第208話 始まりの落日

「う〜ん……」



 窓から差し込む日差しの眩しさで、リーシアが目を覚ました。



「いったたたた、なんですか……この頭痛は?」



 いつもの目覚めと違い頭がズキズキと痛む。いままで感じたことがない痛み……まるで頭の内側から不意にハンマーでガンガン叩かれたような頭痛に、思わずこめかみに指をそえグイグイ押していた。



「胃がムカムカして最悪な気分です。ここは……私の部屋? 私は一体? 確か昨夜は教会で私のお祝い会を開いてもらって、生まれてはじめてお酒を飲んで、それから……あれ?」



 そこから先の記憶がまったく思い出せない。とりあえず起きようと上半身を起こすと、今度はズーンと響くような痛みがリーシアの頭を襲う。



つうぅぅ……」



 痛みの余韻で動けなくなった少女は視線だけを動かし、状況を把握しようとする。どうやら体を動かさなければ頭に痛みは走らないようだった。



「ここは間違いなく私の部屋ですね。んん? なんで私は修道服のまま、ベッドで寝ているのですか?」



 着替えもせずベッドに寝ていたことを不思議に思い、昨日のことを思い出そうとするが……まったく思い出せない!


 頭に痛みが響かぬよう、ゆっくりとベッドの端にリーシアは腰掛ける。するとコンコンと部屋のドアを叩く音が聞こえてきた。リーシアが扉に顔を向けようと何気なく顔を上げると――



「いたぁぁぁ……」



――鋭く走る不意な頭痛に、両手で頭を抱えてしまう。



「入りますよ」



 静かに渋い声がドアの向こう側から聞こえ、リーシアの返事を待たずに「ガチャッ」と扉が開くとそこにはトーマス神父の姿があった。



「ト、トーマス神父様……お、おはようございます」


「うむ、おはようリーシア……大丈夫かね?」


「はい。大丈夫イッ!……」



 再び襲い掛かる頭痛に耐えるリーシア……その姿を見たトーマス神父がリーシアの側にまで近づくと、片手をベットに腰掛けるリーシアの頭の上にかざし、呪文を唱えはじめる。



「天に召します我らが神よ、願わくは我の前にいる哀れな子羊に回復の奇跡を与え給え……キュア」



 すると神父のかざした手から、淡い緑色の光りがリーシアに降り注ぐ。温かでそっと染み入るような優しい光りを浴びると、頭の中から殴られていた痛みが『ス〜』と引き苦しみから解放された。



「あっ! 頭痛が消えました。トーマス神父様、ありがとうございます♪」


「頭痛は治ったみたいですね。良かった」


「はい。でも、今の頭痛は……?」



 リーシアは頭痛の原因に心当たりがなく、不思議に思うと……トーマス神父が苦笑いしていた。



「うむ、ワインによる二日酔いだな」


「ワイン? 二日酔い? そう言えば昨日はみんなに私のお祝いをしてもらって……? アレ? ワインを飲んでからの記憶が……思い出せません?」


「そうか、覚えていないのか……リーシアにとっては、その方がいいかも知れんな」


「その方がいいかも知れない?」



 神父の言葉にリーシアの頭上にハテナマークが出まくっていた。



「リーシア、これから旅立つ君に助言しておく。お酒は控えなさい。むしろ口にしないように。むなく飲む場合は、誰か信頼できる人がそばにいるとき以外は、お酒は飲まないように注意しなさい」


「え? なんで『いいですね?』わ、わかりました」


 なんでだろうと口にしようとしたリーシアだったが、トーマス神父が有無をいわさずに約束させられてしまう。



「よろしい。では朝の礼拝に向かいましょう。身支度ができたら礼拝堂に来なさい。皆が待っている」


「え? もうそんな時間なんですか⁈ 急いで向かいます」



 トーマス神父がきびすを返し、部屋を出て行こうとしたときだった。バタバタと、誰かがリーシアの部屋に向かって走りくる音と振動を感じる。



「ん? この足音はリゲル? 随分と慌ただしいですが……」


「ふむ、廊下を走るのはあまりよろしくないな。朝からこれほど慌てるとは……リーシアではあるまいし」



 長年、一緒に生活することで、足音と歩くリズムで顔を見なくても誰が歩いて来るのかを聞き分けた二人は、扉の前にまで走り来るリゲルの到着を待つ。



「ところでトーマス神父、まるで私がいつも慌てて走っているみたいな言い方はやめてください」


「おや? キミはよく朝の礼拝に、遅刻ギリギリですべり込むイメージがあったのでね」


「ホッホッホッホッ、そ、そうでしたっけ?」



 その答えに笑って誤魔化すリーシアを、トーマス神父はジト目で見ていた。

 そしてリーシアの部屋の前にリゲルが到着するやいなや、『ゴンッ! ゴンッ!』と部屋の中で寝ているであろう姉を起こそすため、乱暴に木の扉を叩く。



「リーシアお姉ちゃん! 大変だよ、早く起きて!」


「ど、どうしましたかリゲル⁈」


「なんか知らない人達がたくさん来て、リーシアお姉ちゃんを連れて来いって!」


 弟の酷い慌てように、何か尋常ならざるものをリーシアとトーマス神父が感じ取ると、部屋の廊下を次々と乱暴に走る音と振動に二人は気がつく。その足音は一緒に住む家族の誰の者とも違う……聞いたことがない複数の足音だった。



