閑話.松永弾正忠の悩み。 (京の情勢の復習編)

儂、松永-久秀まつなが-ひさひでは殿(三好長慶)が若くしてご当主になられた頃に右筆(書記)として仕えた。

我が殿(三好長慶)の父君(三好元長)は『大物崩だいもつくずれの戦い』で細川高国を討った英雄であり、それを妬んだ三好政長・木沢長政らの策謀、そして、元主もとあるじであった細川晴元の裏切りによって殺された。

殿(長慶)は言う。


「私は父を騙した政長が憎い。裏切った晴元が許せん。だが、私には力がない。晴元に許して頂くしか生きる道がないのだ」

「若様、まずは生き残りましょう。生き残った方が勝利者です」

久秀ひさひで、私を支えてくれ」

「皆でお支えいたします」


我が殿(長慶)は父の仇であった管領晴元に頭を下げて許しを請い、それから身を粉にして尽くして戦った。

しかし、一度裏切ったことのある者を許さなし、認めない。

管領晴元は駄目だ。

どんなに尽くしても我が殿(長慶)に報いようとしなかった。


「このままでよいと申すのか?」

「短気はいけません。短気を起こして謀反に至った者を殿(長慶)自身が討ってきたではありませんか。今、謀反を起こせば、討伐されるのは殿(長慶)でございます」

「ならば、どうすればいいと思う」

「この摂津の土豪・地頭に殿(長慶)の力を見せ付けるのです。あらゆる紛争に口を出し、三好がいないと治まらないと思わせるのです。何があろうと殿(長慶)に味方する者を増やしてゆきましょう」

「判った。手伝って貰うぞ」


摂津の国では村同士のイザコザが絶えない。

あちらこちらでお互いの寄り親である土豪・地頭が対立していた。

管領晴元は摂津の国の守護でもあったが、そんな陳情に興味を持たない。

だから、三好が口を挟んだ。


もちろん、我が殿(長慶)はその役職ではない。

管領晴元様から代官を命じられた訳でもなければ、奉行でも、目付けでもない。

場違いと言われようが、必要ならば、力ずくで従わせた。

あくまで調停だ。

三好が得をする訳ではなく、ただのおせっかいだ。

管領晴元は何もせずに国が治まるのだからありがたいと思っていただろう。

目に見えぬ信頼を勝ち取った。

儂は交渉の巧さから村々の裁定に赴き、気がつけば、兵の指揮を取って戦場にでるようになった。

我が殿(長慶)は戦に強い。

誰もがそう思うようになった。

そして、機は熟した。


天文17年 (1548年)、管領晴元は「細川氏綱に協力した」という理由で池田信正を自害へ追い込み、池田家の後継者として、政長の孫を擁立した。

管領晴元は突然、思い出したように一度裏切った者を強引に罠に掛けて討伐していた。

だが、管領晴元に叛旗を翻すのは危険であったので、幕府に親の仇である政長の討伐を願いでた。


「政長とその息子の政生まさなりは池田家を我が物にせんとしております。由々しきことでございます。ご正道に従って成敗いたしましょう」


管領晴元政権の元で力を付けてきた政長を妬む者が賛同し、政長の力を削りながら、我が殿(長慶)は力を貯めていった。

我が殿(長慶)と政長の争いと高を括っている間に他の勢力を次々に糾合し、最後に将軍であった足利親子と管領晴元を近江に追い出した。

そして、管領晴元と対立していた細川-氏綱ほそかわ-うじつなを上洛させ、政治の中枢を奪い取る。


その過程で公方様(将軍足利-義藤あしかが-よしふじ)を相手に何度も戦を行い、三好は勝ち続けた。

その戦いの結果に消沈しょうちんし、前公方様であった義晴様は病気がちになり、遂に自害して果てた。

図らずも公方様にとって我が殿(長慶)は親の仇になってしまった。

儘ならないものだ。


さて、公方様(将軍)らを近江に追い出した。

それで終わる訳ではない。

儂は殿(長慶)の従叔父にあたる三好-長逸みよし-ながやすを補佐して、京都を治める為に公家や寺社の仲介役を仰せつかった。

こうして儂は三好家の家宰かさいまで上り詰めた。


天文21年 (1552年) 1月、公方様と殿(長慶)が和睦をした。

管領職を晴元から奪い取り、氏綱が就任させた。

さらに晴元の嫡男聡明丸を人質に取った。

晴元は出家した後に逃亡して若狭へ逃がしてしまったが仕方ない。

処刑するのは体裁が悪い。

ともかく、これで公方様が京都に戻り、世が平穏になるかと思えた。


しかし、丹波の波多野-晴通はたの-はるみちは従わずに抵抗を続けた。

意志の齟齬そごと言うべきか?


