月と太陽は二つも存在しない(22)

 女の子から男の子に。その変化の理由は一切分からなかったが、考える余裕はなかった。

 水月と牛梁は足を完全に固定され、移動することができなくなっていた。


 試しに水月は刀を振るって、足元の氷を砕こうとしてみるが、一太刀二太刀の攻撃では傷をつけることが精一杯で、脱出できるほどに砕くためには時間が必要そうだ。


 しかし、その時間を与えてくれる相手ではないことは分かり切っていた。


 空中を漂う水分の全てが氷の粒となり、一点に凝縮していくように集まって、水月と牛梁の頭上に巨大な氷塊を作り出そうとしている。

 それは数人の人間が容易に潰れる大きさで、その氷の硬さは足元を固定された事実から把握している。


 逃げることはできない状況に、簡単に砕くことはできない巨大な氷塊。その状況が生み出す絶望感は言葉をなくすほどだった。


 脱出。生存のためにはそれしかないと牛梁は悟ったのか、その氷塊や男の子の存在に気を留めることなく、足元の氷を砕くことに注力し始める。


 それでも、その氷は一向に砕ける気配がない。足首までがっちりと固定する氷の塊は、死後の世界に水月達を引き摺り込もうとしているようだ。


 巨大な氷塊は少しずつ、水月と牛梁にかかるほどの影を作っていく。その影が巨大になるほどに、二人の焦りも募っていく。


 水月と牛梁の意識が足元の氷に向くように、男の子の意識も巨大さを増していく氷塊に向いているようだった。

 その氷塊を大きくすることに注力し、それ以外に対する警戒が薄れていたようだ。


 男の子は自分の背後に迫るに気づいていなかった。


 それは水月や牛梁も同じことだったが、男の子よりは早く気づくことができ、その二人の存在に二人はそれまでの焦りが嘘のように消えていた。


 頭上の氷塊が完成したのか、男の子の視線が水月と牛梁に移り、その安心した二人の様子にようやく気づく。


 しかし、その異変の理由まで頭が回らなかったようで、男の子は一切振り返ることなく、二人に向かって話し始めた。


「これで終わりだから。バイバイ」


 それだけを呟き、頭上の氷塊が支えを失ったように落下し始める。その速度はサイズから考えると、非常にゆっくりとした動きだったが、その遅さ故に足を固定されている水月と牛梁は深い絶望に襲われる――はずだった。


 しかし、その絶望が生まれるよりも先に、男の子もようやく気づいたようだ。自分の背後に誰が立っていたのか。

 それに遅いと告げるように、男の子の頭上を風が吹くように、何かが通り過ぎていった。


 その何かが巨大な氷塊とぶつかり、氷塊は空中でゆっくりと二つに分かれていった。そのまま、水月と牛梁のいる場所を避けるように、二つの氷塊が地上に落下していく。


 男の子は背後に誰がいるのかと、そこを見ようとしたのかもしれない。動き自体は振り返るものだったし、実際に振り返ろうと思ったのだとは思う。


 しかし、男の子は振り返ることができずに、本人の意思とは関係なく、その身体は地面に倒れ込んでいた。


 そのことに男の子の自身が気づいているのか分からないが、その理由は水月と牛梁にも分かっていることだった。

 男の子の近くまで歩いてきた二人の人物が、足を固定された水月と牛梁をじっと見てくる。


「流石に間に合ったみたいだな」

「どうだった?役に立った?」


 水月と牛梁の様子を無視して、自分達のしたい質問をしてくるに、二人は苦笑することしかできなかった。


「役に立ったって、助かりましたよ、秋奈さんが来てくれて」

「そうじゃなくて、そっち」


 水月と牛梁の足の氷を刀で砕きながら、秋奈が水月の持つ刀を指差してきた。

 それだけで質問の意図は理解できたが、水月はその質問に頷けないことに歯痒い気持ちを懐いていた。


「まだまだでした」

「なら、もう少し頑張らないとね」


 そう秋奈は簡単に言っているが、水月は本当にそれで戦えるのだろうかと不安な気持ちが強くなっていた。


 もちろん、今回の相手は例外とも言える人型であったことは分かっている。最初の目標として大き過ぎる相手で、自分が目標とする場所はまだそこにはないことも理解している。


 それでも、そこに少しは役に立てるかもしれないと、淡い期待を持っていた自分が恥ずかしく、情けない気持ちを懐かずにいられなかった。


 その向こうで、男の子に何かの器具をつけていた七実が牛梁に声をかけている。


「猛毒は成功したみたいだな」

「取り敢えず、今回は。ただもう少しうまい使い方を考えないと厳しいと感じました」

「次の課題が見つかったなら結構。まだ伸びる証拠だ」


 その二人の会話を聞きながら、水月は構えた二本の刀に目を向ける。


 頼んでいた刀はもうすぐ完成すると聞いている。その時にその刀を自分が扱えるようになっていないと、その刀を貰う意味がない。


 自分はまだまだ未完成で、覚えないといけないことがたくさんある。


 そうしないと――と水月が自分の課題を改めて見直していると、突然、猛烈な熱風がその場を吹き抜けた感覚に襲われた。

 水月達の視線が自然と動き、その熱風が吹いてきた方向に向けられる。


 そこで巨大な妖気の塊が動いていることは、自分の未熟さに嘆いていた水月にも流石に分かった。

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