第198話 慈愛の鳥フェニックス?

 幻獣フェニックス ランク? 脅威度?????


 フェニックス……ガイヤにおいて神話の中でのみ語られる幻の獣。存在は知られているが、実際にその姿を見た者はいない。


 いかなる攻撃もフェニックスには意味をなさず、どんな傷を負い死んだとしても、炎の中から復活する。五百年周期の寿命が近づくと、その身を炎の中へ投げ入れ、再び生まれ変わることで永遠の時を生きると伝承にはある。


 神話によれば、その姿は炎の羽に包まれ、長く伸びた二本の尾っぽを持つ巨大な鷲の姿をしており、その美しい鳴き声は聞くもの全てを魅了したと伝えられている。


 再生と復活を司るフェニックスは、太陽の熱を食べ、清涼なる風を飲むことで生きるとされ、自分以外の生命を糧にすることは決してない。争いを好まない性格から、別名『慈愛の鳥』とも呼ばれる。

 

 その姿を見た者はいないため、空想上の存在と考えられていたが、近年の研究結果から、三百年前に初代勇者ユーゴが討伐した魔物がフェニックスだったのではと言われている。


 それは彼のパーティーメンバーが装備していた革鎧が、いかなる傷を負おうとも、数日で直る自動修復機能が備わっていたことに端を発していた。現在、革鎧の所有者は勇者の末裔である貴族が所有しているが、詳しく調べようと協力を願い出ても断られるため、本物かどうかの真偽は定かではない。


 もしそれが本物のフェニックスの物だったとすれば、恐らくその価値は計り知れないものになるだろう。人が求めて止まない不老不死の秘密が隠された幻獣フェニックス……だがそれを本気で探す者はいない。もし君が幻獣を探すというならば、おススメはしない。なぜならば幻獣とは存在しない幻なのだから……幻を追いかけて人生を無駄にしないことを切に願う。



 著 冒険者ギルド 魔物図鑑 未確認生物より抜粋




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「ピィィィィィィッ!」



 美しい鳥の鳴き声が草原の風に乗って、アルムの町に住む者たちにも聞こえていた。


 羽根が炎で彩られた、体長二メートルは在ろうかという巨大なワシが、二本の長い尾っぽを垂らし、空で羽ばたいていた。



「あ……れは……」


「な、なんですかアレは⁈」


(アレはまさか……フェニックス⁈ ばかな! なぜお前がここに!)



 首を絞められ窒息寸前のヒロは、朦朧もうろうとする意識の中でそれを見ていた。命のきらめきを燃やすように鮮やかな炎に身を包む火の鳥……優雅に羽ばたく翼から火の粉が飛び散り、草原に降り掛かるものの草花が燃え上がる様子はない。


 火の鳥がヒロとリーシアの二人に視線を向けると、全てを慈しむ愛に満ちた瞳を細め、輝きを失くしたヒロの瞳を見つめる。



「フェニッ……クス……」


「ピィィィィィィッ!」



 ヒロの問いに答えるが如くフェニックスがさえずると、体を覆う炎が膨れ上がり熱気を辺り一面に振りまく。二メートルを超える質量から発する炎の熱……だがその熱に触れたヒロは、熱さよりも温かな心地よさを感じ、息苦しさが少しだけ和らぐ。



「ヒ、ヒロォッ!」



「ピィィィィィィ! ピイィィィィィッ!」



 必死にヒロの首を絞め上げる憤怒の黒いオーラに手を掛け引き剥がそうとするリーシアを見た火の鳥が、再び美しいさえずりの鳴き声を上げると……大きく息を吸い込み胸を膨らませる。そして限界まで空気を吸い込むとー一フェニックスの口から爆炎の吐息が吐き出され、ヒロとリーシアに襲い掛かる。


「逃げ……ろ」


「ヒロ!」



 ヒロを庇うように抱きしめたリーシア……そして業火が二人を包み込むと轟音を立てながら爆散し燃え上がった!



(なんだこの炎は、うがぁぁぁあわああ⁈ 止めろ、止めろぉぉぉぉぉぉっ!)