「待て! キサマ、なぜ突然走り出した!」


「リーシアお姉ちゃん!」


「リーシアだと? その部屋に例の聖女がいるのか⁈ そこを退け、かばい立てするならお前も同罪だ。捕らえろ!」


「わっ! 離して!」


「コラッ! 暴れるな、大人しくしなければ、子どもといえど容赦せんぞ」



 ドタバタと誰かが捕まり、それでも暴れて抵抗する音が扉の向こうから聞こえてきた。



「おのれ、我らに抵抗するのならば……腕の一本くらいは覚悟しろ!」


「逃げて、リーシアお姉ちゃん!」



 リゲルの必死な声を耳にしたリーシアは、迷わず神父の脇をすり抜けて扉の前へ立っていた。木の扉一枚を隔てて感じる気配を頼りに、少女が震脚を踏む。木の床が割れ、莫大な力が小柄な体を駆け上がり、体の捻りで力が増幅されていく。そして突き出した拳が扉に触れた瞬間――



「大人しくしろ、グハッ!」



――リゲルの腕を掴み、殴ろうとしていた男の顔に突如衝撃が走り、殴り飛ばされる。木の扉越しに感じた気配に合わせ、リーシアが練り上げた気と力を扉の反対側にいた者へ解き放っていた。


 リゲルの無事を感じた少女は、勢いよく扉を開け放ち、部屋から飛び出して行く。そしてリゲルを守るように背にすると、謎の気配たちと対峙していた。



 床に倒れた男の他に、八人の武装した男たちが、一斉に腰に差した剣を抜きながらリーシアに切っ先を向ける。



「リーシアお姉ちゃん!」


「リゲル、ケガはありませんね?」


「うん。でも……」



 対峙した男達に注意を向けながらも、チラリと肩越しにリゲルを見たリーシアは弟の無事な姿に安堵する。



「キサマがリーシアだな? 大人しくしろ!」


「あなた達は誰ですか⁈ 私の家族に危害を加えるというなら容赦はしませんよ!」


「抵抗するつもりか? ならば力ずくで取り押さえるまでだ!」



 先頭にいた男が、一足飛びで腰だめにした剣を少女へと突き出す。低い天井の室内では、剣を振りかぶる戦い方はできない。その動きだけで、この男がよく訓練された者であると見てとれた。


 最短最速の突き……逃げ場の少ない室内戦において、最適な解を繰り出すのだが、相手が悪すぎた。最強のオークヒーローと災厄の憤怒……強大な敵との戦いを経て成長したリーシアに、それはなんの脅威にもならない。


 闘気を瞬時に身にまとい強固にしたリーシアの掌底が、突き出された男の剣を左右から打ち払うと、剣身が根本からポッキリと折れ、天井に突き刺さる。突然消えた剣身に気を取られた男の腹部に痛みが走ると、そのまま意識を刈り取られ、倒れ伏してしまう。



「手加減するな! あのオークヒーローを倒した勇者の仲間だぞ? 殺す気でやらねば捉えられんぞ」



 必殺の腹キックを決めたリーシアが、右足を前に出し覇神六王流の基本の構えを取ると、二人の男が剣をコンパクトに持ち、廊下の通路を塞ぐように並びながら剣を振るう。



「大人しく捕まれ!」


 左下からの切り上げと右上からの切り下げ……左右から迫る逃げ場のないコンビネーションに、リーシアは臆することなく前に踏み出る。



「覇神六王流! 双竜脚!」



 前に出した左足を軸に回転させ、後ろ回し蹴りを繰り出したリーシアの足裏が、左下から迫る剣の側面を蹴り上げた。攻撃の軌道が変わると同時に、蹴り飛ばされた剣が右上から迫るもう一つの剣にぶつかっていた。



「なに⁈」



 高速回転する体によって繰り出された強烈な蹴撃が、男たちの攻撃を無効化すると、間髪を容れずに蹴り放った右足を軸に、クルリと体を回転させ蹴り放たれた少女の左足が男の顔面を捉える。


