鯨は水の中で眠っても死なない(6)

 秋奈あきな莉絵りえが目覚めた。その話を聞きつけた水月みなづき悠花ゆうかは久しぶりにQ支部を訪れていた。秋奈が目覚めた時点で、秋奈が目覚めたという話は聞いていたのだが、目を覚ました直後は秋奈も人と逢える状態ではないだろうと判断し、水月は時期をずらしてお見舞いに行こうと思っていた。


 それに水月は一つだけ、秋奈に頼みたいことがあった。しばらく動けなくなった時から考え始めて、日常生活に支障がない程度なら動けるようになった今も考えていたことを、秋奈に頼もうと水月は決意していた。


 秋奈の病室の前まで、水月が来た時だった。ちょうど病室の扉が開き、中から思ってもみなかった人物が出てきた。その姿に水月は驚き、思わず声をかける。


「葉様君もお見舞いに?」


 水月にそう声をかけられた葉様は、少しバツが悪そうな顔をしていた。水月から軽く目を逸らし、小さな声で「お前に関係ない」とだけ呟き、その場から去ってしまう。


 その葉様の態度は平常運転だったので、水月の気に障ることはなかったのだが、秋奈の病室から出てきたことは気になった。葉様が秋奈のお見舞いをするとは意外だった。

 意外とそういうことはちゃんとするのか、と思いながら、水月は病室をノックし、中から秋奈の声が返ってきたことを確認してから、部屋の中に入っていく。


 秋奈は既にベッドの上で上体を起こしており、入ってきた水月に笑顔を向けてくれた。その笑顔を見たことで、水月はまずホッとした。詳細は聞いていないのだが、秋奈が怪我をしたと聞き、大丈夫なのかと不安だったのだが、それも過ぎた心配だったようだ。


「お加減いかがですか?」


 秋奈に近づきながら、水月がそう聞くと、秋奈は大きく両手を広げていた。


「こんな感じ。もうバッチリ」

「そう言って、無理に動いたら、また寝込む羽目になるんですよ?」


 水月の正論に秋奈は言葉をなくしたようで、ひたすらに苦笑しながら、自分の頭を掻いていた。


「だけど、お元気そうで良かったです」

「ごめんね。心配かけちゃって」

「何があったんですか?」


 怪我の経緯を詳細に聞いていない水月は何気なく、そう聞いたのだが、秋奈はその質問に驚いた顔をしていた。そこまで驚くことなのかと水月は思ったが、すぐに秋奈は何かに気づいたらしく、小さくかぶりを振る。


「ちょっと機密事項が含まれるから、詳細は言えないんだ。ただ私はちょっとミスしちゃったの」


 照れ臭そうに笑う秋奈の姿に、水月はいつもの秋奈だと再び安堵した。その上で水月の頭の中では、頼みたいと思っていたことが膨らみ始めていた。

 そのことをあまりに考えていたためか、気づかない間に表情に出てしまっていたようだ。秋奈が不思議そうな表情で、水月の顔を覗き込んできた。


「どうかしたの?何か悩み?」

「あっ…その…」


 少しだけ最後に迷ってから、水月は覚悟を決めて、目の前の秋奈を真剣な表情で見つめた。


「私!秋奈さんに刀の稽古をつけて欲しいんです!」


 やや大きな声で主張した水月に、秋奈はとても驚いたようで、間の抜けた顔でしばらく固まっていた。


「か、刀の稽古…?」


 やがて、水月の言葉を繰り返すように秋奈が呟き、水月は大きく首肯した。


 冲方の影響を受け、二本の刀を所持している水月だが、その実、二本の刀を同時に扱う機会はほとんどない。片手で刀を扱えるように、所持している刀は小刀にしているのだが、それでも、二本を完璧に扱うことはできておらず、攻撃に徹することはできても、相手の攻撃を受け止める必要のある防御が完璧に行えないのだ。

 そのため、普段の戦闘では無駄な負傷を防ぐために、小刀一本で戦うことが多く、二本を用いる時はそれこそ、捨て身で戦う時くらいしかない。戦車ザ・チャリオットとの戦いは正にその時だったのだが、あの時は先制攻撃を受け、二本の刀を扱うこと自体ができなかった。


 そのことから、水月は刀自体をもっとうまく扱えるようになり、一本でも十分に戦えるように、更に言うと、二本を普段から扱えるくらいに強くなりたいと思うようになっていた。

 それを教わる相手を考えた時に、日本には秋奈ほど適任の人物もいないはずだ。


 何せ、奇隠に所属する刀を扱う仙人の中で、最も強い仙人が秋奈なのだから。


「なるほどね…悠花ちゃんもか…」


 苦笑しながら呟いた秋奈の言葉に、水月は首を傾げていた。


「他にも頼んできた人がいるんですか?」


 水月がそう問いかけると、秋奈は少し不思議そうに首を傾げ、「さっきすれ違わなかった?」と聞いてきた。


「え?葉様君?」

「そう。意外?」

「意外でした。そういうことで人に頼んだりしないのかと」

「まあ、本当はそうなんだろうけどね。私に頼むくらい、きっと涼介君も悩んでいるんだよ」


 そう呟いてから、秋奈は水月から目を逸らし、しばらく考え込んでいる様子だった。


「じゃあ、涼介君にもそう言ったから、悠花ちゃんにも同じことを言うね」

「はい!」

「前向きに検討します」

「それ、断る時の返答ですよね?」


 水月の質問に秋奈はとぼけた様子で首を傾げた。

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