「ヒロさん、リーシアさん! そんな……」



 事の成り行きを見ていたアリアが、這いつくばりながら、憤怒の苦しみの思念波の声を聞き、炎が直撃し燃え上がる二人の姿を見て叫んでいた。



「そんな……こんな……こんなこと……」



 炎に飲み込まれた二人を見て言葉を失くすアリア……だがその時、炎の中で蠢く二つの影が彼女の目に映った。



「ゴッホ! ゴホッ! ゴホッ……」


「ヒロ! ああ、大丈夫ですか⁈ 生きてますね?」



 ヒロが激しく咳こみ、肺に空気を送り込む。リーシアがヒロを前から抱き抱えながら無事を確かめる。ヒロの全身と首を絞め上げていた憤怒の凶々しい黒いオーラは炎に燃やし尽くされ、ヒロは自由を取り戻していた。



「ゴホッ……はあ、はあ……リーシア、なんとか生きています……ありがとう」


「ヒロ……」



 すると少女が力なく自分に寄りかかる男を優しく抱きしめて目を閉じると、互いの体温と鼓動の音を感じ合い安堵する。



「よかった。二人共、生きていてくれた」



 ヒロとリーシアが炎の中で抱き合い無事を確かめていると――



(な、なんだこれは、炎が体を拘束して⁈ 何をする気だ! 止めろ! 離せ、離せぇぇぇぇ!)



――憤怒の拒絶が思念に乗って三人に聞こえてきた。



「ヒロ、これは一体?」


「僕にも分かりません。ただ憤怒がフェニックスと呼んだあの鳥が助けてくれたとしか……」


「ピイィィィィィ!」



 暖かな炎に包まれる二人……激しい炎の中にあって火傷ひとつ負わず、むしろ戦いによって受けた傷の痛みが引いていく。



「この炎は……回復魔法ですか?」


「ピイィィィィィ♪」


「ありがとう鳥さん」


 そうだと言わんばかりの声を上げるフェニックスにリーシアが礼を述べていると……。



(止めろ、何をするつもりだ? な、なんだこの炎は⁈ 我の中に入って来る……止めろ、出て行け! 我の中に入ってくるなあぁぁぁぁぁっ!)


「ピイィィィィィ!」



 再び憤怒の叫び声が三人の頭の中に響き、フェニックスが一際に高い声で泣くと、ヒロとリーシアを包む炎が膨れ上がる。その瞬間、ヒロとリーシアの二人の脳裏にある光景が映しだされていた。




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




「母よ。なぜ人を野放しにするのです。奴らの行いはこのガイヤを滅亡へと導きます」


憤怒ラース。私のいとおしい子……あなたの気持ちはとても嬉しいわ。でも、私はあなたと同じように人も愛おしいの……あなたも人もみんな私の子、どんなことがあっても私は見捨てられないわ」


「ですが、このままでは母が……ならば、せめて奴らが魔導器と呼ぶ、あの忌々しいもの作る人だけでも!」


「ラース……いけません。確かに魔導器はマナの流れを……あの人が決めたことわりを崩し、私の体を蝕みます。でも、それでも私は人が愛おしい。だから……」


「だから指を咥えて母が死ぬの、ただ黙って見ていろと言われるのですか? あんな自らの行いが破滅へと追いやっていることにすら気付かない愚かな人のために! 奴らは母を苦しめる害虫です。そんな奴らを守る価値など……私はただ母が生きてさえくれれば……他には何も……」


「ラース……優しい子よ。あなたの思い私は嬉しくありますよ。ですが、忘れてはいけません。あなた達の存在理由を……それに私は信じています。きっと人は自らの行いの愚かさに気がつき、悔い改めてくれることを、う、あ……ああああああ!」


