熊は風の始まりを語る(3)

 壁のように立ち塞がるグリズリー。それを前にして、幸善は驚きと恐怖で失神しかけていた。辛うじて耐えたのは仙人としての維持があるからだ。それがなかったら、今頃小便を漏らしながら意識を失い、グリズリーの腹の中にいたことだろう。


 罠。本部に呼ばれたことまで含めて、幸善は一瞬、そのように考え、背後を振り返ろうとも思ったが、目の前のグリズリーから目を離すこともできない。


 取り敢えず、グリズリーの対処が先決であると、幸善が拳を構えた直後、目の前のグリズリーが口を開いた。


「良く来たな」


 しゃがれた声がグリズリーの口から飛び出し、幸善は拳を構えた体勢のまま、面食らっていた。

 グリズリーが喋ったことに最初は驚き、どうして喋ったのか原因を考えて、更に驚いた。


「妖怪…?」

「ああ、初めまして、だな」


 目を丸くしたまま、幸善が入口を振り返ると、そこに立っていたポールが笑顔で手を振ってきた。


 グリズリーの妖怪がいるのなら、それを最初に伝えろと幸善は言いたくなったが、それを言い出すよりも先に、ポールを見たグリズリーが呟いた。


「本当に自分で連れてくるとはな。立場的に人に任せればいいのに」

「立場?」


 グリズリーの呟きに幸善が不思議そうに言葉を繰り返すと、グリズリーは少し目を見開いて、幸善を見てきた。グリズリーの表情は詳細に分からないが、驚いた顔に見えなくもない。


「あの男が誰か知らずについてきたのか?」

「え?有名人?」

「奇隠の人間なら知らない者はいないと思っていたが、まさか知らない者もいたのか…」

「そんなに有名?」

三頭仙さんとうせんの一人、と言えば分かるか?」


 一瞬、グリズリーが何を言ったのか理解できず、幸善は完全にフリーズしていたが、すぐに口から飛び出た単語の意味を思い出すと、背後のポールを振り返って見ていた。

 その視線に気づいたポールが恥ずかしそうに頭を掻く。


「あれ?もしかして、ようやく気づいた?」

「え…?三頭仙…ですか…?」

「まあね。一応、だね」


 幸善は再びの衝撃に、また失神しかけていた。辛うじて耐えたのは、そこに多少の疑問が生じたからだ。


「いや、でも、奇隠を作った人なら、最低でも四、五十代くらいなのでは?」


 ポールは二十代か三十代前半くらいにしか見えない若々しい見た目をしている。奇隠の設立は約二十年前と聞いているので、その時期には年を取っていても、十代前半だったことになる。


 まさか、それほど若い時から活躍しているのか、と幸善は子供仙人の姿を想像し、思わず考えていたが、その疑問に対するポールからの返答は想定外のものだった。


「うん。もうすぐになるね」

「は…?」

「俺の記憶ではでハリーは六十だ」

「は…?」


 ポールとグリズリーから聞かされた事実に幸善は瞬きを何度も繰り返した。


 いや、何を言っているのだろうか。冗談はよして欲しい。と幸善は考えていたのだが、その考えとは裏腹に二人は真剣な顔で告げてきている。


「そんなことより、ここに呼び出したのは大切な話があるからだ」

「いや、そんなこと?そんなことじゃないよね?どういう若作り?」

「そんなに驚かないでよ。特別なことはしてないから。毎朝コップ一杯の水を飲んでいるくらいさ」

「そんな便秘の解消に効果的な方法で、二十歳も三十歳も若く見えるわけがないでしょうが!?全国の努力している方々に謝ってください!」

「何か、ごめんね」

「何かってつけないでください!余計に腹が立つ!」


 あまりの事態に完全に幸善は取り乱し、相手が三頭仙であることもお構いなく、好き勝手に叫び散らかしていた。


 その姿にポールは笑い、グリズリーは巨体を休ませるように、部屋の奥に置いてあった椅子に腰かけている。


「もういいか?話をするために呼んだんだ。年齢の話はどうでもいい」

「どうでもいいって…この謎を解明したら、何らかの偉い賞を受賞できそうなのに!?」

「自分の身体の秘密よりも、偉い賞の方が大事なのか?」


 その一言に幸善は固まった。


 さっきから一緒にいる人物が三頭仙で、しかも想定よりも遥かに年を取っていたことに驚き、幸善は我を失いかけていたが、幸善が本部に来た目的は幸善の身体から検出された妖気について知るためだった。


「秘密って、何か知っているのか?」

「もちろん。改めて、ちゃんと自己紹介しようか。俺の名前はテディ。現在確認されている妖怪の中で、最も長く生きている…まあ、長老と呼ばれることもあるが、半分化石みたいなものだと思ってくれ」

「長くって、どれくらい?」

「そうだな。を超えてからは数えていない」

「はあ!?二千年!?二千歳!?」

「最低でもそれくらいは生きているな」


 ポールの年齢に匹敵する衝撃の年齢を聞き、幸善はテディの名前が明らかに似つかわしくないテディベアから取られているだろう部分に触れることなく、固まっていた。


「だから、いろいろ見てきた。いろいろと知っている」

「俺の身体に妖気がある理由も?」

「ああ、もちろん」

「それって、どんな…」

「まあ、焦るな。説明には順序が必要だ。まずは前提となる始まりの話をしよう」


 テディが幸善に座ることを促すように椅子を差し出してきた。それに従い、幸善が椅子に腰を下ろすと、入口に立っていたポールが声をかけてくる。


「話が始まりそうな雰囲気だから、私はそろそろ行くね。次の案内役を呼んでくるから」

「え?次の案内役?」


 幸善がそう聞き返した時にはポールの姿がなく、幸善は完全にテディと二人の空間に取り残されたことになる。


「安心しろ。話をしている間に来るはずだ。まずはこっちの話を集中して聞け」

「そ、そうかもしれないけど…まあ、うん、分かった。それで始まりの話だっけ?」


 幸善は何とか納得することにして、再びテディと向き合った。


「そう。始まりの話だ」

「何の始まり?」

人型ヒトガタ

「え…?」

「No.0。そう呼ばれる人型がの話だ」


 この場所を訪れてから何度そうしたか、もう分からなくなっているのだが、幸善は再びテディの言葉に固まっていた。

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