SATSU-BATSU YURI

黒岡衛星

【窓】其処カラ何ガ見エルカ

 あの映画でカエルが降ってきたみたいな。

 どすどすどす、にぶい音が窓の外で続く。人が降っている。たくさん。

 老若男女おかまいなし。死は万物に平等に訪れるんだよ、というのが彼女の言い分だ。

 死神ビル。かっこいいんだかださいんだか、たぶんださいんだけど少年漫画の設定如何ではおしゃれになるのかもしれない。知らんけど。

 まるで猫のように、死期を悟った人間はこのビル、死神ビルの屋上に吸われるかのごとく集って来る。

 彼女はそれをまとめて蹴落とす。スケートのオリンピック選手みたいな太い脚は彼女のチャームポイントで、その蹴りはちょっとした凶器だ。

「ビルがゲロ吐いてるようなもんよ」

「やめてよ」

「血の雨よっかましでしょ」

「いやいやいや」

 事務仕事の休憩中、降りてきた死神に声をかけられる。

 道明寺和三盆。ふざけた名前だ。

 この事務所に就職してからというもの、歳が近いからか、変に懐かれてしまった。

「道明寺さんはなんで死神なんかやってるんですか」

「閂ちゃんはなんで事務なんてやってるの」

 閂、というのはわたしの本名。新代田閂。ふざけた名前だ。

「ね、詮ないっていうのはこういうこと。もっと楽しい話をしよう」

「楽しいこと、ねえ」

 この陰気なビルに楽しいも何もないものだと思うけど。

「ほら、好きな社食のメニューとかさ」

「学生じゃないんですから」

「学生は社食利用しないでしょ」

「いえ、そういうことではなく」

 道明寺さんはふへへへ、と、およそ社会人がしてはいけないような笑顔を浮かべている。ふざけた人だ。

「ご飯どうするの」

「社食ですよ」

「じゃ、一緒に」

 変に懐かれてしまった。


 食堂ではいつもヨーヨー・マのチェロが流れている。ビルの陰気さのせいで、音楽までもが暗く、重たく感じてしまう。

「閂ちゃんは、いつも何食べてるの」

「日替わりですけど」

「じゃ、今日はそれ禁止ね」

「いや、どういうことですか」

 このへらへらした女は、という気持ちにならなくもない。

「だって、たまには違うもの頼むのも楽しいでしょ」

「いつも違うものが来ますけど」

「閂ちゃんもけっこう屁理屈好きだよね」

 せっかくだからさ、と置いてから言葉を続ける。

「たまには違うものを頼みなよ。日替わりだから別にいい、ってんでなく、自分で何かを選ぶのが大事なのさ。ほら、欅坂も歌ってたっしょ」

「いや、それは知らないですけど」

 原則テレビは観ないし、特別に音楽が好きということもない。

 え、まじ、そっかでも少し前だからな、と少し大げさに考えるような仕草をする。

「自分が大きな運命とか、天命、なんかそういうのに動かされてる、って酔うのはけっこうだけどさ、たまには自分を自分で動かさなきゃだめなんだって」

「なんで日替わり定食を頼んでるだけでそこまで言われなきゃならないんですか」

「それはね、好き嫌いが多すぎてわたしは定食が頼めないから」

「関係ないじゃないですか」

「同じの頼もうかと思ったんだって」

「だから自分で何を選ぶか、って話だったでしょうが」

「そうだっけ」

 ため息が出る。

「何味のラーメンにする」

「しない」

「何辛で、トッピングとかいる」

「頼まない」

「ノリ悪いなあ」

 まじめな話ね、といきなり声のトーンが変わる。

「ジョジョわかるかな、あれの短編でさ、いや厳密にはジョジョじゃないんだけどとにかくさ、幽霊になった男の話があって」

「いや、知らないですけど」

「いいから聞いて。その幽霊にはさ、ルールがあるんだよ。家人に招かれないとその家に入ることができない、とかさ」

「吸血鬼みたいな」

「吸血鬼は別にいるんだけど、まあとにかくそういうやつ。で、わたしも」

 この社食でわたしは、人が頼んだのと同じものしか食べられないのです。

「うそでしょ」

「ほんとだって。試してみようか」

「いい」

 おとなしく日替わりA定食の食券を買う。今日はアジフライだ。

「あっ」

 漫画だったらぎざぎざした吹き出しが出るような表情。

「どうするんでしたっけ」

「同じのを食べます」

 ううう、と大げさに嘆いてから同じボタンを押す。

「魚きらいなんだけどな」

「違うの頼めばいいじゃないですか」

