第8話


 昼下がりの部屋には男と女。


 ふたりの間には多くの出会いと別れ。


 燃える炎は鎮まることを知らず。


 嗚呼、これから女の口より語られるのは。


 別れか、切なき恋心か。


 



 


 

 「誰でも使える魔法?」


 「うん、誰でも使えたら、便利でしょ?」


 「誰でもって、俺でもですか?」


 「もちろん。」


 …これは凄い。この国の人間が魔法を失って、えっと…何年かは忘れたけど、教会がただのモニュメントになっているのに、そんな国の人間が魔法が使えるようになるなんて…。


 そして何より。


 俺は今、純粋に目の前の可愛いドヤ顔の人妻をメロメロにしたい。その為には、魔法という多少卑怯な手を使ってでも構わないのではなかろうか。良いか悪いかで言ったら完璧に悪いのだけど、しかし俺も男の子。好きな子といちゃいちゃしたりちゅっちゅしたりしたいと思うのは当然ではないか?


 しかし、心は痛む…。



 「この国の人の為にそんな研究をしてるなんて、本当に素晴らしい。人の為になることをする、と口で言うのは簡単ですが、実行するというのは中々難しいものですから。で、早速ですが私めに魔法を使わせて頂けますか?」


 「まだ無理。だから研究中なの。」



 ガックシ…俺の人妻メロメロ計画が…。



 「じゃぁ、誰にでも魔法を使えるようにする研究ってことですか?」


 「うん。もっと詳しく言えば、信仰心に頼らなくても使えるようにする研究。」


 「信仰心に頼らない?博士みたいなエルフみたいに?」


 「うん…まぁ、そうなんだけど…。」


 なんだか奥歯に物が挟まったような言い方だ。それにしても考えてみると凄い表現だよね、奥歯に物が挟まった、って。そんな気持ち悪いこと思い付くやつの気が知れない。


 「何かあるんですか?…まぁ話せないようなら別に良いですけど。」


 「違うの。ただ、ちょっと恥ずかしい話でね…。」


 博士の恥ずかしい話。

 正直、エロい感じじゃなくても聞いてみたい。寝坊して寝間着のまま出ちゃったことがあるとか、風呂屋に行ったら自分一人だったから歌ってたら潜ってた人が出てきたとか、夕方肉まん買ったら店のおやじに今日3個目だな!おまけに1個やるよ!と言われて道で両手が肉まんになっちゃったことがあるとか。

 全部俺の恥ずかしい話だけど。


 「さっきタキ君が、人の為、って言ってたけど…違うの。偶々、この国の状況に合うものだっただけで…これは自分の為、私の為なの。」


 うつむき加減になってぽつぽつ話す博士は、可愛いんだけどなんだか…。


 「知っての通り、エルフは元々魔法が使える。これは、エルフが精霊に近い、というか大きな括りでは同じ妖精種で、人間に近いのがエルフ、神に近いのが精霊である、とここまでは魔法基礎の授業でやるんでしたっけね?」


 シンは寝てたけど。


 「人間の使う魔法は、宗教的に神の言葉を借りて様々な精霊の力を使う。一方でエルフは、宗教は無いけど精霊と、その中でも特に風の精霊と…解り易く言えば、仲が良いから力を貸してくれるの。ただ…。」


 口ごもるミック博士。ここからが本題なのか、奥歯に物を挟まされたのか。


 「私は、前にも言ったけど4分の1は人間…完全なエルフじゃないの。だから…なのかは解らないけど、魔法が上手くいかないことが結構あってね?その…もし完全なエルフだったら、とか…その…。」


 そういうことか。おじいちゃんがもしも人間じゃなかったら、もしもエルフだったら、そして…もしもおじいちゃんがおじいちゃんじゃなかったら。ミック博士はそういったことを考えたことがあるのだろう。でも…。



 …それはおじいちゃんが可哀想じゃないか。


 

 …とはいえ、おじいちゃんどころか親の顔も忘れた人間がそんなことを言っても、言葉の重みがゼロである。余計なことは言わぬ方が良い、とは今日この部屋に入ってすぐに思い知ったばかりだ。


