影は潮に紛れて風に伝う(23)

 いつものおどおどとした様子を引き摺りながらも、無邪気さの感じさせる足取りで、ウィームは幸善の前を駆けていた。幸善より先に森の中に飛び込み、幸善はその光景に頭を悩ませる。


 本来の幸善の予定では、今から立入禁止エリアに踏み込んで、そこの探索を進めるはずだった。

 それがウィームの同行によって、完全に頓挫した。


 生死の境で流された経験から慎重に動く必要があると思い、試すことも忘れていた正攻法を実践しようと思ったが、別に焦りや不安が完全に解消されているわけではない。


 ここから一刻も早く帰りたいという気持ちは、この場所に対する不満とは関係なく、幸善の胸の中に継続してあるものだ。


 立入禁止エリアの探索を進めて、キッドを見つけ出すことが一番だと思っている以上、ウィームの目を掻い潜って、何とか探索を進めなければいけない。


 しかし、下手にウィームを撒くことはできそうにない。それ自体の難易度よりも、ウィームの行動力が問題だ。ウィームなら幸善についてくる可能性が十分に考えられる。


 もしも、ウィームがついてきたら、幸善はウィームを自分の問題に巻き込むことになる。それだけは何としても避けたかった。


「なにを…みるの……?」


 先を歩くウィームが振り返り、幸善の顔を見上げてきた。ここからの動きに頭を悩ませていた幸善からすれば、その動きは不意を衝くもので、思わず見開いた目でウィームの顔を見つめてしまう。

 その反応をウィームは不思議がっていた。幸善の顔を見上げたまま、小首を傾げている。


「どうしたの……?」

「い、いや、何でもないよ」


 君をいかに撒くか、この場所から遠ざけるか考えていた、とは流石に口が裂けても言えない。


 幸善は曖昧に誤魔化すことしかできず、その態度を不審に思われるかと冷や冷やしていたが、ウィームは少し不思議そうな顔をしながらも、納得したように小さく頷いてくれた。


「そう…なの……?」

「う、うん。それで何を見るかだよね?」


 これ以上、ウィームが追及の道に進まないように、幸善はさっきのウィームの言葉を思い返しながら言った。ウィームはこくりと頷いて、森の中を見回し始める。


「とくに…なにもないと……おもうけど……」

「ああ、うん。そうだね。どちらかというと、それを確認したいかな」

「なにもないことを……?」

「何もない中に何かあるのはおかしいでしょう?それを見つけたいんだよ」

「どうして……?」

「話したい人がいるから」


 咄嗟の言葉半分、考えていた言い訳半分で説明をすると、ウィームはちゃんと何かを思い出してくれたらしく、納得した様子で頷いてくれた。


 これで取り敢えず、幸善が本当にしようと思っていたことがウィームに露呈する可能性は少なくなった。ウィームに森の中禁止令など面倒なことを言われる可能性は一気に減ったと言える。


 次の問題はウィームの目をいかに掻い潜って、立入禁止エリアの中に踏み込むのかだが、それは全く思いついていなかった。欠片ほども手段が浮かんでこない。


 これは難しいと考える幸善の前でウィームは視線を下げながら、どんどんと森の奥に進んでしまう。


「なにかあれば…いうの……?」

「ああ、うん。それでお願い」


 そう口にしながら、この状況をどうやって打破すればいいのだろうかと幸善は悩んでいた。


 立入禁止エリアが地図だけで伝わるか分からないからと言って、わざわざついてきたウィームがそこに踏み込むことを許してくれるとは思えない。

 第一、許すことで何かがウィームにあるのなら、ウィームが許す状況を作ってもいけない。


 これはどちらにしても流れとして難しい。そう頭を悩ませる前でも、ウィームはどんどんと森の中に進んでいくので、幸善は考えながらも足を止めることができなかった。


 その後ろ姿を追いながら、ふと幸善は一つの疑問が浮かんできた。


「ねえ、アジ」


 幸善が呼び止めると、ウィームは立ち止まり、不思議そうにこちらを振り返る。


「立入禁止エリアって、どうやって見分けているの?」


 その問いにウィームは少し悩むように目線を上げ、それから、小さくかぶりを振った。


「みる…とちょっとちがう……」

「どういうこと?」


 ウィームの言い方に首を傾げた幸善の前で、ウィームが近くの木を指差した。


「そのき…のぼるとみえるやま……あれにちかづいたら、だめ……そういわれてる…から……むらのみんなは、やまのちかくにいかない……」

「それって明確な線引きがあるわけじゃないってこと?」


 線引きという表現が伝わらなかったのか、ウィームは少し眉を顰めながらも、小さくこくりと頷いていた。


 つまり、ウィーム達は立入禁止エリアの目印を作っているわけではなく、大体の目測でそうであると判断しているわけだ。それを地図で伝えようとしても不可能であるので、ウィームがついてきたことも納得できる。


 ただそうなってくると、その曖昧さは気になってきた。境界線を曖昧にしても良いと思うということは、重要なのはその境界線付近にはないということになる。


 幸善は木々の隙間から空を見上げて、その枝葉に隠れた山の存在を思い浮かべる。


 キッドがいるとしたら、そこにいるのか。そこまでは無事に分かったのだが、目の前の問題は一切解決していなかった。

 ウィームが幸善の服の裾を引っ張り、森の奥を指差した。


「いこう……」


 そう言って、ウィームが再び先を歩き出し、幸善もその後ろを追いかける。


 結局のところ、ここをどうにかしないと何も始まらない。その思いとは裏腹に考えは頭に思い浮かんでくれなかった。

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