殿(長慶)が氏綱に寝返った時、波多野家は晴元側に付いた。

公方様と管領に付くのは当然の流れであった。

よって、殿(長慶)は波多野-晴通はたの-はるみちの妹(波多野-稙通はたの-たねみちの娘)を離縁して家に戻さねばならなかった。


波多野家は前当主稙通たねみちは丹波を奪い取った偉大な先人であり、殿(長慶)とその娘の婚姻で結び付き、友好関係を保つ戦略にも優れていた。

その稙通たねみちが亡くなり、その子晴通はるみちが家督を継いだのだが、戦略眼は乏しい。

晴通はるみちは殿(長慶)と晴元のどちらに付くかを間違ったのだ。

暗に公方様と管領という職に付いた愚か者だ。

やはり、晴通はるみちは親と違って暗愚あんぐと呼ばれて当然だ。


しかし、何故か波多野家が頼りにならないから離縁されたと噂が上がっている。

もちろん、そんな訳はない。

殿(長慶)は武家作法に則って、敵対したので奥を実家に帰した。

晴通はるみちの妹を人質とするのが忍びないからだ。

だが、晴通はるみちは噂を信じてしまい、殿(長慶)に不審を抱いていた。

前管領晴元を追放し、公方様と和解したのにまだ疑っている。

ともかく、放置できない。


天文21年 (1552年) 4月、殿(長慶)は八上城を攻めて包囲したが落城に至らず、芥川あくたがわ-孫十郎まごじゅうろうの忠告を聞いて兵を引いた。

再度、交渉した結果、波多野氏の奥方が産んだ長慶の嫡子(義興よしおき)を元服させ家督を継がせることを示し、これで丹波と和議を結び長い抗争を終わらせた。

これで京周辺がようやくすべて治まった。


だが、そんな平穏は長く続かない。

秋に帝が織田の上洛を求めたことに端を発し、織田が上洛して三好を討つという噂が流れはじめ、上右京で盗賊団が出没するようになった。

若狭に逃れたハズの前管領晴元が密かに戻り、盗賊団の指揮を取っていることが捕まえた者から判明する。

晴元縁の寺々を調べても証拠は出ず、こちらの捜査の網をくぐって盗賊団が出没した。


久秀ひさひで殿、どういたしましょうか?」

「仕方ない。芥川城あくたがわじょうから兵を借りて、上右京に回って貰う」

「なるほど」


儂は手紙を書いて届けさせた。

こうして上右京の警備を厚くすると、今度は中右京が襲われた。


「西迎寺領の村を襲っただと?」

「村人の多くが斬殺され、警備に当たっていた長澤-市政ながさわ-いちおさが怒り狂っております」

「西迎寺は波多野家の菩提寺だ。波多野領ではないが、波多野家縁の者も多く棲んでいたと思うが違ったか?」

「その通りでございます。波多野家の親戚筋も多く、守れなかったことを悔いて、長澤-市政ながさわ-いちおさはその場で割腹してお詫びすると言い出すほどでございました」

「警備の輪を中右京まで広めよ」


前管領晴元を支援する者に波多野家も疑っていたが、これで消えたか?

それとも偽装か?

判らんな。

捜査の協力を求めておくか、身内に被害が出たのだ。

嫌とは言わんであろう。


そうやっている内に、今度は南右京が襲われた。

京の警備から右京に回したいが監視しておかねば、やたらと野盗を働く者やゴロツキが増えており、それも容易にできない。

警備を増やしたいが兵を雇うには懐がそれを許してくれない。

寺を回って、手伝いを頼むか。


天文22年 (1553年)閏1月、織田の上洛が3月と決まった。

盗賊団は伊賀者を使って探らせているが足取りが掴めない。

波多野家も協力して丹波の山々を探ってくれるが一向に見つかる気配がない。

前管領晴元め、どこに隠れているのか?