 その代わりに、俺が死んで天国に行ったら、真っ先におじいちゃんのことを探そう。そして、言うんだ。あなたの孫がどれくらい可愛いのかってね。恋人でもなんでもない俺が言うのもなんだけど。



 「本当はそんなこと考えたくないのに、どうしても考えちゃうから…せめて私がちゃんと魔法を使えるようになれば、そんなこと考えなくて済むのかなって思ったの。だから、正直に言えば、私が魔法を使えるようになりたいだけなのよ。」



 おじいちゃんには申し訳ないけど、博士はそれなりに悔しい思いとかしてたんだろうな。それを抱えて何年も、ひょっとしたら何十年も。


 俺が、魔法の使えない俺が力になれることなんて殆ど無いだろう。それこそ精々が実験動物だ。でもそれがもし少しでも役に立って、博士の気が晴れて、ついでに国の人達が魔法を使えるようになったら、それで良いじゃないか。



 …万が一、変なことになったら責任を取って貰えるのかはわからんけど。



 「別に良いんじゃないですか?」


 「え?」


 「博士がどんな思いかとか、正直俺には解りません。でも、国民皆の為でも博士の為でも、俺には同じようなものだと思ってます。だって、博士の為になることが、結果として皆の為になる。皆の為になることが、結果として博士の為になる。ほら、同じですよ。」


 「……。」


 「それなら俺は、博士の為に何か出来ることがあれば、頑張りたいです。偶々、国の為になっちゃいますけど。」


 「……ふふっ、そっか…じゃあ改めて、よろしくね?」


 「ええ、博士の為なら実験動物でもなんでも!」


 「それは…ふふっ、もう…それじゃ早速だけど…。」


 笑顔。


 やっぱり笑ってるとほんと可愛いよな。

 








 「どうね?」


 「うむ。美味い。で、そっちはどうね?」


 カサゴのスープの感想と共にシンが尋ねてくる。


 「うむ、こっちも美味い。」


 「いやそっちじゃなくて。可愛い人妻の方よ。」


 「もう少し温めさせてくれ。」


 「充分熱いだろうが。」


 「スープじゃねぇよ。俺の恋の方だよ。」


 「ふうん、楽しくやってるってこと?」


 「そうだな。俺は今きっと人生で一番幸せだ。」


 「多分だけど、記憶無くなる以前の方が幸せだったぞ。」


 「そのこころは?」


 「いやお前、好きになった人が43歳人妻って、幸せになれる感じがしないだろ普通。そしてそんなこと、滅多にないだろ。」


 「でも実際今の俺は割と満たされてるんだよな。お前のコップと一緒だ。飲め飲め。」


 「…うむ、美味い。ところで、研究室って研究してるんだろ?何の?」


 「この国の人間が魔法使えるようにする研究。」


 「この国の?それはまた…難しそうだな。俺達人間にとっちゃ教会前提なのに、その教会が無い国でやろうってのは…なんか想像も出来ないな。」


 「でも博士はなんとなく見えてるみたいでさ。魔法紙の応用みたいなもの、っていう話だけど、今のところ説明聞いても俺にはよく解らん。だから研究室ではぼちぼちと勧められた本読んでみたり、雑用してみたりだな。」


 「…魔法紙、か。」


 「何か解るのか?」


 「まったくわからん。」


 「思わせぶりに呟くの、やめてくれる?」


 「いや、俺が解らんことを確認しただけだ。大体、俺は元々火は使えるし、魔法紙の世話になったことないから知らないよ。あれ、割と高いし。」


 「世話にならないの?」


 「別にいらないもん。」



 なんということだ。確かに、いらない。いらないと言ったら語弊があるが、無いなら無いでなんとかなってる。実際俺は火が欲しい時にはシンを使うし、シンが居なければ火付けを使う。怪我をしても薬塗って包帯だし、かすり傷なら舐めときゃ治るし。


 「もしかしてだけど、魔法って実はいらないんじゃないの?」


 「いらないよ別に。俺は火使えるから使ってるけど、無いなら無いで火付けもあるし。他の魔法は知らないし、困ってない。便利ではあるけど、冒険者や魔族が沢山居た時代ならいざ知らず、今現在は不可欠じゃない。」


