兎は明るく喋らない(9)

 少し遅れて現れた幸善の姿に、牛梁と佐崎は酷く不思議そうな顔をした。杉咲は特に驚いた顔も、不思議そうな顔もせずに、幸善の近くで幸善の腕の中を覗き込み、そこに手を伸ばしてくる。唯一、冲方には事前に報告していたことから驚いていなかったが、実物に興味を示している様子だった。


「それは…?」


 動揺したように僅かに震えた声で、佐崎が幸善に聞いてきた。伸び切っていない指がゆっくりと上げられ、幸善の腕の中にあるものを示してくる。ちょうど杉咲が指の背で、優しく触れるように撫でている最中だ。


「これは…」


 幸善が牛梁と佐崎にしっかり見せるように、僅かに持ち上げた。


「ナインチェです」


 一瞬、バスケットボールという単語が頭を過ったが、流石に口には出さなかった。名前だけで伝わるかと思ったが、二人は名前を覚えていたのか、その名前に納得した顔をする。


「誰?」


 唯一、驚くことも不思議そうにすることもなく、無心で頭を撫でている様子の杉咲がそう呟いた。何か分からないが、取り敢えず、頭を撫でていたのかと考えると、杉咲も意外と能天気なのかと一瞬思い、意外ではなかったとこれまでの行動から思った。


「失踪した一人の田村紗季子さんが飼っていたウサギの妖怪。それがナインチェ」

「ふーん…」


 興味ないのか適当な返事をして、杉咲が再び指の背で撫で始めた。その反応に顔を上げると、佐崎の苦笑が目に入る。


「その子を連れていくの?」

「そういうことになった」

「大丈夫なんですか?」


 心配そうに牛梁が冲方に目を向けると、冲方は苦い顔をしながら、ゆっくりと頷いた。牛梁の心配は尤もであり、幸善もナインチェを連れていく気はなかったのだが、連れていかないと幸善がいくら言っても、ナインチェは幸善の足から離れてくれなかった。そのあまりのしつこさに、満木が助けを求めた結果、特別にナインチェを連れ出すことに許可が出た。一応、ナインチェを眠らせる方法はあるらしいのだが、そのしつこさから何かあるのではないかと鬼山が判断したそうだ。


「ということで、今日は五人と一匹で回ることになったから。取り敢えず、昨日の続きを回って、それから、本来はショッピングモールに聞き込みに行こうと思ってたんだけど、支部長の指示で先に田村さんの家に向かうことになると思う」


 冲方の説明に幸善達は頷き、ナインチェを連れてQ支部を後にした。そこから、昨日回り切れなかったリストの残りを順番に回ることになる。そこで部屋を調べ、近隣住民への聞き込みを進めていく。


 しかし、そこで目新しい情報は手に入ることがなかった。双子の目撃情報は変わらずあったことから、双子が失踪事件に関わっていることは確定的だと思うのだが、その双子に通ずる他の情報は出てこない。変わった匂いも一部では覚えられていたが、その匂いの正体も分からない。


 結局、何も分からないまま、幸善達はリストの残りを回り終えてしまい、ナインチェを連れ出したのだからと、最後に田村の家を再度訪れることにする。


「だけど、何か分かるんですかね?」

「支部長は行きたがったくらいなのだから、何かを知っている可能性があるんじゃないかって疑ってたみたいだけど、本当にそうなのかは分からないね」

「まあ、他に特定できる情報がないのなら、可能性だけでも調べる価値はあるだろうな」


 佐崎にそう答えながら、幸善は腕の中のナインチェに頼むように声をかけていた。ナインチェはほとんど反応を示さないが、耳を動かしていることから、声自体は聞いているようだ。


 昨日と同じように鍵を借りて、幸善達は田村の家に入っていく。そこは昨日と同じく物で溢れており、見ようによっては何があっても不思議ではない部屋で、手掛かりになりそうなものが転がっても気づかないように思えるが、そもそも手掛かりが転がっていない、ただの汚い部屋な気もする。


 ここに何かあるのかとナインチェを見ながら、部屋の中に踏み込んだ直後、ナインチェが幸善の腕から飛び出した。そのまま、キッチンの方に走っていき、幸善達は慌ててナインチェを追いかけた。どうしたのかと思って、キッチンに駆けつけると、その一角でナインチェが頻りにゴミの山を前足で叩いていた。


「そこに何かあるのか?」


 幸善が聞いてみると、ナインチェは小さく首を縦に振る。幸善達がその場所を調べていくと、その中から出てきた空き箱を軽く引っ掻き始めた。


「これか?」

「これはクッキーの空き箱だね」


 佐崎がさっとスマホを取り出し、その空き箱に書かれた店名を調べている。それから、しばらくして何か分かったのか、さっと佐崎が表情を変えた。


「これって…?」


 佐崎がスマホの画面をこちらに見せてきたので、四人でその画面を覗き込むと、そこにはクッキーを販売していると思しき店の住所が表示されていた。その住所だけだと、一瞬どこか分からなかったが、その隣の地図を見ることで佐崎の表情が変わった理由を理解する。


「これって、ショッピングモールの中にある店で売られてるみたいだね」

「もしかして、その店が関係してるのか?」


 幸善がナインチェに再び目を向けると、幸善達の足元でナインチェが小さく首を縦に振った。

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