2-XX

「こッ、これはお嬢様! 本日は如何様なご用件で……」


 巌を以って知られたセトライト伯爵が焦燥を滲ませて口火を切る。

 流石に急な訪問は不意打ちが過ぎましたか、と彼女は心中でのみ反省を示す。しかし用件の重みは変わらないと慰撫を施す真似はしない。


 フェリタドラ・レドヴェニア。

 大貴族の名を挙げろと問われれば、国民がまず称えるだろう名家の頂点。王家の予備、レドヴェニア大公家に咲き誇る赤金の薔薇。

 齢10歳の少女が纏う空気は既に王侯のそれであり、未来の王国を支える一本の柱となることは誰もが納得するであろう。


「此度はお父様の名代として参りました、わたくし程度なら左程事を荒立てまいと」

「い、いえ、そんな……それで、どのような……?」

「配置換えをするようにと」

「……ま、まさか転封をお命じに!?」


 声の引きつる伯爵。

 当然だ、特に理由を思いつかず、正確には褒賞を得る程の功績に思い至らず配置換えを言い渡されるなど、お家の解体を命じられたに等しいと結論付けるのは仕方ない。

 彼も俗に染まった貴族、後ろ暗い行為に全く見覚えが無いと断言できる程に清廉潔白ではない立場。何を以って大公家の怒気に触れたのか──それを問いただせる程の胆力は無かった。


 しかし。

 自らの娘よりも年若い少女が口にしたのは、意外な言葉であった。


「伯爵家に預けたリンドゥーナの庭師達。彼らに1年ほどのいとまを出すように、と」

「……は?」

「そのままの意味です。別邸の整備に雇った庭師の多くはリンドゥーナの縁者なのは間違いないですよね?」

「そ、そうですね……おそらくは」


 伯爵は背後に控えた執事の気配を読んでそう応えた。彼自身、お家の端々まで使用人がどのような人間で構成されているかを把握しきっているわけではない。

 凡その場合、家内の人事は筆頭執事──或いは家令と呼ばれる者が取り仕切る。伯爵の影となって沈黙する執事の反応を読んでそう推察した。主と執事の阿吽の呼吸である。

 故にいつ如何なる状況でどのような力学が作用し、誰かの思惑通りに事態が蠢いたのか。間接的に知ることは困難であるのも事実。

 はて、彼の執事は誰のどのような意を受けて、或いは知らぬがままに誘導されて斯様な判断を下していたのか。


「しかし、何故そのような」

「仔細はわたくしも存じ上げません。あくまでお父様の指示、レドヴェニア家当主の言葉です。それ以上は不要では?」

「ぎょ、御意」


 伯爵の詮索を切り捨てたフェリタドラだが、彼女の言葉に嘘は無い。命令を運んだ彼女自身も父の思惑は知らされていないのだ。

 ただし思うところはある。

 密かに仕込んだはずの工作を、このように改めて直接伯爵を通す形で覆す。との予想はついた。

 ここ数日の間で伯爵領に起きた何か、それこそ青天の霹靂めいた何か、それが原因なのだろうと。


「さて、次に父から受けた命ですが」


 彼女に下された命令とは3つ。

 ひとつは上記、リンドゥーナ人の庭師達を伯爵家から遠ざけること。

 そしてもうひとつは、


「その上で、彼らには一門の裡に別の働き口を斡旋するようにと」

「は、はあ」

「具体的な先は指示されませんでしたが、子爵か男爵家に組み込むのが望ましい、との事です」


 確かに一門であれば監視し易いでしょうね、とはあくまで彼女の推測だ。

 理由は見当つかないが、今このタイミングで伯爵家にリンドゥーナ由来の人間がいると不都合があるのだろう。その程度は未だ父に遠く及ばない彼女とても読み取れる。

 その上で仕事先を斡旋するようにとの命令を付け足せば、彼らを放逐する気は無い、悪意は無いのも判る。

 むしろ彼らを誰かから隠す意図が透けて見えるのだけど……とフェリタドラは思考を切り上げる。

 今は詮索よりも父の仕事を完遂させる事だ。


「伯爵、ご家門と彼らの行状をリストアップしていただけますか。斡旋先については共に検討致しましょう」

「承知致しました」

「そして最後のひとつですが」

「は、何か」

「父はおっしゃいました。伯爵家の社交場に一華添えて来い、と」


 伯爵の目に浮かんだのは別種の驚愕。

 前の表情が恐怖交じりだったとすれば、今の表情は純度の高い驚きだ。それは彼女の発した言葉の意味を正確に掴んだ証拠。


「ま、まさか、それは」

「ええ、既に婚約を交わした身ではありますが、この地においてデビュタントを果たさせていただこうかと。表向きの表敬理由は必要でしょう?」


 形式的な意味でしかありませんが、との令嬢の言葉は既に届かない。

 大公家に咲いた大輪の薔薇、公的なお披露目を大貴族ならざる身で取り仕切る栄光。

 伯爵には青天の霹靂が続いた。


******


 あらかじめ用意したイブニングドレスに身を包んだフェリタドラは密かに舞台袖に案内された。

 彼女の背負う家名に恐縮しきりだった伯爵は、彼女のために別の化粧室を用意し、令嬢たちが詰めて控える舞台袖とは反対側の袖に待合場所をセッティングした。

 配慮は配慮だが、フェリタドラには些かの不満があった。


(同年代の令嬢たちが、どのような心持ちでデビュタントを迎えるのか。観察できる機会が喪われてしまったわね)


