影は潮に紛れて風に伝う(3)

「どうして、お前がここに?」


 戸惑いと動揺を表情に出し、湧いてきた疑問を口にしてから、幸善はその言葉がキッドに通じないことを思い出した。案の定、キッドは軽く笑みを浮かべたまま、分からないと言うように首を傾げている。


「えーと……お前は!どうして!ここにいるんだ!?」


 キッドが目の前に現れた衝撃から、幸善の頭にあったはずの知性は吹き飛び、幸善は全力で日本語を叫びながら、ジェスチャーで意思を伝えるという無茶な手段を選んでいた。

 もちろん、キッドに伝わるはずもなく、キッドは軽く笑みを浮かべたまま、分からないと言うように首を傾げている。


「伝われよ!」

「ああ、怒ってるな」


 必死の感情だけが正確に伝わり、二人の目的や意思が相手に伝わらないまま、幸善がどうしようかとようやく知性を取り戻し始めたところで、遅れて部屋の中に入ってきた少女が口を開いた。


「あ、あの…こんにちは」

「こ、こんにちは……?」


 少しアクセントの位置がおかしく片言だったが、それは間違いなく、幸善の知っている日本語だった。その言葉に幸善が首を傾げていたら、少女はじわじわと扉の向こうに下がり始めてしまう。


「その……すこしだけ……にほんご…はなせる…よ……?」


 自信のなさの現れなのか、少女は扉の向こうに身体を半分隠しながら、ほとんど消え入りそうな声を漏らすばかりだったが、それはちゃんと幸善にも伝わる言葉だった。ちゃんと理解できる言葉が聞けた安堵感や喜びから、幸善は思わず笑みを浮かべる。


「本当?」


 怯えも見える少女の表情に、必要以上に驚かせるわけにはいかないと、できるだけ落ちついた言い方を心がけて、幸善は疑問を投げかけた。少女はその言葉に言葉ではなく、小さな首肯で答えてくれる。


「なら、その人に聞いてもいい?ここはどこなのか。どうして、ここにいるのか。その二つを」


 こくりと少女が頷き、少女はキッドに恐る恐る話しかけていた。キッドは少女の言葉に耳を傾け、一通り聞き終えてから、幸善にニヤリとした表情を向けてくる。

 それから、何かを口にしたので、幸善が少女に目を向けると、少女は部屋の外に半分身を隠したまま口を開いた。


「いがいと…おちついている……って……」


 その一言を聞いた幸善は軽くキッドを睨みつけた。キッドの目的は分からないが、幸善は少し前まで眠っていた。仮に殺すとしたら、その状態の内に殺しているはずなので、この状況からキッドに襲われる可能性は低い。

 それくらいのことは知性が流れた頭でも考えられる。それよりも今は質問に答えるべきだろうという思いから、幸善はキッドを睨みつけたまま少女に声をかける。


「質問に答えるように言ってくれないか?」


 少女が幸善の視界の端で頷き、キッドに再び声をかける。それを聞いたキッドがゆっくり首を傾げながら、幸善をじっと見つめてから、再び少女に目を向けた。


「からだが…げんきになったら……はなす…って……」

「それなら、別に今でも……」


 体調の良さをアピールするために、幸善はキッドに飛びかかろうとしたが、それを先読みしたのか、幸善の動きが緩慢だったのか、キッドは幸善の額を軽く小突き、幸善の身体はベッドに倒れ込んだ。


「ほら、万全じゃないな。万全であるはずがないんだ。あの状況から……」


 そこまで呟いてから、キッドは少女に目を向けた。それから少女の耳元に口を近づけて、何かを言ってから、そのまま部屋から立ち去ろうとする。


「お、おい!待てよ!」


 幸善はキッドを止めるために起き上がろうとしたが、その身体は少女に押さえつけられてしまった。


「ちょっ!君?」


 幸善が困惑した顔で少女を見つめると、幸善の視線に気づいた少女が戸惑った顔をしてから、恐る恐る消え入りそうな声を出す。


「その……うごくと…しんじゃう…って……」

「動くと死ぬって、流石にそんなわけが……」


 そう言っている間に、気づけばそこに立っていたはずのキッドの姿が消え、その場所には幸善と少女だけが取り残されていた。

 うまく少女を言いくるめて、自分が逃げるために利用したな、と幸善はキッドに冷たい感情を向けながら、利用された少女に同情した目を向ける。


 逃げられたからには追うしかないが、ここがどこなのかも分からずに動くことは難しい。まずはここがどこであるかを聞き出し、それからキッドの居場所を探そう。

 そう思った幸善が少女に問いかけようとしたところで、幸善は少女の名前も知らないことを思い出した。


「あ…えーと……俺は頼堂幸善。君の名前は?」


 そう聞かれた少女が幸善からゆっくりと離れ、おどおどとした様子でベッドの縁に座る幸善を見てきた。


「アジ……ウィーム……」


 そして、アジ・ウィームは自分の名前を口にした。

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