月と太陽は二つも存在しない(27)

 堅固な氷塊をビスケットのように砕き、颯爽と登場したディールは戦場を見回してから、退屈そうに溜め息をついた。


 幸善は危機に登場したディールの存在に喜びかけていたが、そもそも、その必要がなかったことに葉様は気づいていたようだ。

 ディールを見つめる幸善と相亀の隣で、氷の壁を作り出した張本人である男の子のいる方を見ながら呟いた。


「倒れている…」


 その声に反応し、幸善が男の子に目を向けると、男の子は力尽きたように、その場に伏していた。


 氷の壁は砕かれ、幸善達の周囲で燃えていた炎は少しずつ鎮火している。

 既に戦いは終えたと言える状況に、幸善はようやくディールが退屈そうに溜め息をついた理由を察した。


 その一方で、さっきから気になっていることが一つあった。


 それが幸善の隣にいる相亀の様子だ。ディールの登場で助かったはずなのに、その表情はディールの登場以前から変わらない絶望の色が見えるものだ。

 いや、寧ろ、ディールが登場してから、その色は濃くなったようにも思える。


「おい、相亀?どうした?」


 幸善が相亀に声をかけた瞬間、不意にディールが相亀に向かって何かを投げてきた。相亀はそれを咄嗟に避けて、ディールは眉間に皺を寄せている。


「避けるなぁ!」

「何…?何ですか…?怖い…」


 小動物のように怯える相亀を見て、ディールが苛立ちを隠すことなく、大きな舌打ちをしている。


 相亀がここまで怯えるとは、この二人の関係は一体どういうものなのか、と幸善が思っていると、二人の隣で葉様がディールの投げた物を拾い上げた。


「手錠?もしかして、これが拘束用の?」

「拘束用?」

「仙人や人型を拘束するための特殊な器具だ。特別留置室と同じ素材で作られていると聞く」

「それがこれ?ていうか、そんな物があるなら、それを活用して対人型用の武器を作ればいいんじゃないか?」

「無理だ。素材が希少すぎる上に加工が難しいと聞く。それにこのサイズで拘束できるのは数分。特別留置室のような形を作らなければ、完全拘束はできない」


 対面した人型を部屋のようなサイズの箱に閉じ込める。その困難さは考えるまでもない。

 幸善はその難しさを良く理解した上で、ディールがその手錠を投げてきた理由が分からなかった。


「これをどうしたら…」


 そう聞きながら、そういえば英語で聞かないと伝わらないのか、と考えた直後、そこにディールがもういないことに気づいた。


「あれ?相亀、あの人は?」

「殺すぞ!?っていう目で見てから帰っていった」

「お前…ちょっと見ない内に何があったんだ?」


 さっきまでの相亀の対応もそうだが、少し見ない内に女性が苦手である以外の相亀のパーソナルな部分が変わっている気がする。

 特に行動から知性が欠けている気がするのだが、知性の欠けた相手を怯えているところを見るに、そこで何かがあったと考えるべきだろう。


 しかし、その何かは分からない上に、そこまで興味もなかったので、幸善は相亀を無視して、落ちていた手錠をどうにかしようと考えていた。

 その思考の途中で、隣から葉様の手が伸びてきて、その手錠をさっと取っていく。


「これの使い方は決まっている。あの人型を連れていくための拘束具だ」


 そう言いながら、手錠を持った葉様が男の子に近づいていき、その手に渡された手錠を嵌めている。


「意外だな。お前のことだから、気を失っている今が好機とか言って、背中に刀をぶっ刺すのかと思った」

「俺を何だと思っている?俺にも理性はある。妖怪を全滅させるなら、その情報を得るための手段を確保しなければいけないことも分かっている」

「ああ…」


 殺すために生かす。どこまでも葉様らしいという考えに、幸善はそれ以上に言えることがなかった。


 これで男の子の自由は一時的にだが封じることができたので、この問題は解決したと言える。


 その運びを葉様が率先して行い、その手伝いを幸善と相亀に求めてきているが、相亀はいつまでも怯えて使い物にならない上に、幸善は一つ確認しなければいけないことがあった。


「悪いが葉様。俺は東雲を探してくる」


 そう伝えたら、葉様は何も答えることなく、黙って一人で男の子を持ち上げている。


 その行動を一種の許可と判断した幸善が走り出し、Q支部の入口のある公園に飛び込んでいた。


 東雲はこの公園に入ったところで、あの男の子と接触し、そのすぐ後に姿を消した。いるとしたら、この近くの可能性が高いのだが、Q支部の方に近づいた可能性もある。


 そもそも、人型と接触した後に姿を消しているので、人型に連れ去られた可能性も高い。


 幸善の中で不安はどんどんと膨らんでいくが、何とか無事であることを祈りながら、幸善は公園の中で東雲の姿を探そうとした。


 しかし、それも一瞬のことだった。


 公園に入ってすぐのところにあるベンチに、一人の少女が座っていることに気づき、幸善はそのベンチに駆け寄った。


 その姿を見間違えるはずがない。

 それは間違いなく、だった。


 ぐったりと項垂れるように座り込んでいるが、意識を失っているというよりも、そこで眠っているだけのようで、特に外傷のようなものも見当たらない。


 その姿を確認して、幸善はあまりの安堵感から、その場に座り込んでいた。

 取り敢えず、最悪の事態は避けられた。そう思いながら、幸善はしばらく動き出せずにいた。

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