 魔族は剣で切れず槍が刺さらないということで、火で追い払うしか無かったこともあって魔法が必要だった。冒険するには荷物の問題が出てきたりして、少しでも荷物が減らせる魔法は必要だったろうが、魔族と戦うことも、長期に森や洞窟に入ることなど殆ど無くなった今では別に、無いなら無いでなんとかなる。


 「でも、それならいらないかって言うとそうでもないだろ?」


 「うん、俺はやっぱり便利だし、誰でも使えるようになったら皆嬉しいと思うよ。だからミック博士は、上手くいくと良いな。」


 「俺は出来ることがあるのか知らんが、全力で手伝いたいと思ってる。下心も全力だが。」


 「恋は下心。飲め飲め。今宵はお前の新たなる人生への門出祝いじゃ。」


 「明日の懇親会は二日酔いで迎え酒だな。」


 「……大変だタキ。明日はクラスの懇親会だ。そろそろ寝るぞ。」


 「唐突だなお前。懇親会は昼だからまだ大丈夫だろ。そろそろおっぱいの頃合いかと思ってたぞ。」


 「おっぱいの頃合いなど無い。」


 「だが寝るにはまだ早い。お前、子供だってまだ起きておっぱいの話してるわ。」


 「子供にはまだおっぱいは早い。寝るったら寝るぞ。」


 「しょうがねぇぼうやだな。」


 急に眠くなる魔法でもかけられてるんか?

 いや、こないだから早く寝るだの言ってたけど、まさかこいつ…。



 「歯磨いたな?良いな?灯り落とすぞ?」


 「はいはい。眠れる訳ないけど。」


 「タキ、早く寝るコツはな、目を瞑って、ゆっくり息を吸ってゆっくり吐きながら数を数えるんだ。」


 「うむ、では…いーちぃ。」


 「数えるのは頭の中だぞ。」


 「うむ、では改めて…。」


 「……。」


 「……。」


 「……寝た?」


 「まじでなんなの?早く寝ろって言ったり、起こしてみたり。」


 「いや、俺も寝れなくて。」


 「お前…よし、つまみは面倒だけど酒ならある。もうちょっと飲もうぜ。」


 「そうだな。でもちょっとだぞ。」


 「ほら、ちょっちょっちょっちょっちょっちょっちょっと。飲め飲め。」


 「おっとっとっとっとっとっと、タキさんや、多くないかい?」


 「気のせいですぞ?時にシンさんや。おまいさん、俺に何か隠してることがあるね?」


 「ぎくぅ。」


 「それは、明日の懇親会とは関係が無いね?」


 「ぎくぎくぅ。」


 「そしてお前は俺に早起きをさせて…。」


 「なっ!?そこまでバレてるのか!?」


 「美しい二度寝の快感に溺れさせようとしている。」


 「惜しいが違う。」


 「惜しくないだろ。お前は俺を、女の子連れた犬に会わそうとしてるんだろ?何でかは何となく分かるけど。」


 「慧眼です。」


 「眼福です。」


 「福耳です。」


 「ミック博士は可愛いです。」


 「それは本人に言ったれ。好きです、も添えて。そして散るが良い。」


 「実はもう言った。」


 「まじでか。」


 「まじだ。」


 「お前のその行動力なんなの?素直に感心するわ。今日?」


 「どうせ駄目ならいつでも一緒だろと思ってな。初日に自己紹介しようってんで、好きな人はミック博士って言い放ってやったわ。」


 「滅茶苦茶な自己紹介だな。で、なんだって?」


 「気持ちに応えることは出来ないけど嬉しい、って言ってもらえたよ。」


 「ふうん。なんか良いな。上手く言えないけど。」


 「そんな訳で今の俺は、今のこの温くてほんわかしてる気持ちを楽しんでいるので、お前の期待しているような、他の女の子に目を向ける余裕が無い。」


 「でもな、タキ。こないだは俺も熱くなっちゃって人妻だろうが気にするななんて言っておいて悪いが正直なところ、お前がわざわざそんな、難しいところに挑戦しなくても、もっと良い女の子、とは言わんが…まぁ、そうだな、違う女の子に目を向けたって良いと思うんだよ。そしたら今のほんわかとは違う、ドキドキしたりほっこりしたりムラムラしたりの色んな楽しみが出来る筈だよ。」


