第206話 誰が為の幸せ……

 そこはオーク討伐の報に湧き、慌ただしい時間が流れる町中の喧騒とは真逆に、ゆったりと静かな空気が流れていた。


 落ち着いた雰囲気の中、壮大で精緻な意匠が施された神の祭壇の前で、ひとりの男が一心不乱に神へ祈りを捧げる姿があった。


 白髪が混じりはじめた中年の男は、首から下げた小さな十字架を手に静かに祈る。もうどれだけ神に祈っていたのか、わからなくなるほどの長い祈り……すると男の肩が不意にポンポンと叩かれ、深い祈りから意識が揺り戻される。



「トーマス神父、お祈り中、申し訳ありません。ただいま戻りました」


「……リーシアですか、お帰りなさい」



 祈りを止め、後ろを振り向いたトーマス神父の目に、リーシアの姿が映った。トーマス神父は目を閉じて首を横に振り、問題ないと立ち上がる。



「たしか、皆と広場で演る有志の演劇を観に行くといっていましたが、どうでしたか?」


「はい、なんといおうか……少し困ったことになりまして……」


「困ったこと?」


「実は……」



 リーシアが町で起こったトンデモ伝説や聖女扱いされた話をかいつまんで説明すると……。



「ハッハッハッハッ、そうか、ヒロさんとリーシアのラブロマンスか……あとで私も、ぜひとも見なくてはなりませんね」


「笑いごとじゃありませんよ! 私は恥ずかしくて、もうしばらく町を歩けません」



 恥ずかしそうに演劇の内容を語るリーシア、それを聞いたトーマス神父が珍しく声を上げて笑っていた。普段、神父としての立場から、感情を露わにして笑うなどないトーマス神父……リーシアもはじめて聞く笑い声だった。



「町の人を癒してる間に『勇者ヒロどこ?』、『なんでヒロと一緒じゃないの?』と、どれだけ聞かれたことか……誤魔化すのが大変だったんですよ……はあ〜」



 肩を落とし、大きなため息を吐くと…… 神父が笑うのを止め、目を細める。ヒロが旅人でオークヒーローを倒すと、早々にリーシアとパーティーを解消し、ひとり次の町へ向かってしまったと話してくれた。


 リーシア本人も『ヒロとはお別れしました』と、サバサバした感じで旅立ったことを話していた。しかし五年も一緒に教会で暮らす少女のため息を、五十を超える年齢からくる経験が、リーシア自身ですら無意識に隠そうとする感情を読み取る。



「まったく、いい迷惑ですよ。いきなり教会に転がり込んできて、私たちを引っ掻き回した挙句、『はい、さようなら』と何の説明もなしに次の町に旅立ってしまいました。パーティーを解散して正解だったかもしれませんね」



 そんな言葉を口にするリーシアだったが、トーマス神父は気づいていた。普段とは違う彼女の声色の微妙な変化に……決して短くない時を一緒に過ごした家族だからこそわかる悩みに。



「むしろこの別れは、女神の導きだったのかもしれませんね」


「リーシア……ついて来なさい」


「え?」



 リーシアの返事を待たず、祭壇を後にするトーマス神父の後ろ姿を見た少女が後を追う。すると神父は教会の出口には向かわずに、教会内の隅に設置された懺悔室へと足を運んだ。


 そしてふたつの扉の前に神父と少女が並び立つ。



「あの……トーマス神父?」


「中へ」



 リーシアの問いに一言だけ答えると、そのまま何も言わずにトーマス神父は、聖職者側の部屋へと入り扉が閉まる。リーシアは開け放たれた告白者側の入り口を見ると、中に入り躊躇ためらいがちに扉を閉めた。


 さほど広くない懺悔室の中は、一メートル四方を板張りの壁で仕切られており、部屋の中には何もない。唯一あるとすれば明かり取り用に備え付けられた魔導ランプと、聖職者側の部屋との間に設けられ壁に空けられた小さな窓くらいである。


 暗い部屋の中を、魔物の体内から取れる魔石を燃料に光る魔導ランプが薄暗く照らし出していた。本来は特殊な方法で合成圧縮した魔石の魔力を糧に明るい光を放つのだが、魔力が尽きかけているのか光が弱い。