政所執事の伊勢貞孝と対立していた奉公衆の上野信孝らが再び活発になってきた。

奉公衆の上野信孝らは公方様を唆し、山名氏や赤松氏の守護職を奪って尼子晴久を8か国守護に任じさせた連中だ。

尼子晴久は8か国を平定した後に上洛して、公方様の後ろ盾になることを約束している。

8か国を平定した後というのが曲者だ。

上野信孝らにとって上洛よりも毛利に攻められている備中を助けて貰うことが大切なのだろう。

このような不可実な甘言を受け入れるなど、公方様の三好に対する不審も根深いな。


「旦那様、魚屋ととやがやってきましたがどう致しましょう」

魚屋ととやか、通せ」


魚屋ととや田中 与四郎たなか よしろう)が居間に通された。

いつものように魚屋ととやは土産の茶菓子を出してきた。

実は甘い物に目がない。

一つ取って味見をする。

ほのかに甘味が口中に広がる。

うむ、これは茶菓子として丁度いいな。


「こちらもどうぞ、お納め下さい」


そう言って、桜焼きの茶碗 (熱田で焼いた茶碗)を差し出してきた。

火入れにより見事な赤い花が散る茶碗である。

桜焼きの特徴は、所々に真っ赤な『緋』が走っていることだ。

余程の高温で焼かないとこうはならない。

1,000個を焼いて、わずかに2個か、3個ほどに見事な『緋』が走ると言う。

それのみに印を施し、無印は知多焼きとして安値で取引がされる。

当然、この茶碗は見事な『桜焼き』だ。


「で、今日は何の用事だ」

「大喜屋からの届け物と、孫六様(魯坊丸の偽名)の手紙を預かって参りました」


手紙を開くと、色々と迷惑を掛けるでしょうからよろしくお願いしますという内容であった。

土産は小舟一艘に積まれた銭1,000貫文だ。

これが子供の駄賃だというのだから驚くしかない。


「何をするつもりか、存じ上げておるか?」

「まったく、知りません。ただ、堺で少々変わった傭兵を集めて欲しいと頼まれております」

「織田の腰ぎんちゃくも疲れるな」

「いいえ、孫六様から魚屋ととやは織田の御用商人にあらず、『死の商人』を目指せと言われております」

「死の商人?」

「敵味方に関係なく、銭を出した者に武器を売る。その武器でどこの誰が何人死んでも意に介さない商人という意味らしいです。ただし、敵味方関係なく、手紙がやり取りできる関係を築いておけと言われております」

「相変わらず、面白いことを考える小僧だ」


堺で織田は乱暴・狼藉などを一切許さない傭兵1,000人ほどを雇うらしい。

手紙にも尾張から500人、堺から警備の者を1,000人ほど京に入れると書かれていた。

堺衆はその1,000人を集める為に武闘大会を開き、人を集めることにした。

人を多く集めれば、変わった命令でも聞く者が集まるだろうと考えたのだ。

これは織田の指示ではないらしい。

何でも織田では賭け札というモノをはじめて大儲けしたらしい。

熱田・津島でできて、堺にできない訳がない。

商人同士でも意地を張るのかと感じいった。


閏1月と2月か、上洛まで2ヶ月しかない。

武闘大会は10日に一度行って、傭兵1,000人の頭を決めてゆくらしい。

その傭兵1,000人は京の武衛屋敷が完成するとそのまま衛兵として雇うと言う。

まぁ、1,000人の内、何人が残るかは判らないと魚屋ととやは言って帰っていった。

ともかく、銭が出来た。

傭兵を雇って京の警備を増やすことにした。


閏1月10日、上野信孝の屋敷から前管領晴元の手紙が発見された為に詰問する。

管領に復帰を願う嘆願書とシラを切られた。

前管領晴元が管領に復帰した暁には褒美や願いは思うままに希望を叶えるという内容だ。

はっきりと断ったと本人は言うが怪しい物だ。

それならば、何故、手紙を残している。


長逸ながやす様が先走って、幕府に上野信孝らの人質を寄越せと要求し、公方様を怒らせた。

それを画策していたのは儂自身であったが、預け先を公家か、あるいは養子として六角家臣に預けることを描いておった。

この策はもう使えなくなった。


せっかく、警備を増やしたというのに京の治安は悪化してゆく。

浪人共が雇って貰えると考えて京に集まってくるからだ。

食い溢れた者が問題を起こす。

朝廷、幕府、寺々から苦情が殺到している。

どうしてこうなった?