 「それは…。」


 「いや、ミック博士が駄目だって言う訳じゃないんだ。ないんだが、女の子は他にもいるぜ、って話さ。遠くのおっぱい眺めるより近くのおっぱい触ろうぜ。」


 「不思議な事に、おっぱいの例えが一番しっくり来たわ。確かにこのままだと一生、更には死んでもおっぱいに触らない事になる。それは流石に死んでも死に切れない。」


 「そしてタキはおっぱいおっぱい呟きながら徘徊するおっぱい妖怪になるんだ。俺はそれだけは避けたい。友達がそんな変態的な妖怪だなんて知れた日には恥ずかしくて外歩けないだろ。」


 「まったく不本意だが、友人の為には仕方ない。私タキはおっぱいに触ります。」


 「まぁその上で、やっぱり博士だな、ってなるなら、それはそれでもう仕方ないがな。」


 「それはそれ、これはこれよ。大体が、博士のを触ることは無かろうが、万が一触るような事があったとて…。」


 「とて?」


 「まぁはっきりとは言わんが。」


 「なんとなく言わんとしてることはわかるが。」


 「博士は頭のてっぺんから足の指先まで、何から何まで可愛い。つまり、サイズも可愛い。」


 「つまり、おっぱいではない、と?」


 「そこまでは言わんが…大きくはないな。」


 「これで大義名分が出来たというものだ。世の中には幾千のおっぱいがあるというのに、たった一対、しかも触れることの出来ない小さな一対のみに心を注いで、他所の立派な一対を見ぬというのはおっぱいに失礼というものだろう。」


 「そうだな。とりあえず、リッパということで、リズィちゃんのおっぱいから始めようと思う。」


 「いけませぬ。」


 「もしリズィちゃんが良いって言ったら?」


 「なりませぬ。」


 「大体がお前、お前はどうなのよ?リズィちゃんのだけで良い訳?」


 「まぁ良いかな。だって俺の場合はこの先別れない限りは間違いなく触れるし。お前は触れないから、その部分だけは他所をお借りしても良いという話である。」


 「何故そこでリズィちゃんのをお借りするのは駄目なのか?」


 「俺だけがリズのおっぱいの柔らかさを知っているという、世界に対する優越感の為だよ。」


 「驚くほど恰好良い。俺の場合は、博士のおっぱいは旦那だけが知っているという、劣等感しかない。」


 「そんな哀れなお前の手だけは、おっぱいを知っておくべきだ。何も犬連れてる子じゃなくても良い。猫連れてても豚連れてても良い。」


 「動物居なきゃいかんのか。」


 「そうではないが今回お前は、連れてる動物に話し掛ける、という卑劣極まりない手段で女の子と仲良くなることに成功した。そのことを踏まえて、次回以降の参考にした。」


 「そんなこと言って、これで明日デビイが通りがからなかったら恥ずかし過ぎるな。お前、明日晩飯奢れよ?」


 「良かろう。だが、通りがかったらお前が奢れよ。」


 「なんでやねん。」


 「キューピッドにお布施を払いたまへ。」


 「まぁ良いだろう。上手くいくとは限らないし。向こうさんだって、別にその気は無いかもしれんし。」


 「実際前の状況を見てる訳じゃないから解らんけど話聞いた感じでは、無いってことは無いと思うんだけどなぁ。まぁ、何はともあれお前が博士以外に目を向ける可能性があるなら、良いじゃないか。」




 …確かにシンの言う通り、別の女の子を好きになった方が良いのかも知れない。けど、今現在博士のことが大好きで、これが報われることはまず無いが、でもまだしばらくはこのままでいたい。博士を好きでありたい。


 でももし、それで博士が少しでも俺に対して申し訳ないような気持ちになるなら、他の女の子を好きになる努力はすべきだろう。



 好きになる努力。



 そんなことを考えることがあるなんて。





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