影が庇護する島に生きる(29)

 羽衣が地面を強く蹴りつけると、そこに溜まっていた水が大きく飛び上がり、透明なカーテンを作り出した。その中心から羽衣の身体は飛び出し、空高くに浮かんでいる。まるで本物の羽衣が風に乗って宙を舞うように、羽衣は空中で軽やかに軌道転換し、水の中心に立った男を見下ろした。


 透明な水のカーテンは視界を遮るのに十分とは言えなかったが、その存在自体が男の意識を阻害したようだった。男は宙に舞った羽衣の姿を追うことがなく、未だに羽衣の立っていた場所に視線を向けていた。


 その隙に羽衣は上空で拳を構えて、男の頭上に向かって落ちていった。落下の速度と体重を乗せて、拳は大きく振り抜かれ、男の隙だらけの頭頂部に衝突しようとする。


 しかし、拳が男の頭に届く直前、男が頭を掻くように手を上げた瞬間に、男の足元の水が幕のように伸びてきて、羽衣の拳を受け止めた。羽衣の拳が生み出した衝撃は男に届くことなく、その勢いだけを見せつけるように、周囲に水飛沫の形で散っていく。


 その時になって、ようやく男が軽く羽衣を見上げ、さも今気づいたと言わんばかりに驚いた顔をした。


「そこにいたのか」

「気づいていただろうに」


 歯を食い縛りながら羽衣が呟いた瞬間に、水の幕が鞭のようにしなって、羽衣の身体を空中に投げ出した。羽衣は咄嗟に体勢を整えながら着地するが、ようやく接近できた男との距離が再び開いたことに、表情から苦々しさを隠し切れない。


 そもそも、男との距離を詰めることがこれほどまでに難しいとは思わなかった、と羽衣が思った瞬間、その現状を再び理解させるように、傘井と漆野が男に向かって走り出した。

 もちろん、その背後では夜光が手に作り出した槍状の仙気を投擲し、二人の援護を行っている。


 男はその飛んでくる仙気を水で防ぎながら、まっすぐに走ってくる二人に目を向けているのだが、その様子には明らかな余裕が見て取られ、二人が同時に構えた刀を振るおうとしても、軽く水の壁を作り出すだけで、その場から動き出す気配がなかった。


 そして、実際にそれだけの行動で傘井と漆野の動きは止められ、再度体勢を変えながら、男に攻撃を試みても、軽く水による妨害であしらわれて、再び羽衣のように距離を作られて終わっている。


 その原因は仙術と仙技の実力差というよりも、周囲に水の満ちたこの環境だった。


 それらの水が男の手足のように扱われ、攻撃や防御に用いられること自体はもちろん大きな問題なのだが、それ以上に水の存在自体が第一部隊の面々にとって、大きな障害になっていた。


 足元に溜まった水は重く足に絡まり、最速の動きが求められる環境においても、動き出すまでに少しの時間がかかるようになってしまう。それだけでなく、動きそのものの速度も奪われ、その速度の減少が攻撃力の低下にも繋がってしまう。


 攻撃と防御。そのどちらにも、足元の水は羽衣達にとって邪魔でしかなかった。


 それから逃れるために、羽衣は空中からの攻撃を選んだのだが、それも苦肉の策としか言いようのない手段だ。

 そもそも、自由の利かない空中に飛び出すこと自体が行動としては弱く、さっきのような防御手段がなくても、攻撃を受けるだけで攻撃に移れないという明確な弱点がある。


 男が現状は明確な攻撃に出ていないことから、羽衣達は現状も無事ではいるのだが、羽衣達の攻撃が通用していない時点で勝ち目は薄いとしか言えない。


 この状況をどう打破するのか。そう考えながら、羽衣は第一部隊の面々に目を向け、本来ならそこにいるはずの応援のことを思い出した。


 現在、どこで何をしているのか分からないが、その応援がいたら、相手が仙術使いだとしても、今のような事態には陥っていないはずだ。勝ち目があるのかどうかは別として、最低でも今よりはマシと言える状況になっていると容易に想像がつく。


 本来はそのための応援のはずなのだが、その役目を放棄している現状で、当人は一体何をしているのだろうかと羽衣は怒り混じりに思った。


 この状況になったのも、全てが原因だと羽衣は思いながら、傘井と漆野が再び刀を握る様子を見る。


 同じ行動を繰り返すほどに傘井達も馬鹿ではない。この状況を変えるために、次は動きを変えるはずだ。そのために自分も考えないといけない。

 そう思い直し、考えても仕方のない応援のことは一度、頭の中から綺麗に消し去ることにした。

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