「は、母よ! 大丈夫ですか! な、なにが⁈ ま、まさか人がまたアレを⁈」


「だ、大丈夫です。まだ大丈夫です。ラース心配を掛けます」


「どこがですか! 奴らがアレを使うたびに確実に世界は滅亡へと向かい母を苦しめるのです。それでも人が愚かな行いに自らが気付くまで耐えろと?」


「ラース、お願いわかって……私ひとりが苦しみに耐えればいいだけの話よ」


「……母よ、私にはもう耐えられない! 愚かな私をお許しください。今より私は人を滅ぼします。たとえそれが父と母の思いに背くことになろうとも……」


「いけません! ラース! 止めて! 私のことはいいから!」


「さようなら、愛する母よ。必ずや私がこのガイヤから害虫を一人残らず滅ぼし、母を苦しみから解放してみせます」


「ラース待って! お願い待って!」


「私は母が生きるためなら、たとえ母に憎まれようと構わない。私が必ずや人を滅ぼし母を苦しみから解放してみせる! 私は……いや、我は憤怒! 怒りを司る災厄がひとり! 人よ、滅べ! 滅べ! 滅べ! 滅び去れ!」




◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆




(止めろ! 我の記憶を見るなぁぁぁぁっ!)


「ヒロ、なんですかこれは? 憤怒の記憶?」


「みたいです」



 フェニックスの鳴き声と共に、ヒロとリーシアの脳裏に走馬灯のように憤怒とその母親の会話する場面が流れていた。



「憤怒……アナタはお母さんのために人を滅ぼそうと?」


(愚かなる人如きが、我を憐れむな! 虫唾が走るわ!)



 リーシアの問いに憤怒は怒りを露わにする。



「憤怒、お願いです。話を聞いてください。もしかしたら、私たちが力になれるかもしれません。アナタのお母さんを助ける

力に……だから」


(黙れ! 黙れ! 黙れ! 誰が人の助けなど借りるものか! 愚かな人となど話すものか! 何度破れようがバックアップがある限り、我が怒りは不滅! 必ず復活を果たしこのガイヤからお前たち人を一掃してくれるわ! 人は滅ぶべき愚かなる存在! 故に滅べ! 滅べ! 滅び去れぇぇぇっ!)



 もはや怒りで周りが見えなくなっている憤怒……ヒロの放ったアブソルートソードの一撃に、存在のデータを光の粒子へと変換され、もはや死が確定した憤怒の心には誰の声も届かなかった。ヒロはもうこのまま死なせてやろうと諦める。だが――



「お願いです。憤怒……話を聞いてください!」



――少女諦めない。



(うるさい! 黙れ! 黙れ! 黙れ!)



 拒絶の言葉を吐き続ける憤怒……もう溢れ出る怒りに我を忘れ、その心にリーシアの言葉は届いていなかった。助けてほしいはずなのに、だがプライドがそれを許さない。母に仇なす下等な人になど、誰が助けを求めてやるものかと。



(人の助けなど要らぬ! 母は我ひとりで助けて見せる! だから滅べ! 滅べ! 人は滅び去るいい! ハッハッハッハッハッ!)



 自らを構成する存在のデータが光に変換され、消えゆく運命しか残されていない憤怒は自暴自棄になっていた。

 憤怒の心に触れたリーシアが、悲しみに顔を曇らせうつむいてしまう。



「リーシア……」


「……教……」



 ヒロが悲しみに暮れるリーシアを心配して声を掛けたとき、少女が何かをブツブツ復唱するように何かを呟いていた。

 リーシアの呟きに、ヒロが耳を傾けると――



「……教訓その一……」



――その言葉にヒロの顔は恐怖に染まり青ざめる! そしてリーシアは、強い眼差しで顔を上げると大きな声で母の教えを口にする。



「教訓その一、ダボッが何を言っても聞きやしねえ。話すだけ無駄だ。そんな奴はワンパン入れて黙らせろ!」


「え? ま、待ってください……リーシア、ストップ!」



 これから起こるであろうことを察したヒロが、止めようとするが遅かった。


 リーシアが強く握り込んだ右拳を振りかぶった瞬間――魂を込めた右ストレートがヒロの顔に炸裂していた!



「グハッ!」


(グハッ!)


「ピィィ⁈」



 腰の入った熱いパンチにヒロは殴り飛ばされ、顔が在らぬ方へ向いてしまう。ヨロヨロしながらも、ギリギリパンチに耐えたヒロの顔は恐怖に引きつり、リーシアに向かって声を上げる。



「リーシア、ちょっと待ってください!」


(クッ! 死に逝く我にムチを入れるつもりか! だが、消え行く我に何をしようが無駄だ。覚えておくがいい、我が復活した暁には必ずや人を滅ぼしてやるとな!)