 回転により生まれた遠心力と絶妙な重心移動から繰り出された二連撃は、さながら凶悪な暴風のように右の男を蹴り飛ばし、左にいた男を巻き込んで、そのまま壁に叩きつけた。



「つ、強い……クッ! 女、抵抗するな。我々を誰が知っているのだろうな」


「あなた達が誰かは知りませんよ。ですが、私の家族に危害を加えるならば、容赦はしません!」



 すると廊下の先から新たなる複数の知らぬ足音を感じたリーシアは、再び気を練りながら油断なく構える。



「応援か? ありがたい! あの女は手強いぞ、油断するな!」



 剣を構えるリーダーらしき者が声を上げて注意を呼びかけると、増援の者が次々と剣を抜き構えるのだが、ひとりだけ剣を抜かずにいる者がいた。



「双方とも手を下ろせ!」



 剣を抜かずに男が声を大にしながらリーシアの前に歩み出る。その者を見たリーシアは思わず戸惑ってしまう。



「ラングさん?」



 そこにはかつて、軒先に置いてあったツボを割ってしまい、ヒロを確保し注意してくれた町の衛士、ラングの姿があった。



「すると、この人たちは……まさか……」


「ラング隊長、コイツは危険です。こちらの話を聞かず、衛士である自分たちに問答無用で攻撃を仕掛けてきました。聖女といえど油断したら殺されます」


「なっ! 先に仕掛けてきたのはそちらですよ。それに衛士だなんて名乗られてもいません」


「いいから剣を納めろ! 我々に与えられた任務は、聖女リーシアに事情を聞くことであって、殺すことではない。ましてや人を傷つけていい権限など持ち合わせていないぞ!」



 どうやらこの場にいる者は、全員が町の治安を守る衛士であり、その中でもリーシアも知るラングが、この現場において一番上の立場にいるようだ。


「ですが、我々の公務を妨害したのはあちらであって、自分は職務を全うしたまでです」


「ほう、ならば聞こう? キミは自分たちが衛士だと名乗った上で、剣を抜いたのだろうな?」


「そ、それは……」



 ラングの問いに言い澱む男……その姿を見てラングは悟る。



「我々が剣を抜いていいのは、町の治安を守る衛士と知ってなお歯向かう者だけだ! ゆえに町に住む者は我々に協力する義務があり、我々は人々を守る義務がある。我らの素性を明かさずに問答無用で力を行使するキミのやり方には問題があると思うが?」


「いや……その……すみませんでした」



 男がラングに頭を下げると――



「それは、私に対していうべき言葉ではないと思うが、違うかね?」


「は、はい。先に素性を明かさずに捉えようとして、申し訳ありませんでした」



――ラングの言葉に、慌てて男がリーシアに頭を下げた。それを見た少女は、握った拳を開きながら構えを解く。すると剣を収めた衛士たちが倒れた仲間の元へ駆け寄り、様子をうかがう。



「いえ、私も話をリゲルに危害を加えられると思い、やり過ぎたかもしれません。謝ります。すみませんでした」



 リーシアは倒れた衛士たちに頭を下げていた。やられる前にやるのが信条の少女も、さすがに今回はやり過ぎたと反省していると……。



「これはどういうことですか?」



 部屋の中からトーマス神父が現れ、リーシアの隣に並び立つ。



「あなたは?」


「この教会を預かる神父で、トーマスと申します」


「トーマス神父? 女神教の? お噂はかねがね。私の名はラング、アルムの町で衛士長に就くものです。部下がお騒がせしてしまい申し訳ありません」


「いえ、こちらもいささかやり過ぎてしまったようで、申し訳ない」



 立場ある二人が互いに頭を下げ謝罪する。



「それで、今日はどういった御用件でここに? なぜリーシアを捉えようとするのですかな?」


「ええ、今日私たちがここに来たのは、聖女リーシアさんに事情を聞くために、詰所にまで出頭して欲しいと願ってのことなんです」


「私に事情を聞くために? なんの事情ですか?」


「君にはある嫌疑が掛けられている」


「リーシアに嫌疑ですと?」



 ラングの言葉に、なぜかリーシアの心音がドクンと大きく脈打つ。



「キミに虚偽報告の嫌疑が掛けられた。聖女として噂のキミにあるまじき、不名誉なことで信じるに値しない話なんだが、通報されたからには、事情を聞く必要がある。なに、どうせキミの人気に嫉妬した者がいう、根も歯もない戯言たわごとだろう。悪いようにはしないから、一緒に詰所まで同行願えるかな?」


「ええ、別に詰所と行くには構いませんが……私に虚偽報告の嫌疑ですか?」



 まさかと思いつつ、出来るだけ平静を装おうリーシアだったが、次に告げられたラングの言葉に目を見開いた。



「勇者ヒロと聖女リーシアの二人が、実はオークヒーローを殺さずに生かして逃したというデタラメな話だよ」




〈二人だけの秘密が白日の元に晒されとき、破滅が足音を立て聖女の前に現れた〉

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