5.ラファリ鉱山へ!

 翌朝、アーシェたちは6時に起床して宿の外にある水場で顔を洗ったり、身支度を整えて女将が用意してくれた焼き立てのパンと根菜とベーコンのスープで朝食を摂った。


 眠たそうに目を擦りながら起きてきたトビーは、すでに朝食を終えて歯を磨いたり、持ち物をチェックしているアーシェたちに一気に目を覚ましたようで、目を輝かせてやってくる。


「お姉ちゃんたち、もう行っちゃうの?あの山、蛇が出るけど怖くないの?」

「お仕事だからね。帰りにまた寄るから荷物を置かせておいてね」

「うん!お姉ちゃんたちの荷物は僕が守る!」


 胸を張るトビーにアーシェは手を伸ばして、その寝癖のついた茶色い髪を撫でてやった。

「えへへ」と嬉しそうに、少し照れくさそうに笑うトビーの脇では、女将が心配そうに手拭きで水仕事をしていた手を拭いながらアーシェたちを見つめている。


「本当に気を付けてね。あの鉱山の大蛇はかなり大きいみたいだから危ないときは逃げるんだよ。…エドガーさんも、無理しないでおくれね」

「ああ。…ありがとう、気を付ける」


 若干、気のせいか熱っぽい女将の視線がエドガーに向けられれば、ぎこちなく笑みを浮かべて頷くエドガー。


「年上のひと、かぁ」

「ジークっ!」


 聞こえよがしに呟いて口の端を持ち上げたジークは、セイシェスに後ろから上着を掴まれて諫められている。


「ええ。女将さん、それじゃあ行ってきます」

「ちゃんと無事に戻って来るんだよ、待っているからね!」


 女将とトビーに見送られて、探査に必要なものだけをそれぞれの荷物袋に詰めたアーシェたちは『小麦亭』を後にした。


 いよいよ出発だ。

セイシェスの言っていた目標時間よりも1時間早く、時計は7時を示している。

 早朝のまだ冷たい空気はこれから2時間の道のりを考えると、歩くにはちょうどいい気候で、日差しが強くなり暑さに疲弊する前に鉱山へ着きそうだった。

 ラファリ鉱山へ向けて村を縦断するように歩き出せば、すでに畑で仕事をしている夫婦や、柵で囲った中に牛や羊を放す少年もおり、また家々の煙突からは煙が上がり、村の一日がすでに始まっているのが感じられた。


「お兄ちゃんたち、いってらっしゃーい!」


 昨日の子供たちの一人だろう。姉と思しき少女と共に仔牛を囲いの中へ追いながら、アーシェたちの姿に大きく手を振っている。

 その微笑ましい姿にアーシェたちも手を振り返して、鉱山を目指して足を進めるのだった。


・・・・・・・・・


 村を出てしばらく歩けば、次第に木々が目立ち小さな林を為していた。

 その木々が太陽の光をさえぎってくれるおかげで木陰が多い中を歩いていけば、野ウサギやリスが時折ひょこっと顔をのぞかせては急いでひっこめたり、木に登って身を隠したり、滅多に林の中に足を踏み入れない人間に警戒をしているようだ。