 フェリタドラは他人を観察するのが好きだった。

 生まれながら準王族、生き方を選べない彼女にとって日々の生活は型に嵌められたものだった故だろうか。または生まれのせいで大人さえも彼女の前では頭を下げ、膝を曲げて礼に伏する。顔が見えず、表面上の礼儀で心の中も覗かせない態度に鬱屈を覚えたのか。

 自身に比べて自由に生きる人々の動きを、感情を、勇気を、怯えを、己も含めた周囲が身裡で抑制した全てが興味深いものだった。

 同年代なればこそ普通は抑えきれないだろう緊張や怯え、或いは心奮い立たせる矜持──舞台袖の素顔を見ることが適わなかったことを残念に思いつつ、彼女は舞台に上がる少女たちを眺めていたのだが。


(……思ったよりも落ち着いてる子が多い?)


 デビュタントは令嬢たちの初舞台。

 その正体は大人たちの肴に過ぎないにせよ、普通は緊張を強いられる場である。にもかかわらず、此度舞台に上がり一礼する少女たちは比較的落ち着いているように見えたのだ。

 はて、何やら彼女たちの緊張を解く何かがあったのか──そのような興味と疑問は。

 目の前の珍事で吹き飛んだ。


 緊張のあまり、舞台の床に躓いた侍女。

 普通ならば手を振り解き、侍女の粗相に巻き込まれないのが正しい選択だろう。貴族社会において人前で無様を晒すなどあってはならない、そう教え込まれるが故に。

 しかし舞台上の少女は。

 倒れゆく侍女の体を力強く引き寄せ、腰を抱き。

 見事なダブルターンとショートリフトを披露して。

 ──舞台上の華と化したのだ。


 舞台下の観客たちも呆気に取られている。どう反応して良いのか判断つかないのだろう。しかし彼女には判っている。こんな時、尋常ならざる勇気を示した者に舞台の外から贈れるものなどひとつしかない。


 フェリタドラ・レドヴェニアは舞台袖から力強い拍手を送った。

 やがて彼女の発した音に反応し、会場にまばらな拍手が巻き起こる。本当に拍手が正しいのか、黙って見送る方がいいのではないか──そのような迷いがあるのも興味深い。

 しかし今、もっと興味を引くのは先の少女である。


 侍女の窮地を救い、恥を未然に防いだ機転を良くした少女。一目顔を見ておくべきだろう──フェリタドラは待機場所を離れて反対側を目指した。


******


「ユニーク」


 薔薇の少女が投げかけた一言が称賛を意味することを知る者は少ない。


******


「フェリタドラ様、ありがとうございます。我が家の歴史にこの上ない名誉をいただくことが叶いました」

「いえ、左程の価値とも思えませんが、喜んでいただけたのなら幸いですわ」


 世事の応酬もそこそこに大公家令嬢は父の用事を完遂させるべく動く。

 決めるのは隠すべき至宝か、災厄を招く箱かは見当つかないが、とにかく人目を避けるべき一団の処遇である。


「どうせなら不自然さが無い方がいいでしょう。リンドゥーナの民草が日頃より立ち入り、日常的に暮らしている土地がよろしいかと」

「だとすれば国境沿いの男爵領がよろしいですな。リルケー、アンダルト、ノルマルド……」

「そうね、位置的に……」


 隣国との不確定な国境線をなぞりながら、地図上で候補を羅列していく。


「そうなればラノワールなどがオススメできますでしょうか」

「成程、この場所なら最善に近いかも……」


 手袋をしたままの手指、令嬢が地図上に這わせた指が止まる。

 伯爵が指差した領地よりも南に下がった場所に、見覚えある単語を見出したからだ。


「いえ──」


 この時、フェリタドラの唇に浮かんだのは彼女らしからぬ曲線だった。不意に持ち上がったそれを指し示すならば名案──と呼ぶには少々遊び心が過ぎていた。


「こちらに致しましょう。条件的にも問題ありませんわね?」

「は、はあ。しかし『上がり盾』の家となりますが」

「問題ありません。では伯爵、手続き諸々はそちらにお任せ致しますので」


 深い考えがあったわけではない。

 ただ彼女にユニークさを覚えさせたお家の少女を再び見る機会があるかもしれない、その程度のスパイスが混入した結果だった。

 さりとて、蝶の羽ばたきが遠方にて竜巻を起こすが如く。


 薔薇の香りはいつかどこかで香水めいて、人の心を惑わせるのかもしれない。



*************

次回より新章となります。

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