「そろそろランプの魔石を替えないと……またお金が掛かりますね。貧乏暇なしです」



 本来は罪を告白するものがひざまづき、誰にも言えない罪を聖職者に懺悔し許しを乞う場所でリーシアはぼやいていた。


 部屋の中は三重構造の厚い木の壁で囲まれており、中の声を外に漏らさない。懺悔室の扉が閉まれば、もうそこは外の世界から完全に切り離されてしまう。


 すると『カシャ!』と音を鳴らしながら、窓を塞いでいた板がスライドし、閉ざされた窓が開くと、リーシアの目にトーマス神父の足が見えた。



「トーマス神父? なんで懺悔室に?」


「ここなら人に話を聞かれる心配がないからです」



 トーマス神父がリーシアにそう答えると、静かに話し出す。



「懺悔室は、本来は自らの罪を、私たち聖職者を通して神に告白し、許しを乞う場所なのですが……人に話せない秘密を打ち明ける場でもあるのです。扉を閉めて外界と離された部屋の中で話した内容は口外が出来ません。それを破れば、聖職者は破門とされ資格を剥奪されます。ここでの話は神に誓って、人の世界で話すことが許されないのです」


「え〜と、それは分かっていますが、何故わざわざここに?」


「ここなら私を通して神が話を聞いていますからね。聖職者が嘘を吐くことは許されません」


「それは知ってますが……」



 リーシアは、なぜここに連れてこられたのか皆目見当がつかない。



「さて、リーシア……君は何か隠していることがあるのではないかね?」


「え? 隠す……? な、なんのことですか?」



 リーシアが困ったような声で答えると、トーマス神父が声のトーンを下げる。



「リーシア……皆が心配している。町に戻ってからの君が、心ここに在らずで元気がないことにね」


「いやですね。そんなことありませんよ。ホラ、体も癒えて元気一杯です」



 小さな窓から、両腕を上げて力こぶを作りながら、『むん!』と元気をアピールする少女の姿が神父に見えた。

 だが、そんなリーシアのポーズと声を聞いて、神父は頭を左右に振り否定する。



「ヒロさんと何かありましたか?」


「ヒロとは別に……何もありません。突然、別の町に行くといってロクに話せずに別れましたが、とくにケンカしたとかでは」


「君は相変わらず嘘が下手ですね。気づいていないのかい?」


「え? な、何にですか?」



 なにもないという少女の声色の変化を、神父は見逃さなかった。何か不都合があったとき、思わず出てしまう少し甲高い声……長い間、一緒に過ごさなければわからない、微妙な変化にトーマス神父は苦笑しながら答える。



「町に戻ってからの君はずっと何かを思い、声を掛けても上の空でした。心ここに在らずで、元気がないのをみんな心配しています」


「……」


「リーシア……担当直人に聞きます。君はヒロ君と一緒に行きたかったんじゃないのかい?」



 その言葉にリーシアの心にドキリと思ってはいけない思いがぎった。



「ヒロと一緒に? まさか……あ、あんな変態について行きたいなんて……それに私がいないと孤児院が……」


「リーシア…… 他人の幸せを願い生きる君の優しさは、とても素晴らしいと私は思う。だがね、そこには、君自身の幸せが含まれていない。そして他人の幸せを願うのが、自分だけではないことを君は知るべきだ」


「私だけではない?」



 トーマス神父が穏やかな声で、ゆっくりとリーシアに語りかける。



「みんな気づいているよ。君がヒロ君のあとを、追いかけて行きたいことを……そして孤児院にいる自分たちを心配して、すぐに追いかけて行けないこともね」


「……だって、私が居なかったら、孤児院の運営はどうするのですか? 今ですらカツカツで……私がたまにクエストを受けて、その報酬を運営費に充てないと、まともな食事が出来なくなっちゃうんですよ? だから……」


「だから、ヒロ君を追いかけて、アルムの町を出て行けない?」


「はい。リゲルもまだ小さくて病弱です。私がそばて見ていないと……それにトーマス神父のお体も……だから私は『うぬぼれるな!』」



 リーシアの言葉を遮って、トーマス神父が怒りとも悲しみとも違う感情のこもった声を上げていた。



「私の体が心配? まだ成人もしていない子どもに、心配されるほど私は歳を取ってはいない。未熟な君に孤児院の運営を懸念されるほど、モウロクした記憶もない」



「……」



 神父の言葉に少女は押し黙ると、神父は穏やかな声で少女の心に語りかける。



「私はこの教会で一緒に住む、家族みんなの幸せを常に祈って生きています。それはリーシア……あなたも同じです。君が孤児院の子どもたちのために、色々なことをしてくれていることに皆は気付き感謝しているのですよ」