「教訓その二、シャバ僧相手にする時は、甘やかすな。やるなら徹底的に心を折れ!」


 

 リーシアの瞳に獰猛な愛が灯ると、問答無用とばかりに、ヒロの右脇腹に必殺の肝臓打ちボディーブローが打ち込まれていた。



「リ……リーシア……」


「グォォォォ!」


「ピィ〜!」



 体がくの字に折れ曲げ、脇腹を抑えたヒロが地獄の痛みに耐えていた。



(お、おのれ、おのれ! おのれぇぇぇ! この痛み忘れぬぞ。必ずこの痛み以上の苦しみをお前ら人に与えてやる。覚えておけ! お前たちの行いが人にさらなる苦しみを招いたことをな)


「教訓その三、イキッてる奴ほど諦めが悪い。そんな奴はボコッて黙らせろ!」



 慈愛に満ちた獣の瞳で憤怒をロックオンしたリーシアが、身を屈め腰を落としながらヒロに向かって足を踏み出し、その胸に飛び込む。肩が触れ合うぐらいにまで密着した少女が、立ち上がる力を拳に乗せて垂直に突き上げるアッパーカットを打ち放つ



「ゲハッ!」


(ゲハッ!)


「ピィ……」



 カモシカーンのようにしなやかな筋肉から打ち出された拳がアゴを捉え、ヒロは後ろに殴り飛ばされ地面をのたうち回ると、ヨタヨタしながら何とか立ち上がるが、その顔は恐怖で引きつっていた。



「リーシア、もう……」


(む、無駄だ。何をしようが必ず我は人を……滅ぼしてやる。とくにお前らの家族も、お前らを知る者、全ては念入りに痛ぶって殺してやるわ!)


「教訓その四、いくら言っても反省せず、あまつさえ家族や友達ダチに手を出そうとするクズは、容赦なくシバけ!」



 愛(?)に満ちた瞳を宿したリーシアの上半身が、大きく8の字の軌道を描きだすと、フラフラのヒロに向かってダッシュする!

 


「ガハッ!」


(ガハッ!)


「ピィー!」



 リーシアの拳から放たれた左フックがヒロの右の頬にクリーンヒットした。頭の芯にまで響くダメージが入ったヒロの顔が左を向くと、間髪を入れずに今度は反対の頬に左フックが炸裂する。ヒロは視界をチカチカさせながら倒れ込もうとするが、再び右の頬に拳が打ち込まれた。

 

 上半身を∞の軌道で振り続け、体が戻ってくる反動を利用して放つ左右の連打。右の頬を殴られれば左の頬を、左の頬を殴られれば右の頬を……リーシアの思いを込めた終わらない拳の会話に、ヒロの顔はボコボコになっていく。



「……」


(い、いくら殴られようがグバッ! 我は必ず人をほろぼふぅぅぅぅっ……)


「リ、リーシアさん止めて! もうヒロさんが!」

 

 

 ヒールによる回復で体力を失くしたアリアがヨロヨロて立ち上がり、リーシアを後ろから羽交い絞めにして止めに入ると、ようやくヒロは地面に倒れ込み拳の会話から解放された。



「……」


(我は憤怒……災厄のひとり……人を……滅ぼす……)


「鳥さん。さっきの回復を、もう一度ヒロにお願いします」


(ピィ?)



 リーシアの突然な言葉にフェニックスが『え?』という顔になると……。



「ビッとしなさい! ビッと! さっさとコレを回復してくださいと言っているんです。さあ、早く!」


「ピィ!」



 リーシアが放つイケイケなオーラに、フェニックスは素直に従う。それは獣の本能が逆らうなと叫んでいたからだった。



「ピィィィィィィィ!」



 フェニックスが一声鳴くと、再び息を吸い込み回復の炎をヒロに吹き掛ける。するとリーシアにボコボコにされ腫れ上がった顔が見る間に回復し、殴られる前の状態へと戻る。



(馬鹿が! 慈悲のつもりか? 笑わせるな! こんなもので我が人を滅ぼすのを止めるとでも思ったか! 我は絶対にキサマら人を滅ぼし、母を苦しみから救って見せる!)