 いや、だからね、と何か言いたげな彼女を残してカウンターに食券を提出し、近くの椅子に腰掛ける。

「ま、でもそれも閂ちゃんの選択だからね」

「だからなんでそんな規模が大きいんですか」

 当たり前のように向かいの席に座る。

 ほどなくして定食が二食分カウンターに置かれ、二人で取りに行き、食べ始める。

 よく考えたら、こうして誰かと食べるのは久しぶりだ。この会社に入ってからは初めてかもしれない。

「どうしたの」

「いえ」

 そんな、日陰者のわたしをすべて見透かすような道明寺和三盆の目。

「閂ちゃんはさ、どういう子だったの」

「なんですか唐突に」

「いや、真面目だな、って思って。やっぱいい子だったのかなとか」

 付け合わせのサラダを食べながら喋る喋る。マナーが悪い。

「別に、普通の子どもでしたよ」

「そういう風に言えるのはちゃんと育ってきた子だけだよ」

「そういうものですか」

 そんなに時間がかかるものでもない。さっさと食べ終わり、食器をカウンターに戻す。

「まだ時間あるけど」

 どうする、といった風に訊いてくる。早めに仕事に戻ろうかと思ったけど、ふと。

「屋上で休憩しようかな」

 そう言うと目の前の道明寺さんは少し意外そうな顔をする。

「道明寺さんの職場、見学してみるのも悪くないかなって」


 ただの屋上だよ、と言いながら案内してくれる。そうか、関係者以外立ち入り禁止だっけ。いちおう。

「なんもないよ」

 彼女がそう言って扉を開くと、一面の青空が出迎えてくれた。あまりにもいい天気なので、逆になんだか自分が悪いことをしているかのような気持ちになる。別にさぼっているとか、そういうこともないのに。

「天国に一番近いところへようこそ」

「地獄じゃないんですか」

「どうだろう、行ってみる」

 ふへへ、と相変わらず変な笑い方をするその目は、わりと本気のような気がする。

「道明寺さんは、なんで死神やってるんですか」

 あらためて訊く。

「仕事だからだね」

「何でその仕事を選んだのか、っていう話なんですけど」

「じゃあ、閂ちゃんはどうなのさ。なんでこんな死神ビルで働いてるわけ」

 言葉に詰まる。

「赤みのかかった月が昇るとき、世界は終わるんだって」

「なんですかいきなり」

「歌だよ。好きなんだ」

 口ずさんでみせる彼女の姿はなんだか、わざとらしいくらい絵になるなと思った。

「空を見るのが好きなんだ」

 空。

「道明寺さんは、空ってどのくらいの高さからだと思います」

「なんで」

「いえ、ふと。職場の窓から見えるのは、なんなんだろうって思って」

「ああね」

 エレベーターを使わないとしんどいくらいの階にあるとはいえ、『空中』と表現するような高さでもない我が職場。

「閂ちゃんが窓から見てるのは、ゲロだね」

「だからそれやめましょうよ」

「人だね」

「もう遅いですよ」

 結構な質量が上から下へと落ちていくのは確かになにか、そういったものを想起させるようではある、けども。

「たとえば、閂ちゃんが空を飛べるとして」

「なんですかいきなり」

「たとえばだよ。仕事場の窓を開けて飛び込んだら、それは空かな」

「自殺みたいな」

「飛ぶとして」

 少しだけ考える。少し前に観た映画でそんなシーンもあった気がする。

「どうせならやっぱり、こういう広いところから飛びたいですよね」

「そういうことなんじゃないかな」

「どういうことですか」

 わからない。

「空、っていうのは上にあって、自分と同じ高さではないっていうか」

「なんかの哲学ですか」

「そもそも、閂ちゃんの質問が哲学的なんだよ」

「そうかもしれませんね」

 空を見上げる。真っ白な月が浮いている。

「それじゃあ、空を飛ぶのってどういう感じなんでしょうね」

「やっぱ飛んでみる」

「本気で言ってます」

「まあね」

 ここに来るのはもう寿命の尽きた人だけだからね。

 そう呟いた道明寺さんはあくまでへらへらとしていて、ううん、なんだか。

「わたし、死ぬんですか」

「人間いつかは死ぬもんだって」

「屁理屈でなく」

 どうだろうね、とはぐらかす。

 そろそろ昼休みが終わる。

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