「色々なんて……私は見習いシスターとして最低限の仕事をしているだけです」


「一年前、南の森で発生したスタンピード……町は今回のオークヒーローほどではないですが、厳戒態勢が敷かれました。あの時のことは今でも覚えています」


「……」



 リーシアは俯いたまま微動だにしない。



「スタンピードの恐怖は凄まじいものでした。町から逃げ出す人が続出し、残された人々は家に閉じこもり、アルムの町は未曾有の危機に包まれました。そんな中、身寄りのない孤児院の子どもたちは、ここ以外に逃げる場所がありません。不安と死の恐怖に泣き出す子を見たあなたは、私たちの静止を振り切って、単身でスタンピードの中へ飛び込んで行きました」


「あれは……私のレベルを上げる格好の機会だったからで……誰かのために戦ったわけでは……」


「そんな冒険者が、ランクAの強敵ワイバーンに単身で戦いを挑み勝利する?」


「たまたまです。たまたま先に他の冒険者と戦って弱っていたところを、私が偶然に出くわして倒しただけで……」


「スタンピードが収まり、町に戻ってきたあなたを癒したのは私ですよ? 誤魔化そうとしてもムダです。あなたの体はワイバーンの返り血で染まっていましたが……その下は、いたる箇所に爪や牙による裂傷と、ブレスによる火傷が隠されていました」


「あれは……技の修練を積もうとして、失敗した結果です」


「私はこれでも回復魔法の使い手として、若い頃はパーティーを組んで無謀なクエストによく挑んでいました。だからこそ傷を見たとき、あなたがどんな戦い方をしたのか想像がつきました」


「あれは……」



 俯くリーシア……。


「あの時の姿を見た町の人は、あなたに『ブラッディーシスター』などという、不名誉なふたつ名をつけて勝手に恐れた。悪魔崇拝の邪教の輩がアルムの町に入り込んだ際も、敵対勢力の女神教の孤児院に住む子どもたちに危険が及ばぬよう、ひとりで立ち向かったね? 傷つきながらも邪教を壊滅させた結果……『ワンマンシスター』の名を付けられた」



「我ながら、酷いふたつ名を付けられちゃいました。あははは……」



 リーシアが苦笑いしながら、頬を指でく。



「リーシア、君は他にも数えきれないほど傷つきながら、自分以外の幸せのために戦ってきた。それは見習いシスターとしての最低限の仕事で片付けられるものではないのですよ。皆があなたに感謝しています。そして皆もまた、あなたの幸せを願っているのです」


「私の……幸せ……」



 リーシアがその言葉を口にするとキョトンとする。


「でも……自分のワガママのために、みんなを置いて町を出ていくなんて……」


「リーシア、自分のためではなく他人のために戦う……それが君の生き方ならば、それを貫けばいいでしょう。ただ、もし君が自分のために生きることを許してくれる人が、周りに現れたら、その時は素直になりなさい」



 神父の言葉を聞き終えたリーシアの目に、大粒の涙が溢れていた。



「私たちは、君から沢山の返しきれない幸せをもらいました。だから今度は、私たちが君の幸せのために力になりたいのです。孤児院のことなら任せておきなさい。皆、私を年寄り扱いするが、まだ私は五十過ぎで、まだまだ働き盛りなんだよ。腰痛が玉に傷だが、自分でヒールすれば問題ない。だから……あとのことは何も心配せず行っておいで、そしていつでも二人で帰ってくるといい……ここが君の帰るべき家なのだから」



 心の中から湧き上がる温かな気持ちが少女の体を満たし、悲しいわけじゃないのに頬を大粒の涙がポロポロと落ちていく。

 ずっと一人で生きてきたと思っていた……だが、そうじゃないと気が付いたとき、リーシアの心に温かな陽光が差し込んだ。


 トーマス神父の言葉を聞いて、少女は決意する。自分がこれからどうしたいのかを――



(私は……ヒロと一緒に行きたい)



――その思いが強く心の中に渦巻いていた。少女の表情を見てトーマス神父も満足げに微笑む。



「答えは出たようだね」


「はい、トーマス神父、私はヒロを追いかけます」


「よし。今日はもう遅い。ヒロさんを追いかけて町を出るなら明日の朝です。今日はみんなで集まってのお別れ会をしましょう」


「お、お別れ会?」


「孤児院を成人して旅立つ際に行うお別れ会ですよ。そうと決まればすぐに準備です。今日はごちそうで、みんな喜びますよ」


「はい♪」



 神父の言葉を聞いた少女は、袖口で目元を拭うと笑顔を作ると、そこにはいつもの優しい少女の顔があるのだった。



〈少女が自分の幸せのために歩み出した。破滅の時まで残り……〉

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