 尻餅をつきながら憤怒が拒絶の声を上げると――



「教訓その五、それでもまだ分からない奴は、あとで何してくるか分からねえ。だからられる前にれ!」



――リーシアが最後の教訓を口にすると、ヒロはその声に、悲しみの感情が混ざっているのを感じていた。

 そして再びリーシアが拳を固く握り、ヒロの前で拳を振り上げる。



(ハッハッハッハッ! 持って数分の命なぞ、いくらでも殴るがいい! 受けた痛みは必ずキサマらに返してやる! 滅べ、滅べ! 人は滅び尽くすがいい! アッハッハッハッハッハッ!)



 勝ち誇った笑いを上げる憤怒……だが輝きを失くしたヒロの瞳からは涙が流れ続けていた。そして憤怒が流す涙を見たリーシアは、その動きを一瞬に止めると固く握った拳を開き、振り上げた手を涙で濡らす頬へと伸ばす。



「やはり私では、母様のようにはできません。憤怒、ゴメンなさい」



(なぜキサマが謝る?)


「あなたを悲しみから、救ってあげることが出来ないからです」


(悲しみだと? ふざけるな! 我は憤怒、怒りを司る者、悲しみなどとは無縁の存在だ!)



「いいえ、違います……あなたは誰よりも優しいのです、言ったはずです。怒りとは悲しみに沈む心を守るためのフタなんですと……悲しみが大きければ大きいほど怒りもまた大きくなります。自分以外の存在のためにそんなに怒れるあなたはきっと誰より優しい」



(我が優しい……愚か者め!)



 憤怒の強い思念波がリーシアに叩きつけるられると、次の瞬間――ヒロの右腕にある憤怒の紋章が輝き、黒いオーラが噴き上がる。それと同時にヒロの体を瞬時に黒いオーラが包み込む。するとヒロの手が自らの意思に反してリーシアに伸び、その細い首筋を絞め上げていた。



「クッ! ヒ、ヒロ……」


「なっ⁈ この黒いオーラは⁈ しまった外部から体を操って! リーシア!」



 消えゆく存在である憤怒にヒロは油断していた。黒いオーラを使い果たしたという憤怒の言葉に騙されていたのだ。外部から黒いオーラによって体を操られようとは、夢にも思っていなかった。



「クッ……」



 リーシアは首を絞めるヒロの手首を掴み、首から外そうとするが体を持ち上げられ、足が地面から離された少女の力ではビクともしない。



(ハッハッハッハッ! 油断したな? 馬鹿め! 消えゆく我だが、まだこれくらいのことは出来るのだ。さあ女、愛する男の手で殺してやる。せいぜい見苦しく死んでこの男に絶望を与えてやってくれ!)


「憤怒!」



 ヒロが闘気をまとい、黒いオーラを振り払おうとするが、命を捨てた憤怒のオーラがそれを許さない。ヒロの意志とは関係なしにリーシアの首を掴む手に力が加わり、ジワジワと少しずつ絞め上げていく。



「だ、ダメだ。黒いオーラを振り払えない⁈」


(当然だ、我が存在のデータを変換したオーラだぞ? 簡単には振り解けん! どうせ、もう我は助からん。光に変わり消滅するくらいなら、キサマらを苦しめるために使ってくれるわ!)


「ヒ……ロ……」



 ヒロがリーシアの顔を見るとその瞳は涙で濡れていた。


(なんだ、女? 死ぬのが怖くなったか? それとも我に負けた悔し涙か? ああ、好きな男に殺される嬉し涙か? ハッハッハッハッ!)



「憤怒……ごめんなさい……私ではあなたの……悲しみの涙を拭って上げられなかった……ごめんなさい……」



 それは憤怒を助けてあげられなかったことへの、悲しみの涙だった。自らの死よりも他者を思う気持ちがリーシアの心の中で膨れ上がり、その思いが涙となって流れ出る。



(馬鹿な……この世に及んでまだ我を……そんなのは嘘だ、嘘だ! 嘘だぁぁぁぁぁぁっ!)



 憤怒の心にいい知れぬ感情が逆巻くのをヒロが感じると、リーシアの首を絞める力がさらに強まる。



「……」


(死ね! 死ね! 人は全て死滅しろぉぉ!)



