影は潮に紛れて風に伝う(32)

 キッドを包み込んだまま、一向に晴れることのない煙を見て、戦車は首を傾げていた。キッドが少しでも動けば、その煙はすぐに晴れるはずだ。

 それがないということはキッドが動いていないことを意味するが、敵を前にして動きを止める意味もない。


 もしかして、今の一撃で死んだのかと考えているのかもしれない。そう思いながら、キッドは戦車の背後に伸びる影から飛び出した。手に持っていた刃物状の影を振り被り、無防備に晒された戦車の背中を斬りつけようとする。


 その影がキッドの思惑通り、戦車の背中に触れる直前、戦車の豪腕が動き出し、勢い良く背後に振られた。刃物状の影は跡形もなく吹き飛び、キッドの身体は地面に点々と黒い染みを生み出しながら、あちらこちらに飛び散る。


 そこから離れるように、別の影から姿を現しながら、キッドは今の一撃の速度や威力に冷や汗を掻いていた。

 人型の姿を発見し、そこまで移動するのに仙術を使っていたから良かったものの、もしも使っていなかったら、今頃キッドの身体は飛び散った影の代わりに肉片をばら撒いていたかもしれない。


 戦車は振るった拳を確認し、手応えのなさに首を傾げていた。別の影から現れたキッドを見やり、地響きのように低い声を漏らす。


「厄介な力だ」

「それはこっちの台詞だが?」


 苦笑するキッドを睨みながら、戦車は再び手の中に火の玉を生み出していた。その威力は食らっていないが、さっきの様子を見るに食らったとしても死ぬことはない。ある程度の火傷を負うことは確実だが、それで動けないほどの威力にも見えない。

 それに火の玉は戦車の投擲によって射出される。必然的に直線となる軌道は読みやすく、躱すことも難しくなかった。


 しかし、問題はその火の玉が攻撃用ではない点だった。それはここまでの振るい方から、キッドも流石に察している。


 あの火の玉の狙いはキッドを動かすことだ。あの火の玉を食らっても、即座に動けなくなることはないが、食らった瞬間に動き出せるほどダメージが低いわけではない。

 数発食らっても致命的にならないだけで、動きを止めること自体は十分と考えたら、戦車の膂力の前でそれを食らう選択肢はキッドにない。


 つまり、あの火の玉が飛び出した時点で、キッドには火の玉を避ける以外の選択肢を与えられていないのだ。


 その移動を利用し、キッドは攻撃に転じてみせたが、移動と攻撃が重なっていたら、タイミングを教えるようなもので対処する難易度は落ちる。

 実際、キッドの奇襲は通る希望もなく、戦車の拳に粉砕された。


「マウント取られてるのは気に食わないな」


 キッドが腹立たしさを噛み締めるように呟き、脹脛の中ほどまで足を影の中に沈める。


 その瞬間、戦車が火の玉の乗った手を大きく振るい、キッドのいる場所に火の玉が飛んできた。キッドはそのまま足だけでなく、身体全体を影の中に沈み込ませ、表から影の中に場所を移す。


 そこから、さっきは移動し、戦車の背後から姿を現したのだが、その攻撃を繰り返しても、戦車に一撃を与えられるイメージは湧かない。自身の身体が粉砕されて終わりだろう。


 それなら、攻撃手段を変えるまでだと考え、キッドは影の中から戦車を見上げていた。戦車の足元に伸びる影の中だ。


 その影を水のように溶かし、キッドは戦車の身体を飲み込むように跳ね上げた。影の波が背後で立ち上がり、戦車の鋭い眼光が影を捉える。

 もちろん、今度はそこにキッドはいない。一方的に攻撃を与える場面であり、戦車に取れる攻撃手段はないとキッドは考えていた。


 しかし、そこで戦車はキッドの想定外の行動を取った。大きく腕を振るうことで影の波を切り裂いた直後、その波の発生源である影に手を突っ込んだ。


「はあ?」


 流石のキッドも無茶苦茶な行動に驚き、思わず声を出した瞬間、その声が聞こえたように戦車の手がキッドに伸び、キッドの身体を掴んでくる。


「おいおい、どうなってるんだ……!?」


 そのままキッドの身体は引き上げられ、その先で待ち構えていた戦車のもう片方の手が、キッドの顔面に向かって飛んできた。

 それがキッドの身体にぶつかり、キッドの身体は再び影となって四散する。


 再び近くの影から身体を作り出すように現れながら、キッドはさっきの戦車の行動に苦笑すら湧いてこなかった。


(これはに殺されそうだ……)


 キッドを追うように首を回し、キッドを視界に捉えた直後、戦車は大きく息を吐いている。


「小細工は仕舞いか?」


 その一言にキッドは小さく笑い、自身の身体の内側に意識を向けた。


「まあ、待てよ。もう少し遊ぼうか」


 全力を出すためには。自身の仙気の様子にそれを実感しながら、キッドは近くの影に手を伸ばした。


「小細工はここからだ」


 次の瞬間、戦車の足元から影が鋭利な棘のように飛び出した。

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