作為的な意図を感じる。

これも前管領晴元の策の1つか?

忌々しいが策謀に掛けてだけは天下一品だ。


「旦那様、岩成-友通いわなり-もとみち様がお越しです」

「通せ」


友通もとみちは奉行衆の一人で堺の町を任されていた。


弾正だんじょう様、お願いがあって参りました」

「どうかされたか?」

「堺では武闘大会なるものが開催されております」

「知っておる。儂が口利きをして、殿から許可を貰っておる」

「そのことは承知しております。しかし、その観衆が数万人になろうとしており、中には織田が三好と戦う為に兵が集っているという噂も流れ、三好打倒を掲げる浪人まで集まっておるのです」

「なるほど、それは厄介だな」

「人払い令を出していただきたく、お願いに参りました」


儂に許可など取る必要もない。

我が殿(長慶)に直接訴えれば済む話だ。

こちらに振ってきたのは筋を通す為か?


「それはまかりならぬ」

「駄目ですと。しかし…………」

「まぁ、聞け」


まず、一度許可を出したものを途中で取り下げるのは体裁が悪い。

そのうえ堺衆は大損し、あげく三好まで恨まれることになる。

下手に火を付けると、それをきっかけに叛乱を唆す者が現れ兼ねない。


「銭は儂が出す。2万人の傭兵を雇って警護してやれ」

「警護でございますか?」

「会場を守ってやるのだ。感謝されるだろう」

「ははは、それは面白い。畏まりました」

「それともう1つ」


儂はせっかく集めた兵を再利用することを考えた。

警護してやったのだ。

堺衆から礼を貰うことにしよう。

何でも京の町では織田が大軍を連れて上洛するらしい。

大軍は大軍だが三好の大軍だ。

織田の荷を守って三好の大軍を上洛させ、その兵で一気に山狩りを行う。

害虫駆除だ。

前管領晴元、策士はおまえだけではない。


松山-重治まつやま-しげはるを呼べ」


重治しげはるは弁が立つ。

2万の大軍で上洛することは最後まで伏せておき、織田の荷を警護させることを織田に認めさせる。

悟られぬように説得するように言っておこう。

そして、上洛の翌日に山狩りを行う。

伊賀者を雇い、どこの誰が、誰に連絡を取ろうとするかを確かめる。

総大将は儂の弟、松永-長頼まつなが-ながよりにさせるか。

晴元、炙り出してやるぞ。


2月25日、(織田)魯坊丸ろぼうまるが唐突に上洛し、騒ぎを起こした。

その後、嵯峨に拠点を置くと、翌々日から近衛このえ- 晴嗣はるつぐと動き回った。

迷惑な奴だ。

内大臣様に何かあったら、どう責任を取るつもりだ。

仕方ない。


「下京、中右京、下右京の兵を少しずつ、上右京に回せ・内大臣様を御守りしろ」


毎日、派手に動くので盗賊団も押し込みもできず、ボヤくらいしか被害がでない。

意味はあるが、効率が悪過ぎる。

影に守っているこちらの身になってくれ。

しかも織田と近衛の人気が上がり、三好の悪弊あくへきが糾弾されている。

兵の質が悪いのは承知しているが、こちらも手数が足りんのだ。


3月3日、ひな祭りで宮中は騒いでいるのに魯坊丸ろぼうまる 晴嗣はるつぐは相変わらず、あちらこちらで騒ぎを起こしてくれる。

あの三人衆は京の名物になっている。

あやつらは何をしに京に来たのだ?


夕方になると、見張り番から報告が上がった。

今日も仁和寺にんなじの周辺を回るつもりか?