 聖女の瞳から涙が溢れ落ちていく……そして首を絞める手に触れたとき、憤怒は涙から伝わる暖かさ感じた。それは憤怒の凍てついていた心を溶かしていく。



「……ごめんなさい」



 いつの間にか首を絞めるヒロの手を、リーシアの手が優しく包み込んでいた。まるで自らの子と手をつなぐ母親のように優しく憤怒の手を握る。



(お前は……本当に我を……母と同じように……)



 首を絞められたリーシアは朦朧とする意識の中で、憤怒の瞳を真っ直ぐに見ていた。それを見た憤怒は絞め上げる力が一瞬弱まると――



(フッハッハッハッハッハッハッ! 騙されんぞ! お前ら人の思いなどに我は騙されん! さあ、死ね! 滅べ! 人は滅び去れぇぇぇ!)


――リーシアの首がさらに絞め上げられ、意識が遠のいていく……だが、死が迫る少女のその手はそれでも優しく憤怒の手を握り続け、そして優しき慈愛に満ちた目が少しずつ閉じられていく。



「リーシア! クソ! 憤怒、なぜ認めない! お前もリーシアの思いが分かっているはずだ! なのに……この分からず屋が! こんなとこでゲームオーバーなんて……そんなこと! まだだ、考えろ! 彼女を……リーシアを……自分の好きな女ひとり守れなくて何が勇者だ! 考えろぉぉぉぉぉっ!」


「ハッハッハッハッハッ!」



 ヒロの猛りを聞きながら死にゆくリーシアを見た憤怒は、泣きながら笑っていた。そしてリーシアの瞳が完全に閉じられた時、少女は呟く。



「憤怒……助けてあげられなくて……ごめん……なさい」


「リーシア!」


「リーシアさん!」



 リーシアの意識はなくなり、頭と足がダランと垂れ下がるが……優しく握る手はそのままだった。

 


「ピィィィィィィィ!」



 それを見たフェニックスが声を上げ空中で大きく羽ばたくと、全身を覆う炎の羽が燃え盛り、体の大きさが一回り大きくなる。そして三メートルを超える巨鳥がヒロとリーシアに向かって急降下すると、二人は巨大な火の中に取り込まれた。



「うがぁぁぁぁぁ! な、なにをするつもりだフェニックス! 消えゆく我が存在のデータにアクセスして何を……があぁぁぃぁぁ!」



 憤怒が苦しみの声を上げると、掴んでいたリーシアの首の手を離し、ヒロの頭を両手で抱えて苦しみ出す。



「カッハッ! ゴホ! ゴホッ!」


「リーシアさん⁈」



 憤怒から解放されたリーシアが地面に落とされると、激しく咳き込み呼吸を繰り返し、アリアが少女に近づきその背をそっと撫で呼吸を助ける。



「ゴホッ! はあ、はあ……アリアさん、私は大丈夫です。それよりヒロと憤怒は?」



 荒い息を吐きながらもリーシアはヒロと憤怒を心配し顔を上げるとそこには、炎に包まれ苦しむ憤怒の姿があった。


(グッ、馬鹿な⁈ 我の残されしデータが炎に焼かれて…… だが無駄だ。このデータが焼かれ光に変わったとこで、直前までの出来事を含めて全てメインシステムに記憶されている。その女を殺せなかったのは残念だったが、まあいい。我が復活した時の楽しみにするとしよう。ふっはっはっはっ『この馬鹿あほが、大概にしぃ!』はっはっ⁈)


 苦しみに悶えながらも、止まらぬ憤怒の笑い声……だがその笑いを遮るかのように、年配の女性の声がヒロとリーシアの頭の中に聞こえてきた。



(なにわらとうねん? 誰が自分いてまう言うたん? 死んでやり直す? そないなこと、うちが許さへんで! こんなええ子の思いも分かれへんなんて…… ホンマしょうもないやっちゃで。おばちゃんがその腐った心をしばき直したるから覚悟しぃ)



【大阪弁を話すフェニックス……オカンが現れた】




〈フェニックス……それは慈愛に満ちた再生と復活の幻獣……異世界ガイヤがバグり始めた!)

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