「でかい石とかが地面から出ているときがあるから気を付けろよ」

「ええ」


 人が頻繁に通る、よく慣らされた道とは違い土や木の根といった物から、道に石が混じり始めたことにジークが声を掛けた。

 足元に注意しながら、そうしつつも木の枝に袖や足を引っかけたりしないように慎重に進んでいく。

 せり出した木の枝をくぐり、林の中をどれくらい進んだだろう。中間点を過ぎたあたりから足元はごろごろとした石が増えて歩きにくくなってきた。


「……きゃ!」


 足を乗せた大きな石の表面を覆う苔に足が滑り、バランスを崩しそうになったアーシェに咄嗟にジークが手を伸ばし、その腕を掴んで支えた。


「あ、ありがとう」

「気ぃ付けろよ。リーダーが探索前に転んで戦線離脱なんて格好つかねぇだろ」

「ふふ、確かに格好悪すぎるわね」

「初探索で探索できないまま頭にたんこぶじゃ笑えねぇぞ」


 そう笑ってジークがアーシェの荷物袋を背負う、その背中を軽く叩く。


「アーシェ、大丈夫ですか?」

 アーシェが足を滑らせたことにセイシェスも心配そうに隣から顔を覗き込んだ。

「滑りやすいから気を付けてくださいね」

「ええ」


 エドガーやクレールも慣れているのだろう、危なげない足取りで、草や石で覆われた林道を歩いている。


「ラファリ鉱山まで2時間っていうけど…まだ先は長いわね」


 木々の合間から覗く岩肌がむき出しになっている山の姿に、アーシェは額にうっすらを浮かぶ汗を手の甲で拭った。


「歩いていれば、そう長くは感じませんよ。…それにしても、早く出発できてよかったです。1時間遅くなれば、もっと暑くなりますよ」


 セイシェスの涼しげな顔が空に向けられた。

 朝の清冽な風がセイシェスの長い黒髪を撫でるのを思わず魅入ってしまう。

 男女問わず綺麗な人は横顔でも様になる、とはよく言ったものだ。


「そういえば、ギルドでは杖を持っていなかったわね」


 思わず見つめてしまっていたことに、慌てて話題を振ろうとセイシェスの手にしている杖に目を留めたアーシェに、セイシェスは手にした杖を小さく掲げて見せた。


「ギルドに出入りするときは、あまり持ち歩かないんですよ」


 邪魔になるでしょう?と悪戯っぽく笑うセイシェスに、もっともだと思ってしまう。

 剣なら腰に帯びたり、背負ったりできる。

 だが、たいていの冒険者はギルドで依頼を受けてから準備をして出発する。

 その為、依頼が決まらないのに杖やら槍やら弓やらを持ち歩くのは確かに邪魔になりそうだ。

 セイシェスの手にした杖は、黒檀の杖をベースにその上部には銀で繊細な装飾が施されており、透明な美しい手のひらサイズの大きなクリスタルが銀細工の蔦に覆われるような形ではめ込まれている。


「…杖を持っていると、本当に魔術師っぽく見えるわね」

「本物の魔術師ですから」


 笑いながら答えるセイシェスにジークも笑って続ける。


「杖もってギルドに行って忘れて帰る奴もいるんじゃねぇか?」

「ああ、それ僕です。一度やってしまったことあるんですよね。登録してすぐの頃」


 挙手をしたクレールが苦笑して自分の手にする、樫の木のシンプルな杖を見せた。

 セイシェスの杖とは違い、一切装飾などなく僅かにねじれや曲がりがある、自然の木をそのまま適度な長さに切って作られたような杖だ。


「忘れたことがあるのか?」


 驚いたようにエドガーがその青空のような目を瞠ってクレールと杖を交互に見やった。

 常に愛用の武器を手元に置いているエドガーにしてみれば、得物を忘れることはあり得ない程の衝撃だ。


「でも、幸いにも盗難に遭うこともなく忘れたときの状態のまま、そこに置いてありました」

「…ああ…、な…」


 ジークが何とも言えない表情で、その樫の杖に目を向ける。

 忘れられていた杖がセイシェスのような、装飾や石がはめ込まれた物なら盗まれて換金されることもあり得る話だが、クレールの杖は文字通り『杖』だ。

 シンプルな杖すぎて、ギルドの外…例えるなら広場や市場だったら近所のご老体の忘れ物にしか見えないだろう。


「ドルイドは自然のすべてに神が宿るという概念があるんです。だから、こういう自然のままの杖が一番使いやすいんですよ」


 そう微笑んでクレールは愛着のある杖をそっと撫でた。


「お、そろそろこの林道ともお別れだな」


 ジークの言葉に顔を向ければ、木々が途切れた先にはでこぼこした岩が多い山道に続いていた。

 話をしているうちに、林を向けてあと少しというところか。

 ここからは斜面ということもあり、足元に注意をしながら黙々と岩場を進んでいくことになった。



 そうしてたどり着いたラファリ鉱山の入り口は、かつてあった立て札も折れて朽ち果てて、廃鉱になって久しいことを物語っていた。


「ここからが本番ね」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る