」

「10年後に織田が上洛してくれるのか?」

「お約束はできかねますが、まったく違う東海の地図になっているでしょう」

「楽しみであるな」

「どうか、存分にその御力を発揮できる場所を得て頂きたく存じ上げます。織田を待つ必要などありません。

平に、平に、伏してお願い致しまする」

「ははは、感じいったぞ」

「では、三好と協議を行い」

「それには及ばん」

「ですが?」

「余も足利-尊氏あしかが-たかうじ公が通った道を歩きたい。それは余の願いでもある。だが、それはできん。余にも譲れぬものがある。三好に譲れるのは和議までだ。三好と融和はない」

「では、平定ではなく、尊氏たかうじ公の生まれ故郷を見たいとおっしゃられ。秦の始皇帝が行われた『天下巡遊』を宣言されてはどうでしょうか? これならば、三好との協議も必要が要りません」

「余は将軍ぞ。皆を見捨てて、京を離れることはできん」


公方様にも何か譲れないものがあるらしい。

何かは判らないが非常に危うい。

説明するのは難しいが、京に公方様がいないことで三好も苦労することになる。

畿内から出れば、ほぼ公方様の勝ちは確定する。

東海まで三好の手は届かない。

特に尾張にいる兄上(信長)は忠義に厚い。

確実に勝てるぞ。


あるいは、同じく忠義に厚い長尾を頼っても良い。

奥州における公方様の権威はまだ高い。

奥州を平定すれば、関東が付いてくる。

こちらも十分に勝てる。


まだ、奉公衆の野次・罵倒が続いている。

東や北に下野するのが余程嫌らしい。

そんな外野を無視して、俺が顔を上げると公方様はまっすぐに見ていた。

そして、応えるように公方様が俺に声を掛けてくれた。


「良き夢を見られた。感謝する。大儀であった」


公方様の目に迷いはない。

どうやら俺の内謁は終わったらしい。

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