ここ2、3日、盗賊団が鳴りを潜めている。


明後日は織田の上洛軍が上がってくる。

三好の大軍が織田の姫様を護衛して上がって来ているのは伝わっているハズだ。

前管領晴元も知っているだろう。

まさか、堺から姫を上洛させるつもりだったとは、こちらも予想外だった。

しかし、織田の姫を守って上洛するのは悪くない。

三好と織田の仲が良好なことを周知できる。

いい機会だ。

三好の嫡男の義興よしおき様の妻に織田の姫を申し出ておこう。

それでこの上洛の意味が深くなる。

三好と織田が同盟を結べば、前管領晴元の付け入る隙がさらになくなる。


さて、今日はどこで仕掛けてくる?

まぁ、いいであろう。

今日の被害は目を瞑る。

山狩りのいい口実だ。

前管領晴元も、まさか翌日に山狩りをするとは思っていないだろう。

伊賀者の配置を終わった。

炙り出してやる。


それはそうとして、

晴嗣はるつぐ様の警護となると、他の者に任せる訳にもいかん。

こう毎日、夜を通されては体が持たん。

紫頭巾ごっこなど、いい加減にして欲しいものだ。


弾正だんじょう様」

「如何した」

「怪しい者が弾正だんじょう様への手紙を持ってやって参りました」

「構わん。通せ」


手紙を見て、儂は立ち上がった。

ぬかったわ。

儂ごと騙しおった。

食えぬのは、前管領晴元だけでなかった。

すぐに兵をまとめて下右京に移動を開始する。

どこかの兵か、我らが目指す先に近づいてゆく松明の火が見えた。


「どこの者か、調べさせよ」


兵の速度を敢えて落とし、前を移動する兵に備えた。

波多野家、長澤-市政ながさわ-いちおさの軍であった。

我々と同じく、盗賊団を捕まえる為に魯坊丸ろぼうまるに誘われたようだ。

到着した時、既に戦いは終わっていた。


現場に入ると溜息を吐く。

絶対に居てはならん方がいた。

気性が激しいお方だから居てもおかしくないが、居て頂いては困るのだ。

厄介な方が多すぎる。

ともかく、盗賊団をなんとかしたい思いは朝廷、幕府、三好も同じということか。

それが判っただけでも意味があったと思うか。


してやられた。

前管領晴元を後から支援していたのは波多野家であった。

見つからぬ訳だ。

それがどんな理由であれ、殿(長慶)は波多野家を詰問せねばならない。


弾正だんじょう様、これは罠でございます」


旗屋-金田はたや-きんたと名乗った魯坊丸ろぼうまるが言った。


「承知している」

「おそらく、本当に波多野家の晴通はるみち様が承知しているかも怪しいと考えられます」

「だが、聞かねばならんな」

「おそらく、知らないと言うでしょう」

「知らぬではすませられん」


関与した家臣がいる。

知らないでは済まされなくなった。

これが前管領晴元の狙いだった。

そこに 晴嗣はるつぐが加わった。


「なぁ、麿にはよく判らんのだが、どういうことだ?」

晴元はるもとに『してやられた』ということです」

「どういう意味だ?」


さらに紫頭巾までやって来た。

こっちに来るな。

魯坊丸ろぼうまるが波多野家と前管領晴元の関係を説明する。

公方様なら承知のハズだ。


「秘密とは?」

「知りません。知らないから秘密です。たとえば、 長慶ながよしに暗殺者を送った実行犯が晴通はたの はるみちだったとか?」

「そうなのか、小僧?」

「知りません」


魯坊丸ろぼうまるは知らないと言ったが知っているのかもしれない。

こいつも忍びを多く抱えている。

そして、波多野家も丹波の忍びを抱えている。

十分に考えられる。

脅されたのか、率先して協力したのか、それは判らない。

その証拠を詰問の直前に暴露されれば、何らかの処分を下さねば収まりが付かない。

前管領晴元の性格を知れば、恐ろしくて詰問に応じられない。

詰んでいるではないか。


丹波の八上城やかみじょうに兵を起こすまで既定事項になる。


山狩りは中止だ。

丹波守護、内藤-国貞ないとう-くにさだ八木城やぎじょうに兵を移動して、殿(長慶)の指示を仰ぐとしよう。

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